米沢 長南の声なき声


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「大丈夫だ」、「危ない」、どっちなのか?(再加筆修正版)
2011年09月01日

 原発事故・放射能害について楽観論・悲観論の両説がある。いったい、どちらの言ってることが正しいのか、それぞれ挙げてみると、次のような説がある。
[1]大阪大学名誉教授・医療法人病院長 中村仁信「低量放射線は怖くない―日本人のアレルギーを吹き飛ばす!」(遊タイム出版)によれば、次の如し。
 放射線は低線量(100mSv以下)であれば体に害はない。むしろ、ガンになりにくくなったり、体によい影響(ホルミシス効果)も。
 年間の被曝量が100mSvまでならば健康被害は無い。
 ICRP(国際放射線防護委員会)は年間に浴びてもよい放射線量(公衆被爆の限度)を1mSvとしているが、それは1歳から毎年1mSvを浴びても生涯で100mSvを超えないようにしたのだろう(ということは100mSv以下なら安心ということで、1mSvを超えてはいけないとか、超えると危険だとか、そういうことではない)。
 自然放射線―世界平均では2.4mSv、日本の平均値は1.5mSv(内訳―空気から0.4mSv、地面から0.4mSv、食物から0.4mSv、宇宙から0.3mSv、過去の核実験や原子力施設から0.005mSv)
   空気中からラドン吸入、食事からカリウム40や炭素14、  
   テレビからもエックス線が出ている。
 放射線を浴びると―電子がはじき出され(電離)活性酸素が過剰に出る(はじき出された電子が酸素分子に当たると、また別の活性酸素ができ、浴びた放射線量に応じて増える)。
    放射線の電離作用ではじき出された電子が直接DNAを傷つけるということも(5%だけ)あるが、放射線が体に悪い原因のほとんどは活性酸素の作用。
    発生した活性酸素によってDNAが、そしてその中に点在する遺伝子が損傷する(100mSvで1日あたり200個のDNAが損傷)―損傷したDNA・遺伝子のほとんどは修復されるが、ときたま修復できなかったものが突然変異しガンの原因に(突然変異が一つだけではガン細胞はできないが、いくつも蓄積されるとガン細胞になる。しかし体内には圧倒的な数の免疫細胞があってガン細胞を殺してくれる。が、ガン細胞が免疫細胞をすり抜けて増えていくと、本当のガンになる)。
 活性酸素(毒性もつ)―運動のし過ぎ、飲み過ぎ、食べ過ぎ、紫外線、タバコ、炎症、ストレスなどで過剰発生―これらの因子が複合的にからまると(相加的に)発癌リスクが高くなる。
 放射線によって生じる活性酸素は、これら多くの原因で出る活性酸素の影響と合算される。
 放射線を浴びたからガンになったといっても、一つの突然変異ではガンにならないので、別の要因、ストレスやタバコなど、様々な要因が長い年月の間に複雑にからんでいると思われる。
 100mSvの放射線を浴びたとはいっても、ただちにガンになることはない。1mSvや10mSvなどより、過度なストレスやタバコの方がよっぽど怖い。
 ストレスでは副腎皮質ホルモンが出て免疫細胞を殺してしまう。だから、わずかな放射線よりも、そのストレスからガンになることの方が心配。
 ただし、ストレス、タバコなどで、生体防御がぎりぎりのところかもしれないのに、意味もなく放射線を加えることはないだろう。
 低線量放射線だけではガンにならないとしても、多くの原因でガンができたとして、その何分の1かは放射線の影響だったという可能性は、否定も肯定もできない。放射線の影響だけを取り出して調べるのは難しいということ。
 原爆被爆者の発ガンも、原因は被爆だけでなく、被爆後の(熱傷、外傷のほか、食糧難による栄養不足、家族や友人の死、生活基盤の崩壊、敗戦のショック、将来への不安・恐怖など)ストレス、その結果としての活性酸素処理機能・免疫力低下(精神状態が不安定な人は免疫細胞のガン細胞への攻撃力が低下)などによる―被爆だけだったら発ガンはもっと少なかったはず。
 活性酸素は抗酸化酵素などで消去されるし、DNAに損傷が起きても修復されるし、放射線は分割して受ける(慢性被曝)ほど、後に残る影響は少なくなる(線量率効果)。
 原爆による急性被曝(瞬間的な大量被爆)と比べれば、原発事故(放射性物質漏れ)による慢性被曝100mSvは急性の10mSv(十分の1)あるいは20mSv(5分の1)に相当する。

