●「そこのあんた、そのままでいいと思ってんの?そんな遠くから見てばかりじゃなにも変わりはしないよ」―29日朝日新聞オピニオン欄に作家・明治学院大教授の高橋源一郎氏が書いている文中の言葉。
デモを毛嫌いする人といえば権力者と体制に安住する者たちだが、「デモなんかしても、署名なんかしても、どうせ何も変わりはしないよ」と虚無的になっている人も多い。そうだ、そんなのやっても何も変わりはしないだろう。しかし、もしかして変わるかもしれない。ただ黙って何もしないでいれば(為政者は、国民の間には格別異議もなく要求もなく、みんなOKしてるんだなという意識になってしまい)絶対変わらないことは確かだが、やれば(アクションすれば)何か変わるかもしれない、ということも確かだろう。
●パソコンの故障(電気が入らず起動できない)で一週間余中断してしまった。業者(卒業生)に頼んで復旧。これまで打ち込んできたこのHPがすべてパーになってしまうのか、と心配されたが、大丈夫だった。ホっとした。
●19日、東京で行われた「さようなら原発」集会・デモに行ってきた。福島から米沢に避難してきている方たちの団体バスに(「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」からの誘いがあって)便乗。60年安保の時の集会・デモを彷彿させるような大集会・デモだった(主催者側発表6万人、警視庁では3万人と)が、違うのは子どもたち(幼児・小学生まで)が一緒だということ。それを都知事は「センチメンタリズム」といい、せがれの自民党幹事長は「集団ヒステリーだ」と言うわけだ。テヤンデー・ベラボーメ!(と、口で言ったらズーズー弁になってしまうが、活字なら打てる。)
●店に福島産の野菜・果物を置いているか、米沢中のデパート(2店)とスーパー(10店)を調べて回った(女房からは「不審者と思われるからやめて」といわれ、婿殿からは「暇でいいもんだ」といわれた)ところ、ヨークベニマル(2店)とイオン(1店)だけにしか福島産は置かれていなかった。この3店では、「福島産」と表示されたところに、福島県知事の署名入りの札が添えられ、それに「出荷前に放射能の緊急時モニタリング検査を定期的に継続実施しており、暫定基準値を下回っていることを確認しました」と書かれていた。店内に「がんばろう東北」のポスターが貼られたスーパーがあったが、そこでは福島産だけが置かれていなかった。はーてさて・・・・。
●鉢呂前経産相がしゃべったのはどんなことかといえば、それは「残念ながら、周辺町村の市街地は人っ子ひとりいない、まさに死のまちという形だった。私からももちろんだが、野田首相から、『福島の再生なくして、日本の元気な再生はない』と。これを第一の柱に、野田内閣としてやっていくということを、至るところでお話しした。」というものだった。これらの言葉のなかで「死のまち」と言ったと、それだけが取り出されて「なんということを」と非難されている。
原発周辺の住民自身が、自らの住んでいる町を「ゴーストタウンになってしまった」と言っている。(テレビで目撃した)。
9月13日の朝日のオピニオン欄では、写真家・作家の藤原新也氏は「『死のまちのようだ』と話したことの、どこがおかしいのか。ありのままだ。」「『放射能をつけちゃうぞ』という記者との瑣末なやり取りを、重箱の隅をつつくように記事にする神経も尋常ではない」と述べている。
9月15日の朝日「社説余滴」では同紙オピニオン編集長兼論説主幹代理の大野博人氏も、「何ともグロテスクな辞任騒ぎ」として次のように書いている。「メディアが問題にし、政治家が反応し、それをまたメディアが取り上げ、そのたびに騒動が肥大化、深刻化し、肝心の問題(「事故原発の周辺地域にはもうずっと住めなくなるのか、住めるようになるとしてもいつからなのか」という問題)は置き去りになる。そして閣僚の首が飛んで終わる。」と。
いや、野党はそれだけでは気が済まず、「首相の任命責任」までどうのこうのと云いたてている。
実は、鉢呂前経産相は「原発ゼロ」に言及(5日、産経新聞のインタビューで、「基本的には原発はゼロになる」と。民主党は原発への依存度を下げていく方針は打ち出していたが、原発ゼロを明言したのは初めて)していたというではないか。やはり罠にはめられたのか。脱原発依存を口にした菅前首相が猛烈な「菅おろし」の攻撃にさらされて辞任に追い込まれたのと同様に。
朝日は、17日も、鉢呂発言に関連して色々な論評を載せていた。
「オピニオン・耕論」欄では、福島市在住の高校教師詩人の和合氏、曰く、「現実に起きていることをありのままに伝えるのは、地元の人も望んでいるのです。鉢呂さんは・・・もしかしたら、ありのままを伝えようとしたのかもしれません。言葉は独り歩きしがちです。メディアは政治家をつるしあげることよりは、むしろ真意を問うためのディスカッションの場を持つべきではありませんか。」
