集会―9月19日、東京・明治公園に6万人(警視庁では3万人と)。
各氏のスピーチ要旨
(写真はいずれも自前)
1、鎌田慧氏(呼びかけ人、ルポライター、かねて「原発ほどカネで人間を支配する汚い事業はない」と語っている):
「野田首相の国連での原発再開表明は市民に敵対するものだ。原発社会から脱却する脱原発運動は文化革命で、意識を変えていく運動でもある。人類は核と共存することは絶対できません。1000万人署名、来年3月24日に日比谷野外音楽堂で署名を集会を開きます。それまで皆さん、がんばってください」
2、大江健三郎氏(呼びかけ人、ノーベル文学賞作家):
「自民党幹事長は『反原発と叫ぶのは簡単だが、生活をどうするのかということに立ち返ったときに、(イタリアのように)国民投票で不安な原発再開をやめましょうという簡単な問題ではない』と言ったが、原発事故が簡単な問題のはずはない。はっきりしていることは、イタリアでは、もうけっして人間の生命が原発によって脅かされることはない。しかし私たちの日本では、いつまた原発事故が起こるかもしれない不安がつきまとい続ける。私たちがそれに対抗するという想像力を持たない政党の幹部や経団連の実力者に思い知らせる必要がある。そのためには私らには、この民主主義の集会、市民のデモしかありません。」
3、内橋克人(呼びかけ人、経済評論家):
「技術が進めば安全な原発は可能だという新たな安全神話の再訂版が作られつつある。地下原発など、なおかつ原発を持ち続けようとし、その計画が進んでいる。その意図の裏には、核武装も可能な潜在力を持ち続けようとする政治的意図がある。原発のエネルギーではなく、命のエネルギーが輝く、そういう国にしようではありませんか。さようなら原発!こんにちは、命輝く国!その第一歩を皆さんと共に歩き続けたいと思います。」
4、落合恵子氏(呼びかけ人、作家):
「イマジン、想像して下さい。『子どもはどの国・どの社会に生まれるか選ぶことはできない。そして生まれてきた国に原発があって、その暴走があったのが今の私たちの社会』。想像してください。福島のその声と子どもたちの今を。そしてこの国の大勢の子どもたちの今を想像して下さい。放射性廃棄物の処理能力も持たない人間が原発を持つ、その罪深さを叫んでいきましょう。容易に核兵器に変わり得るものを持つことは、恒久平和を約束した憲法を持つ国に生きている私たちはけっして許容してはならないはずです。想像して下さい。小さな子どもが夜中に突然起きて、『放射能こないで』と泣き叫ぶような社会を、これ以上続けさせてはいけないはず。」
5、澤地久枝氏(呼びかけ人、作家):
「広島・長崎は原爆の実験場にされた。その日本に原発が54基も。日本は原発を持ってはいけない国だったはず。人類はその暴走を止めたり、コントロールするノウハウを未だ持ってはいない。原発をなくしたら電力が乏しくなり、日本経済や雇用は成り立たない、二流・三流の国になると、威嚇まじりに語られる。しかし、そのような萎縮しがちな世相は原発事故以前から慢性症状としてあったのではないか。
命を産み育む女性たちの役割を果たすべき時は今です。命を守る闘いには老若男女みんな一緒に力を合わせましょう。」
6、フーベルト・ヴァイガー氏(ドイツの環境団体代表):
「ドイツでは、福島の事故の後、デモが起こり、政府は8基の原発を停止し、その他も2022年まで停止することを決めました。最大の産業国の一つで脱原発が実現するのです。脱原発はもはや、できるかできないかの話ではなく、政治的にやるかやらないかの話しなのです。再生可能エネルギーの拡大によって、それは可能なのです。半年前にこの国で起こったことは、日本でもどこでも二度と繰り返してはなりません。核兵器のない、原子力発電のない未来を、ともに実現いたしましょう。」
7、山本太郎(俳優、所属事務所を辞めた):
「生きたい、生きていないとどうしようもないじゃないですか。自分一人ではどうしようもない。世界中のみんなと生きていないと意味がない。いま生きのびるためには原発をいっせい撤去するしかない。目の前の利益を守りたい者たちにとって、その発言は目ざわりだろう。でも僕たちは違う。命で語っていますから。メディアにとって命よりお金のほうが大事なんです。もう替わりのエネルギーはあるのです。電力は足りているのです。いま大人のすべきことは、子どもを守ること。そのためには行動を起こすことです。原発反対!子どもを守れ!命を守れ!地球を守れ!」
8、武藤類子(ハイロアクション福島原発):
「山は青く、水は清らかな私たちの古里。3.11原発事故を境に、この空中に、目には見えない放射能が降り注ぎ、私たちは被曝者となりました。安全キャンペーンと不安の狭間で引き裂かれていく人と人のつながり。地域で、職場で、学校で、家庭のなかで、どれだけの人が悩み悲しんだことでしょう。毎日毎日、いやおうなしに迫られる決断。『逃げる、逃げない。食べる、食べない。子どもにマスクさせる、させない。洗濯ものを外に干す、干さない。畑を耕す、耕さない。何かに物申す、黙る』。様々な苦渋の選択がありました。そして今、半年という月日のなかで次第に鮮明になってきたことは、『事実は隠されるのだ。国は国民を守らないのだ。事故は未だに終わらないのだ。福島県民は核の実験材料にされるのだ。莫大な放射能のゴミは残るのだ。大きな犠牲のうえに、なお原発を推進しようとする勢力があるのだ』ということ。私たちは静かに怒りを燃やす東北の鬼です。私たち福島県は故郷を離れる者も、とどまる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支え合って生きていこうと思います。私たちを助けて下さい。どうか福島を忘れないで下さい。生きることは、誰かが決めたことに従うことではなく、一人一人の、本当に、本気で、自分の頭で考え、確かに目を開き、自分で出来ることを決断し行動することだと思うのです。一人一人に、その力があることを思い出しましょう。私たちは誰でも代わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。」メディア―この集会・デモの取り上げ方(世界11月号の「メディア時評」参考)
大きく取り上げているのは東京新聞ついで毎日新聞・朝日新聞
写真なしで小さく扱っているのは読売・日経・産経
後者の3紙は社自体が原発推進派。この3紙を取っている人は脱原発運動など大したことないと思っているだろう。
日本のマスコミはけっして公正・中立ではないのであり、世論はこのようなマスコミによってリードされているのだ。