 しきい値(ここからは体に害があり、ここまでは害はないという境目)はあるという考え方。
  100mSv以上では、ガンの発症率と放射線量は比例するが(100mSvでは1%、1,000mSvでは10%)、100mSv以下なら統計学的に有意のガンの発生はない(少しはあるかもしれないが、それは誤差範囲で意味が無いということ)。 
 胎児の奇形―100mSv、男性の一時的不妊―150mSv、一時的脱毛―3,000mSv
ただし、それらの異常は多くの人に出るのではなく、5%以下の人だけ。
  ICRPは100mSV以下で発癌のリスクがあるかどうかはわからないと。(極めて小さいリスクなのでわからない、それをはっきりさせるには、もっと膨大な数のデータがいるということ。)
  子供は感受性が高い一方、防御能力、修復能力も高いので、傷でも早く治るし、DNA損傷や突然変異ができにくく、免疫細胞も元気。
  チェルノブイリでは、子供の甲状腺ガンも100mSv以下では発生していない。20mSvで子供がガンになっているというデータはない。
 人間では、奇形が生まれるなど遺伝的影響は確認されていない。
 男子の子孫を残す生殖機能―精子をつくる細胞は(卵子をつくる細胞よりも)放射線に弱いということはあるが、150mSvで一時不妊にはなるが、じきに元に戻る。

 放射線ホルミシス―放射線は微量であれば体によい影響があるということ―紫外線などと同じく、大量では有害でも、微量では生体に刺激を与えて有益な影響をもたらす。
 ①軽い放射線を浴び続けると、活性酸素処理能力が高まる。
 ②傷ついたDNAは修復されるが、やはり放射線でDNA修復能力が上がる。
 ③DNAの傷が残り突然変異を持つ細胞は自爆させられる(このとき、p53というガン抑制遺伝子が働くが、低線量放射線によりp53が活性化する)。
 放射線治療―ガン治療も

 だから、「低線量被曝には、そんなに神経質にならなくてもよいのだ」というわけ。

[2]藤田祐幸・理学博士「もう原発にはだまされない」(青志社)によれば、次の如し。
 自然放射線は(地域によって異なるが)高くても毎時0.1μSvなのに 
 浪江町―毎時21.5μSv
 飯舘村―毎時 10.7μSv―そこでは(3月23日の時点で)土壌にセシウム137がkg当たり16万3,000ベクレル(チェルノブイリの強制避難地域の2倍程度)
 放射線管理区域―病院のレントゲン室など―外部放射線に係わる実効線量3ヶ月あたり1.3mSv(1時間あたり換算で0.6μSv、年間線量に換算すると5.2mSv)を超える見込みの区域―区域内では18歳未満の作業が禁止、妊婦の立ち入り制限―そこに福島原発周辺の浜通りから中通りにかけての広大な地域(人口100万人以上)が入ってしまっている。
 20mSv(1時間あたりでは2.3μSvで、2.3×24×365÷1000≒20)―原発で働く労働者(8万3,000人)の被曝線量の限度(彼らの内の大多数は5mSv以下に抑えられていて、20mSvまで被曝するのは稀なケース)
 政府は非常時であることを理由に、福島原発周辺住民の被曝限度を、国際標準では一般人の被曝限度が年間1mSvとなっているのから20mSvまで引き上げ(直ちに健康に影響を与えることはないとして容認)、文科省は福島県内の小中学校・幼稚園などの屋外活動制限基準をも20mSV(1時間あたり3.8μSvで、屋外8時間、屋内16時間は屋外の40%として計算すると、3.8×(16×0.4+8)×365÷1000≒20)と設定したが、その後、その上限を事実上撤回し「年間1mSv以下を目指す」というふうに修正した。
 日本で原発事故が起きれば数百万から数千万人の強制避難が必要となるが、この小さな島国ではそれが不可能なので、被曝限度を年間20mSvレベルにまで引き上げて、それ以下なら甘受せよ、としているのだ。それならそれで、せめて、妊産婦と乳幼児、小中学校の児童・生徒は状況が安定するまでの間でも、安全な所に疎開させるべき。

