米沢 長南の声なき声


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最悪の結果を想定して対応
2011年09月01日

 「大丈夫だ」という楽観論と「危ない」という悲観論、両説があって、どちらが正しいか分からないという場合、どう対応したらよいのか。次のような二つの考え方があろう。
 一方は、「どうせはっきりしたことは分からないのであれば、悪い方に考えて不安にとらわれるよりは、いい方に考えて止めない方向で対応した方が賢明だ」という考え方。
 他方は、「『分からない』ということは、最悪の事態もあり得るということだから、それを回避するには止めることまで考えて対応した方が賢明だ」という考え方。
 原発事故・放射能害の場合は、どちらの考え方をすればよいのか?
 自動車事故やタバコの害などの場合ならば、「いい方に考え」て対応するとして、それが悪い方に結果したとしても、結果を被るのは、乗った人、吸った人、それらに巻き込まれた人たちだけに限られ、自己責任の部分が大きく、乗るか乗らないか、吸うか吸わないかは、各人がそれぞれにメリットとリスクを勘案して個々人が判断すれば済む話で、リスクを回避しなければならないからといって国が自動車やタバコそのものの製造・販売まで禁止したりする筋合いではない。
 しかし、原発事故・放射能害の場合は、たとえ事故発生や発症の確率はどんなに低くても、万一最悪の事態が生じてしまったら、広範な地域にわたり長期にわたって、計り知れないほど数多の人々がそれに巻き込まれ深刻な結果を被ることになり、それが国や自治体の責任となる。そのような場合は、最悪の事態を回避するには、放射能の元を断つこと、即ち原発そのものの建設・稼動を止める以外に安全・安心は得られまい。


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