米沢 長南の声なき声


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大阪の民意は、本当はどうだったのか(再加筆版)
2011年12月01日

 「橋本派、圧勝」「民意の圧倒的な支持をうけた橋本氏」というが、はたしてそうか。
 他候補との比較ではそうも言える。
 それは大阪の府民・市民がいかに現状に不満だったかを示していることは間違いない。そして、その現状打破を橋本派に賭けた人が多かったということだ。
 民主主義の現状―国政を見れば、首相はコロコロ変わり、国会は与野党の勢力比が衆院と参院で「ねじれ」、震災・原発事故など国難を前にして一刻も早く手を打たねばというこの時さえも審議はダラダラ、決定は遅れ、国民の多くは苛立つばかり。
ケンカ民主主義と言われようが「独裁」と言われようが、どうでもいいから、とにかく、この危機、この閉塞状況を早く何とかしてほしい、という人々の焦燥感。それが「独裁者」(自ら「それでいいんだ」と言い切った)勢力を、(既成システムに対する変革者として既成政党に対して敢然と立ち向かうチャレンジャーというイメージも効を奏して)大勝に導いたものと思われる。
 朝日川柳(朝日新聞の投稿)に「独裁に賭けたくもなる閉塞感」というのがあったが、まさにそのとおりだ。
 反橋本派は独裁か民主主義かを争点にし、当方もそれだと思った。しかし、その点では民主主義派は敗れた。選挙民は独裁派のほうを支持したかのようであるが、実はそんなこと(独裁か民主主義かなど)は問題にはしなかったのだ。どうでもいいからとにかく現状打破をしてほしい。民主主義派といっても既成政党で守旧派(というふうなイメージに)。彼らなんかよりも橋本らのほうが改革派であり、やってくれそうだ、やらせてみようと。
 「大阪都」構想は人々の夢をかきたて、魅力的に映ったし、「大阪教育基本条例」は、学力テストの全国最下位といった結果に「このざまは何だ」という思いなどから、この条例によって教育委員会のあり方を正し、教職員にはもっとしっかり取り組むように規律を厳しくして気を引き締めさせようとするものであり、「職員基本条例」は、それによって役所の職員にも、(生活保護受給率全国最多を許しているのは職員が本人は働けるのに審査をいい加減にして申請を受理しているからだとか、そんなことのないように、また国保料の滞納者に対する取立てなども)もっとしっかり取り組むように規律を厳しくして気を引き締めさせようとするものだとして、既に制定済みの「君が代起立斉唱条例」とともに、さして問題を感じることなく、カジノ構想にさえも「ええヤンか」と。
 しかし、府民・市民はこれらの構想や条例に「みんな」支持を寄せたかといえば、そうだとはけっして言えまい。
 橋本派は「民意の圧倒的な支持をうけた」のであり、府議会では過半数を制しており、市議会でも第一党なのだから、熟議などといって長々と議論に時間をかけずに強行採決してもかまうまいといって、なんでもかんでも「民意は我に」とばかり反対を押し切ってやれると考えたら、それは大間違いだろう。
 彼らが当選したからといって、選挙民は彼らになんでもかんでも好きなようにやってくれていいと白紙委任したわけではないのである。
 それに第一、得票数は他候補に比べれば圧勝のように思えるが、有権者全体からみれば、その得票数―市長選で橋本氏がとったのは35.9%であり、知事選で松井氏がとったのは28.9%でしかないのだ。大多数の有権者は彼らに民意を託してはいないということだ。
 
 「独裁vs民主主義」には、大阪府民・市民はそんなにこだわらなかったとはいえ、その対決の構図が当を得たものではなかったというわけではあるまい。民主主義の危機であることには間違いない。にもかかわらず、その危機感よりも閉塞感のほうがまさり、「どうでもえーから現状を打破してーな!」といったぐあいに。
 そこにはマスコミの存在もあろう。マスコミが描いた構図は、「独裁vs民主主義」ではなく「橋本流vs既成政党」か「維新の会vs既成政党」で、選挙結果は「既成政党の完敗」だと。それに教育基本条例と職員基本条例については、簡単に「教員や公務員の規律を強める」ものと肯定的に触れるだけで、批判はほとんど加えられてはいない。府民も市民も、そのようなマスコミ情報を真に受ける向きには、「既成政党より橋本・維新の会」とならざるをえないことになろう。
 橋本・維新の会「大勝」の選挙結果には、このようなマスコミの影響(幻惑)を見ないわけにはいくまい。既成政党と「維新の会」の対決とは言っても、(共産党は別として)自民・民主は及び腰で全面対決は避けていたといわれるし、「維新の会」の所属議員の大部分は自民党からのくら替え(元自民党議員)だったのであり、選挙が終わったとたんに民主党も自民党も橋本・維新の会と互いにすり寄っているとみられている。マスコミが描いたその構図は虚構にすぎなかったのだ。

●野中広務氏(自民党元幹事長)いわく「政党が支持しながら、政党の人が(府議会議員も市議会議員も国会議員も)選挙事務所におらないんですよ」「ビラをまいてやっとったのは共産党くらいで、他にそういうことで動いている団体というのは私、見たことがない」と(4日、TBS「時事放談」)。
●前田史郎氏(朝日新聞社説担当、8日朝日「社説余滴」)によれば、平松・倉田両候補がともに63歳なのに対して橋本候補42歳、松井候補47歳、「維新の会」の府議は46 歳平均(30~ 40代が過半数)、同会市議は 42歳平均( 20~ 30代が4割強)で、橋本・維新の会が有権者のうちの若い世代の期待を集め、投票率も若年層によって押し上げられたという。要するに朝日の社説が書きたてた「既成政党VS維新の会」という対立構図のイメージとあいまって、「旧い既成政党系の歳とった候補より新しい維新の会の若い候補」というイメージが、理念・政策(「独裁か民主主義か」とか「教育基本条例」の是非など)よりも先行したということだろう。
●7日、文科省は大阪維新の会が府議会に提出している教育基本条例案―「知事が府立高校の教育目標を設定する」―は地方教育行政法に抵触するとの見解を示す。同法は「教育に中立性・安定性が求められることから、首長から独立した教育委員会が教育事務の大部分の権限を担う」ものとしている。府教育長は「教育委員の罷免も知事の権限には属さず、知事が教育委員を罷免することはできない」と。


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