 ICRP(国際放射線防護委員会)
  確定的影響(非確率的影響)―ある線量を超えて被曝(大量被曝)すると、被曝した全ての人に、その線量に応じて、白内障やリンパ球減少、意識障害、全身障害など具体的な症状が現われることを指す。
  確率的影響―その個人の被曝線量に応じて、将来、ガンや白血病などの症状が、ある一定の確率で発生―しきい値はない(被曝線量に応じてその確率は変化)(そのことはICRPの勧告に明示)―どのような低い被曝でもそれに応じた影響(リスク)がある―白血病や甲状腺ガンは5年ほどしてから、通常のガンは10年以上してから発症など
     レントゲン検査やCTスキャンなど放射線被曝によってもたらされるプラスの利益(ベネフィット)を生む―ガンになるリスクより、結核等が発見されるメリットが上回る―という場合にのみ、被曝は例外的に容認されるが、被曝は常に最低限に収めなければならない。
    一般公衆の被曝限度―1mSv
    放射線作業従事者(原発被曝労働者)の限度―年間50mSvを超えず、5年間で100mSvを超えないように設定―年平均で20mSv―ところが福島原発事故では、非常時との理由で、「年間50」、「5年間」などの限度を撤廃し、100mSvまで引き上げ、さらに250mSvにまで引き上げた。
 ICRPのリスク評価―被曝線量1mSvでは将来のガン死の割合は2万人に1人(子供なら、その5倍の「4千人に1人」)、20mSvでは1,000人に1人(子供なら「200人に1人」)、100mSvでは200人に1人(子供なら「40人に1人」)―研究機関や学者によっては、もっと厳しい評価をしている。
 これらは被曝線量に応じた発ガンの確率だが、ガンになってしまった人の発病の原因が、放射線被曝によるのか、タバコが原因なのか、食品添加物が原因なのか、全く特定できない―それは因果関係が立証できないからで、被曝影響はあくまでも、統計学的な確率でしか論ずることができない。  
 被曝影響には、被曝した本人に現れる身体的影響と、その子孫に現れる遺伝的影響とがある。
 内部被曝や長期にわたる低線量被曝は免疫力・抵抗力を弱める―するとガン細胞(人間の体の中では毎日、ガンの元になるようなものが次々と新たに出来ている)が退治されずに増え続けていく。急に持病が悪化して亡くなったという話しは数多くあるが、それは免疫力の低下と遺伝子の破壊によるもの。
被曝量は、自然放射線と人工的被曝とを足し算で積み重ね、内部被曝にしても1品目だけではなく野菜・魚・水、さらには呼吸で吸い込むことを勘案して足し算していく必要がある。
 自然のリスクは受容するほかないが、人工的なリスクまで負わなければならなくなるのが問題。
 ラジウム温泉(鳥取県の三朝温泉)などで浴びる放射線はむしろ健康にいいとの主張があるが、かつて文部省が疫学調査を実施したところ、その町の住民は、一人ひとりライフスタイルが違い、朝から他市に行って働き、夜に帰ってくる人、日中も居住地にいて土を耕している人、それぞれのグループ分けをしてみると、明らかに差が出ている。しかし、疫学的調査は非常に難しく、恣意的にデータ集計を操作できてしまう危険性をはらんでいる。

 「国立ガン研究センター(今回の原発事故では、「原発で作業を行っている人以外は、ほとんど問題ない」と)に問われるのは、国民の警戒心を取り除くことではなく、全力をあげて医療体制を充実させることでは」。

 「高い規制値が設定されれば、それ以下の汚染食品が流通することを避けることはできない。原発を容認してきた国の国民として、この被曝を甘受する以外にない。しかしそれは大人の責任であって、子どもたちや、これから生まれてくる命までを、道連れにするわけにはいかない」

 山形県の被曝量は東京と同程度で、福島などと比べれば低い地域。しかし、ここから下は安全だという線引きはできない。農業に対する影響は、現在規制されている地域以外でも深刻。
 「風評被害に負けるな!」と言って、それをみんなで食べる運動をしようという向きもあるが、「それが農家を支援することになるかというと、非常に難しいと言わざるを得ないのが悔しい。」
 「じゃあどうすればいいんだ、と言われても、現時点では分からない、としかいいようがない。分からないから原発を止めろ」というわけなのだ。

