米沢 長南の声なき声


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12月のつぶやき
2011年12月05日

●この「つぶやき」は去年の12月から始めたものだが、あっという間に1年。激動の1年だったな。国の内外に次々と出来事や問題が起きて、この「評論」も書くのに事欠かない忙しさだった。これから、いったいどうなるのか。間もなく年があける。
●テレビ映画「坂の上の雲」―戦争スペクタクルは「格好いい」。「真珠湾からの帰還」は考えさせられる。ドキュメンタリー「証言記録・日本人の戦争」は辛く悲しい。この月は太平洋戦争の開戦から70周年ということもあってこれらの番組が相次いだ。
 「坂の上の雲」はリアルではあるが、日本の戦争を美化したキレイごとに描かれている。テレビは茶の間で見る配慮からだろうが、死体がちぎれて飛び散ったり、バラバラ死体がコロがっていたり、腐乱死体などグロテスクな場面は写さない。震災でも死体はテレビ画面には出てこない。しかし、ドキュメンタリーの方には「証言記録」の言葉に悲惨な戦争の実態が語られていた。
 それを見て思った。「あの時代、俺だったらどうしてたべ・・・どっちみち惨めな死に方をしていたべなあ」
●8日は、70年前にアジア・太平洋戦争が勃発した日。当方が生まれて1年近く後。
日中戦争はもっと前からやっていたが、その延長線上に拡大したもの。未だもの心つかない歳だったが、今にしてみれば可愛そうでしかたがない。この後生まれた弟は戦争が終らないうちに死んだ。出征した父が帰還する前で、一度も顔を見ることなく、生まれて逝ってしまったのだ。
●「あの日あの時」―NHKテレビの平日昼のニュースの後に放映されている被災地関連ニュース。そこに折り込まれている被災者の証言シリーズ―この時間帯は震災以前は「ふるさと一番」、今は東北以外では「ひるブラ」?。東北では、9ヶ月も過ぎ12月に入ってもまだこのシリーズが続いている。毎回一人づつ、現場であの時の行動を再現しながらインタビュー。今日は陸前高田で幼子を抱え義母の避難誘導で命拾いした若妻の証言。見る度に戦慄・恐怖と涙の感動を覚える(「はらはら、ぞくぞく」、そして「じーん」とくる)。東北だけでなく全国でも放映すればいいものを。「がんばろう日本!」のはず。「がんばろう東北」だけで済むものではあるまい。
●友人と車に同乗して隣県へ小旅行。あちこち見物(横田めぐみさんが拉致された当時通学していた中学校の脇を通って近くの海岸に行ってみたりも)して、ビジネスホテルに泊まり、カラオケにも行ってきた。久々に「イヨマンテー!」。それにフランキー・レーンの「OK牧場の決闘」。カラオケでは初めてそれを歌えた。友人の一人もこの映画と歌を知っていて、合わせてくれた。「gunfight at O.K corral!」
 家に帰ったら、市社会福祉協議会地域包括支援センターから手紙が来ていた。それには、「基本チェックリストの結果、介護予防事業に参加することが望ましいと判断された方」「質問用紙に回答された内容から、低下の恐れあり」「『運動コース』・『栄養コース』・『お口コース』のうち、あなたにおすすめするコースは「お口」コースです」とあった。なんのこっちゃ?「(参加者の声)Bさん―「カラオケも声が出なくて嫌だったが、以前のように声が出るようになって、カラオケも行けるようになりました」と付記されている。ほ~。


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