米沢 長南の声なき声


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命(随時加筆)
2011年10月09日

(1)もらった命
NHK番組「日野原重明100歳―いのちのメッセージ」を見て。
 教訓―(天から)「与えられた命」(もらった命)、時間に限りのある命なのだ、ということ。与えられた時間(年月)内に、その命をどう使えばよいのか、を念頭に入れて日々生きること。
 与えられた命(もらった命)ならば感謝(恩返し)があって然るべきだということ。
   それをどう使うか―自分自身の利己的な欲望を充たすために。
            それとも、人のため、社会のために―ミッション(使命・任務)―人を助け、人(家族・愛する人)を幸せにするため(目的)―その手段となるべきところの、ある仕事・ある事業・ある勉強の目標にひたすら取り組む―そこに生きがいを感じる(命が輝く)
  成果が見えれば(結果が得られれば)達成感・満足感が得られる。
  成果が見えなければ(結果が得られなければ―今こうしてホームページを開いて発信しても、誰も見てくれないとか)自己満足にすぎない空しさを感じるが、一生懸命取り組んでいるそのプロセス(過程)で生きがいが得られる。(他人に感謝されて満足感が得られようと、感謝されることのない「自己満足」であろうと、自己満足であることにはかわりないのだ。)
 <要するに>命、輝くとき―心の充実感すなわち自己満足が得られたとき。
  人間のやることはすべて自分の自己満足のため―一見、「私心なき利他行」とか「無償ボランティア」とか「自己犠牲」といっても、それをやるのは、それに一生懸命取り組むことによって心の充実感が得られ、ひいては人から評価され感謝されて満足感が得られるから、即ち自己満足が得られるからにほかならない。
  ただし、まったくの趣味・道楽か、「自分は世のため、人のため」のつもりでも結果は得られず誰も感謝してくれず評価もしてくれない、といった場合の自己満足と、人から感謝され評価してもらえる場合の自己満足とでは、客観的な価値と満足の度合いが違い、後者(人から評価あるいは感謝してもらえる)場合のほうが、価値が高く、より満足感が得られる。
 
 長野県飯田市の一会社員(56歳・男性)が円周率(3.14・・・・)の小数点以下10兆桁まで出して(自宅の自作パソコンで計算)ギネス世界記録を獲得した。「これは何に役立つのですか」と訊かれ、「別に役には立たないでしょう。ロマンですよ」と答えていた。要するに「道楽」で、前者のほうの自己満足の部類だろう。
 
 いずれにしても、こうして、与えられた命と時間を使って精一杯生きる―一生懸命生きる(「命を懸ける」・「命を輝かせる」)
 (震災で家や家族や愛する人を失ったとか、仕事を失ったとか、耐え難いいじめにあっているとか)たとえどんなに辛いことがあっても(絶望感にうちひしがれても)、けっして自分の命を断ってしまう(自殺にはしる)ようなことがあってはならない、ということ。
 
 もう一人今年100歳になった人に、詩人・柴田トヨさんがいる。この方が、この度の震災にさいして詠んだ詩は次のようなものだ。
       「最愛の人を失い
       大切なものを流され
       あなたの悲しみは計りしれません
       でも 生きていれば
       きっと いい事はあります
       お願いです
       あなたの心だけは流されないで
       不幸の津波には負けないで―被災地のあなたに」
   この方の詩は、かねてより詩集を買って読んでいたが、それには
       「くじけないで
       ねぇ 不幸だなんて溜息をつかないで
       陽射しやそよ風はえこひいきしない
       夢は平等に見られるのよ
       私 辛いことがあったけれど
       生きていてよかった
       あなたもくじけずに」  

これをHPに打ち込んだ翌日(10月10日)、NHKで三つのドキュメンタリー番組があった。
   柴田トヨさんの被災者を励ましている詩のことを取り上げたもの(「不幸の津波に負けないで」)。
   人気アイドル・グループSMAPの、デビューから20年の秘話、被災地小学校訪問、北京公演の舞台裏などを取り上げたもの(「プロフェッショナルSMAPスペシャル!」)―表舞台とは裏腹の厳しくも、ひたむきな姿。
   世界的指揮者・小澤征爾76歳の闘病と復活(「執念」)―いわく「命につながっていますね、音楽というには」(昨年、食道がん手術、公演再開するも、この夏の終わりに再び入退院、目下来年の公演を目指して意欲満々)。
  それに、その翌朝のNHKニュース番組(「おはよう日本」)の中で、88歳の老婦人で、100M走・200M走とも、その年齢での世界記録をとった(小学校1年生の男子と競走して「いい勝負」)という話題
を取り上げていた。
 いずれも、与えられた時間を命懸けで生き、命を輝かせているのだ。

 しかし、「与えられた命」「与えられた時間」といっても、中には、あまりの苦痛・辛苦に耐え難く、「もうたくさんだ!」、「もういい!」「生きるのやめた!」「死なせて!」という人がいることも現実。そのような人に対しては、なんとかして、その苦痛を和らげ、取り去る医療措置を講じることができるような医療の改善・向上と、窮状から救う救援措置を講じることができるような福祉の改善・向上をはかる社会の側の努力が必要。

(2)命―すべての人にとってそれは目的なのであって手段ではない
    優劣なし、優先順位なし。自分の命と自分以外のあらゆる人々の命は同等。
    自分の命を守るために、他人の命を奪う(殺す)ことはできない―「正当防衛」はいいとしても、過剰防衛になってはいけない―「自分の命をまもるためには、相手を殺すしかない」ということにはならない(モラルとして「人を殺すくらいなら自分が死ぬ」というのが正当―「軍備を持たず、どこかに攻められたらどうするのか?そのときは死ぬ。」かつては天皇陛下のために戦って死ぬことが正当とされたが、「よくわからない目的のために死ぬよりは、とことん平和を守り、攻撃を受けて死ぬ方がまだ無駄じゃない。」―日本ペンクラブ会長・阿刀田高氏)。

          


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