[3]小出裕章・京都大学原子炉実験所助教「原発のウソ」(扶桑社新書)によれば、次の如し。
 「被曝」とは、私たちの体を作っている分子結合の何万倍、何十万倍ものエネルギーの塊が体内に飛び込んできて、遺伝情報を傷つけること。どんなわずかな被曝でも、放射線がDNAを含めた分子結合を切断・破壊するという現象が起こる。ちょっとDNAに傷ついた程度でも、その傷が細胞分裂で増やされていくわけだから、「人体に全く影響ない」なんてありえない。
 米国科学アカデミーの放射線の影響を調べる研究委員会―「被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値はない
 保健物理学の父と呼ばれ、ICRP委員も務めたK・Z・モーガン氏いわく。「当初、あるしきい値以上の被曝を受けなければ、人体の修復機構が細胞の損傷を修復すると考えていた。しかしその考え方が誤りであった」と。「低線量での被曝は、高線量での被曝に比べて単位線量あたりの危険度がむしろ高くなる」とも。広島・長崎の被爆者デ-タがそのような傾向をはっきり示している。
 被曝の損傷を乗り越えて生き残った細胞集団に「遺伝子不安定性」が誘導され、長期間にわたって、様々な遺伝的な変化が高い頻度で生じ続ける―遺伝子(ゲノム)不安定性。最近になって「低線量での被曝では細胞の修復効果自体が働かない」というデータすら出はじめている。

 年間20mSvとは、原発作業員が白血病を発症した場合に労災認定を受けられるレベル。
 被曝はあらゆる意味で危険であり、除染しないよりはした方が絶対いい。「過剰反応」と言われようと、子どもたちのためにより安全な環境を求めて対策を行っていくことが必要
 福島第一原発周辺は、将来にわたって無人地帯とせざるをえない状況。周辺住民は元に戻れない。むしろすぐに戻れるような期待を抱かせる方が残酷。無人地帯に汚染されたゴミを捨てる「放射能の墓場」を造るしかない、と。
 汚染された農地は再生できない―セシウム137は半減期が30年―この間放置―表土をはぎ取って捨てるにも、あまりに大量すぎて捨て場を確保することは困難。そもそも表土こそが豊かで必要不可欠なもの―結局は「何をやっても無理」。
 今、住民一人ひとりが「選択」を迫られている―放射能を受けながらそこで生活するか、あるいは子どもだけを逃すのか、一家でみんな逃げるか。どれも非常に苦しい。その重荷を社会全体で共有し、支えていくべきもの。

 政府は「暫定基準値」を設けてそれを超えた食品を出荷停止にし、超えなければ「安全」とみなしているが、「レベルが低いから安全」なんてことは絶対ない
 「汚染されている事実」をごまかさずに明らかに(汚染度を表示)させたうえで、野菜でも魚でもちゃんと流通させ、「放射線に鈍感になっている大人や高齢者が食べよう」。ただし、「子どもと妊婦にはできるだけ安全と分かっているものを食べさせよう。」

[4]肥田舜太郎 日本被団協原爆被爆者中央相談所理事長など歴任 世界9月号にインタビュー掲載(「放射能との共存時代を前向きに生きる」)、それによれば次の如し。
 後から出てくる症状―「ぶらぶら病」―ある日から突然、身体がだるくなって動けなくなる。
 内部被曝のメカニズム―細胞の中でたくさんの分子が互いに化学反応を起こして、新陳代謝を行って命を作っている。それぞれの元素が特有のエネルギーを持っているが、全部、100電子ボルト以下。そこに放射性分子が入ってくると、170万電子ボルトもあって、その場をめちゃくちゃにしてしまう。一つ一つの細胞が一人前の働きをしなくなり、生命活動がだんだん衰えていく。
 カナダ原子力公社の研究所のアブラム・ペトカウ博士―低線量の内部被曝によって細胞膜が破られ、中が傷つけられるメカニズムを解明―放射時間を延ばすほど、細胞膜の破壊に必要な放射線量が少なくて済むことが確かめられた。
 放射能汚染時代をいかなる心持で生き抜くのか―「世界中のどんな偉い先生でもこうしなさいとは言えません。治すためにどうすればいいかは分からないのです。」そういう被害をもう受けてしまったのなら、腹を決めて開き直る―下手をすると恐ろしい結果が何十年かして出るかもしれない、それを自分に言い聞かせて覚悟するということ。その上で、個人の持っている免疫力を高め、放射線の害に立ち向かう免疫力を傷つけたり、衰えさせたりするような生活は決してせずに、多少でも免疫力を上げることに効果があることは、自分に合うことを一生続ける。要するに放射線被曝後の病気の発病を防ぐのだ。例えば食事では、30回以上噛んで食べるとか、食後2~30分間静かにしているとか、家族で楽しくなる話題で食べるなど。放射能汚染されていない食べ物を得ることばかり気にしても、汚染された食べ物は出回っていて、残念ながら確実に被曝を防ぐ方法はないのだ。それよりも原発をやめて放射能の元を断つほうが早い。
 アメリカ―核施設から100マイル(160キロ)以内の郡に癌の発生率が増えている。
 通常の原発の運転でも、許容量と称して放射性物質が出ているのだ。
 日本はほとんどの地域が原発から160キロ以内だから、自分のやれることだけやって自分と家族だけ助かろうとしてもダメ。
 放射能から逃れるには、原発をやめて放射能の出る元を断つしかない