「記者有論」では、福島総局の小寺記者、曰く、「言葉を巡る今回の騒動が原因で、福島を語ること自体がタブーにならないか、と私は心配している。」
そして、「声」欄では、自宅が警戒区域内にある方の投稿、曰く、「私も鉢呂氏の認識は正しいと思う。私はむしろ、政府に「死のまち」と宣言していただき・・・・地域の家屋敷を借り上げるなどして補償してもらった方が、新しい住宅を求めるにしろ借りるにしろ、将来の生活設計を立てやすい・・・。野党には閣僚の言葉尻をとらえたり、首相の任命責任を追及したりしている場合ではない、といいたい。」と。
●朝日は9月13日社説に鉢呂経産相が福島視察後の会見で行った「死のまち」発言について「原発事故の被害者への配慮を欠いていた」とし、帰宅した宿舎の玄関先で、追っかけ取材の記者に囲まれて行った「放射能をつけちゃうぞ」なる発言としぐさも、「あまりに緊張感を欠いており、辞任はやむを得ない」と書いている。
後者の放射能発言については、同日の朝日に検証記事を載せているが、それには、現場で自社の記者が見たのか、他社報道からの引用なのかはっきりぜず、事実関係も各社の報道がまちまちではっきりしていない様子がうかがえる(そのことを指摘した逢坂巌・立教大助教のコメントが付いている)。
同日の朝日は、「声」欄に「鉢呂氏の発言、非難は的外れ」と題して、次のような投稿を載せている。
「果たして辞任に値するような発言だったろうか。特に『残念ながら市街地は人っ子一人いない、まさに死の町という形だった』という発言は、深刻な事実を率直に表現しただけではないか。言葉の裏にも避難住民を侮辱する気配はみじんも無い。ではチェルノブイリ周辺を『死の町』と報じたメディアはなかったのか。・・・・・私も東日本大震災の被災者だ。・・・・悲惨な町の状況を見て、まさに『死の町』だと感じた。
私が今回の鉢呂氏の発言を聞き、改めてこみ上げてきたのは安全をなおざりにして原発を推進してきた者たちへの怒りだ。政治家や官僚、電力会社、学者たち。避難さるべきは事実を語った鉢呂氏ではなく、『死の町』を生み出したこれらの者たちのはずだ。その責任追及こそ、メディアの仕事ではないのか。政治家の悪意の無い素直な表現にまで目くじらを立てていたら、だれも真実を語れなくなり、現実に即した政治などできなくなる。横並びで揚げ足とりばかりする昨今のメディアの報道姿勢には強い不信を感じる。」―当方はこの方に同感!
●台風12号、死者・行方不明100名以上、またまた自衛隊の出動・活躍―自衛隊は兵器なんか持って戦争の備えなど、やってる場合ではないな。我が国にとって最大の敵は、どうやら地震・津波・台風・・・・。
我が国では、北朝鮮や中国・ロシアなどに対して火種(拉致問題や島の領有権問題など)を抱えて「脅威だ、脅威だ」と言って煽る向きがあるが、どの国も理由もなく不意に襲ってくるようなことは決してない。しかし、地震・津波・台風の襲来は必ずあるのだ。自衛隊の人員も予算も、この方に当てなければならず、兵器などに「無いカネ」をかけている場合ではあるまい。「トモダチ作戦」はアメリカとだけやって、日米同盟の軍事作戦に生かすという、そのような思惑ではなく、どの国とも「平和・友好のため」の「トモダチ作戦」を心がけ、世界のどの国へも災害救助に駆けつける・・・そうだ、「サンダーバード作戦」であればいいんだ。
●被災地めぐり―今度は釜石と大槌町へ行ってきた。そして海に向かって追悼してきた。
釜石では1,180人、大槌町では、1,450人もの方々が、亡くなったか、行方不明になっているのだ。
この人たちは何故に?それは、ただ、あの時そこに居たからであり、そこに住まいがあり、働き場があったから、というだけのこと。何の罪もなく、何の自己責任もなく、いきなり地震・津波に襲われて命を奪われ、命は助かっても住まいを奪われ、生業の手段を奪われたのだ。
この人たちを国中の皆で、義援金や物資を出し合って助け合うのは当然のこと。
それにしても、その気になって現地に駆けつけ、ボランティアに励んでいる人は大したものだ。
大槌町では毎日正午、防災無線で「ひょっこりひょうたん島」の歌を流し続けている。「苦しいこともあるだろさ 悲しいこともあるだろさ だけど僕らはくじけない 泣くのはいやだ笑っちゃおう 進めー!」
(朝日新聞「東日本大震災と井上ひさしさん」にその事が出ていた。)なるほど、そうなんだ・・・・・
大槌町ではようやく選挙が行われ新町長が決まった。本県からは、川西町から職員が派遣され助っ人に行っているとのこと。
新首相も決まったが、彼らにも頑張ってもらわなければ。菅前首相は、どんなにか大変だったろう。御苦労さん!