●目の前で子供が溺れているというとき、とっさに駆け寄って、自らの命もかえりみずに助ようとする、といった場合でも、それは本能的な愛他的欲求から発し、その欲求を満足させようとする行為なのであって、これまた「自己満足のための行為」であることには変わりない。
「だから、人間のやることはすべて自己満足のため」などという言い方をすると、なんかシニカル(冷笑的)に聞こえるだろうが、当方がそれを言うのは、自己満足とは自分が生きていることに満足することであり、それが各人にとって生きがいになるのであり、何かしたいという色んな欲求(生理的欲求、精神的欲求、社会的欲求など)があって、それを満たそうとして、あれこれやって自己満足を得る、その欲求があればこそ、それが生きる活力となるのだ、と思うからだ。
ただし、まるっきり自分一人だけの自己満足で終わる自己満足と、他者から共感が得られ、或は有難がられる自己満足とでは、満足の度合いが違い(思いどおりにいかない場合は空しさをおぼえるが、その空しさの度合いも違い)、他者の共感が得られる場合の方が、満足度が高く(空しさは少なく)、客観的な価値も高い(報酬・代金・謝礼などカネにもなる)。
●姜尚中・東大教授は「人間は本来、利他的で、共感性の高い存在」と言っている。しかしそれは、人びとは互いに、世のため人のため―家族のため、子のため、愛する人のためとか、会社のため、お客様のためとか、仲間のため、みんなのため、社会のためとか、被災者のためにとか―利他的に事を為し共感を得るということ。つまり、そうやって共に自己満足を得る、ということにほかならない。要するに人間のやることは、すべて自己満足のためなのだ。
ボランティアをするとき、「してあげます」(あなたのために)という言い方をすると違和感を持たれる。「させていただきます」(自分のために)と言えばよいのだ・・・・じゃないかな。
●女房から「あなたのやってることは皆・自己満足だ。ブログだとか、被災地さ行って手合わせてきたとか。そんな金あったら、義援金送った方がましだべ」と言われた。「人間のやってることは皆、自己満足なんだ。おまえがやってる畑でも子守りでも、人が仕事と称してやっていることも、日野原医師がやってることだっても、煎じ詰めれば自己満足」と言うと、「あんたがやってるのは、意味の無い自己満足だ」と言いやがる。この~!
人のやることは、すべて「自己満足のため」というのは間違ってはいない。
親が子を叱り付け折かんする、それは「子の躾のためだ」というが、実は「自分のため」にほかならないのだ。小池龍之介氏(21日付け朝日「『あなたのため』の裏に支配欲」)によれば、「『子どもを成長させてあげたい』という利他的な思いの背後に利己的な煩悩が隠れている。『我が子に言うことを聞かせ支配したい』という欲があって、子が親の言う通りにしないと自分がイライラするのだ(敏感な子どもは、それを見抜き、「お前のためだ」と言うその言葉の偽善に反感を持つ)」という。要するに、それは「子のため」なんだという思い込み―親の自己満足にほかならないのだということ。
ただ、「自己満足」というものには二通りあり、世のため人のためになって感謝され人々から評価されてより深い満足感が得られる自己満足と、誰からも感謝されず評価もされないまるっきりの自己満足とがあることも確かだし、前者の自己満足のほうが、より価値が高い、とも言えるだろう。
しかし、感謝されようがされまいが、評価してもらおうがもらうまいが、そんなことはどうでもよくて、とにかく溺れる子を助けずにいられなくて、自分の命をかえりみずに跳び込む「無償の愛」の欲求にかきたてられての行為、それも自己満足の行為なのだ。
要するに、人間の全ての行為は自己満足のための行為なんだな。
●「雨にもまけず、風にも負けず」・・・か。先月岩手に行ってきた時に孫たちへの土産のつもりで買ってきた木製品に、その句が書かれている。それを居間に飾って毎日目にしている。
「日の出」の絵を(「赤い太陽」と「白い太陽」の2点)自分で描いて居間に飾って、これまた毎日目にしている。「心に太陽を」・・・か。
●パソコンが故障(コードを差し込んでも、電気が入らなくなって起動できない)、データ消失の恐れがあり焦ったが、パソコン業者をしている卒業生からうまく直してもらった。買って7年以上になる。寿命が過ぎて替え時なんだな、と彼に言うと、「買い替えるとなると、新機種は今までの物とがらりとやり方が変わっていて、覚え直しが必要になりますよ」と言う。まあ、最後の一台となるだろうが、来年中に買い替えることにしようか。
ところが、昨日の新聞投稿に「年配向けのパソコンがほしい」というのがあった。「7年使って急におかしくなって画面が映らなくなったので、電器屋に診てもらったら、もう寿命だから買い替えるようにいわれたが、欲しいのはシンプルで長持ちのする、せめて10年ぐらい使用できる機種はないものだろうか」、という。当方と同じ思いをしている。但し、この投稿者は82歳・女性、当方より一回りも高齢者だ。
●寒くなって衣替え。箪笥に入れ替えをやった。夏物・冬物どちらも満杯で、着たてならない、といった状態。家の者に、「これからは、衣類は買ってくれなくなくてもいいからな!」と言った。(つぶやき―どうせ、そんなに長く生きているわけではないのだから。父の日とか誕生日とかプレゼントなら、図書券か旅行券にしてくれ。)