 [1][2][3][4]のどちらの説が正しいのか、よくわからない。原発の過酷事故など今後また起きるようなことがはたしてあるのか、放射能に汚染された産物は、本当に食べられないのか食べられるのか、(「ただちに健康に害を及ぼすものではない」と言うが、それは「いつかは害が表れるようになる」ということなのか)よく分からない。とりわけ低量被曝は「どんな健康障害を引き起こすのか世界的にも歴史的にも全く解明されておらず、安全か安全でないか分からない」のだ。「山形大学医学部放射線腫瘍学講座教授の根本建二氏は「未だよくわかっていないことをわかってもらいたい」と言っていた(6月29日、山形県置賜総合支庁主催の講演会で)。その「分からない」ということに着目しなければならない。
 「分かっていない」からには、絶体絶命というわけではないし、絶望的になる必要はない、ということにもなるが、「絶対、大丈夫だ」と安心しきれないということにもなる。
  神経質にならずに、平気でいなさいと幾ら言われても、またどんなに鈍感力を鍛えたところで、次々想定外のことが出てきて不安の種は尽きることがない。その不安を無くするにはどうすればよいか。
 それには、むしろ最悪の事態(原発の過酷事故と被曝の結果生じる最悪の事態)を想定してかかって、そのような事態に立ち至ることのないように次のような手を打つことだ。
 ①写真家・作家の藤原新也氏は「大量飛散した放射性物質が、今後人間にどんな影響を与えるか、結局専門家にもよく分からない。分からないならば『健康被害は起こりうる』という前提での危機管理が原則だ」と述べている(9月13日付け、朝日、オピニオン欄)。
 福島原発事故では、そこから「死の灰」(放射性物質)が飛散し、各地の土壌・草木・河川・海を汚染し、農水産物にしみ込んだ。こうなってしまったら、それらを高齢者や大人には甘受(我慢)させるのもやむをえないとしても、子どもや妊婦だけには、汚染度(放射線量)はたとえわずかであっても食べさせるわけにはいかないし、空気・水を吸引させ土・草木に触れさせるわけにはいかない。
 そこで、事故発生時点から今後にわたって、被曝と汚染の継続的実態把握―線量測定(モニタリング)、健康調査、健診の実施・継続。
 原発周辺地域住民の避難・疎開いつまでか継続。
 放射能汚染の除染の実施―放射性廃棄物の「仮置き場」「中間貯蔵施設」「最終処分場」をどこかに(探さなければならず)。
 正確な情報―パニック・風評被害の防止
②福島第一原発以外の全ての原発についても、技術上・管理上どんなに安全対策を講じたところで限界があるし、原発そのものをやめてしまう手を打つこと(停止・廃炉・撤去)それ以外にないだろう。
 「原発さえなければ」、それこそ絶対安心でいられるのだから。
 原発をやめれば、これ以上①のことで苦労する必要はなくなることになる。
 尚、9月11日、菅前首相、NHKのインタビューで、原発事故直後に政府として最悪の事態を想定したシュミレーションを行っていたことを明らかにしたうえで、次のように述べている。
 「最悪のシュミレーションまでいけば、首都圏を含めて何千万という単位で人が住めなくなる状況が出てくる。日本という国が、少なくとも今のような形では、事実上成り立たなくなる。そういう大きな危険性を避けるためにはどうしたらいいか、と考えた末の私の結論が、原発依存そのものから脱却していくことだった」と。

 原発事故・放射能の不安を抱えながら、電力を使いたい放題で暮らすのと、節電・省エネの制約はあっても、将来、子々孫々にわたって「死の灰に脅える」ことなく暮らせるのと、どっちがいいかだろう


 


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