「子ども手当」は民主党のマニフェストの主要な柱の一つで、「目玉政策」・「看板政策」ともいうべきもの。しかし、それが自公など野党からは「高校授業料の無償化」や「農業の戸別所得補償制度」、「高速道路の無料化」などとともに、財源をいい加減にしたバラマキだと攻撃されてきた。そして、それが、菅首相の退陣と合わせて、これらを撤回しなければ、政府にとって震災復興予算に必要な赤字国債を増発するための特例公債法案は通さないということで、首相の首とともに取引材料にされ、やむなく、民主党幹事長が「歳出・歳入の見通しが甘かった」と自公両幹事長に対して謝罪をさせられたうえ、「子ども手当」廃止、自公政権時代の児童手当復活の方向で3党間で合意した。
これらは、いったい何を意味するのか。そもそも「子ども手当」と「児童手当」は、いったいどこが違うのか。
「児童手当」(1万円だった)―子どもは家庭(親の自己責任)で育てる(教育は親の義務)―アメリカ的自己責任型―「少子化」になりがち
所得制限を設け、高所得者世帯には支給しない―受益者と負担者(納税者)が分けられる(分断)―所得税が高く、生活に余裕のある人たちだけが負担(負担者には反発も)。
しかし、扶養控除があって税金をまけてもらえる。(「年少扶養控除」―15歳以下の子どものいる世帯は所得税から38万円、住民税から33万円が控除)―所得税を払えていない人にとっては無意味だし(所得150万円以下の世帯は控除額はゼロ)、所得税をちょっとしか払えていない低所得者にとっては控除額はわずか(所得400円以下の人は税率5%で、所得税控除額38万円が5%―1万9千円に、住民税控除額33万円のほうは税率が一律10%で―3万3千円に減額され、実質的には、所得税分と住民税分と合わせて5万2千円しか控除されない)で、恩恵が少ない。一方、高所得者ほど実質控除額が多くて有利(所得2,500万円の人は税率が40%で所得税控除38万円の40%―15万2千円と、住民税控除33万円の10%―3万3千円―とを合わせて18万5千円も)―児童手当1万円はもらえないが、税金はガバっと(18万5千円も)まけてもらえる、ということ。
「子ども手当」(1万3千円、来年度から2万6千円の予定だった)―子どもは「社会の宝」だから社会全体(社会の責任)で育てる(教育は親ではなく社会の義務)―子どものいる家庭、いない家庭を問わず、また子を学校に出している家庭、出していない家庭を問わず、皆でお金を出し合う―ヨーロッパ型「普遍主義」(ユニバーサル・サービス)
所得制限を設けず子ども全員に一律支給
扶養控除なし―高所得者にとっては、所得制限なく、「子ども手当」をもらっても、控除はなくなるから、実質「子ども手当」はもらわないのと同じ(むしろマイナスになる―所得2,500万円の人なら、控除額18万5千円だったのに対して「子ども手当」は年間15万6千円だから、2万9千円のマイナス、所得1,500万円の人なら2千円のマイナス)
このような「子ども手当」という現金給付だけでなく、保育施設など公共サービスの拡充と合わせた総合的体系の中にそれを位置付けたうえで、当面、現金給付(「子ども手当」)から始めたというべきもの。
このように両者には、理念のまったく違うところがあり、単純に「子ども手当」が「児童手当」に比して不公平・不合理だとか、バラマキだとかと決め付けられる筋合いのものではあるまい。これらの詳しい説明がマスコミではなされず、民主党自身も説明不足で、国会では表面的な議論に終始し、庶民には短絡的な理解や誤解を招いているのでは。
(マスコミ―8月8日朝日新聞の世論調査で、これに関する質問は「民主・自民・公明の3党は所得制限のない子ども手当を今年度いっぱいでやめ、来年4月から所得制限のある児童手当に戻すことで合意しました。子ども手当をやめて児童手当に戻すことに賛成ですか。反対ですか。」というもの―このような質問で導き出された答えは、「賛成」が63%、「反対」が20%―実に短絡的な質問と答えになっている)
民主党が、「子ども手当」を取り下げ、「児童手当」の方が復活するとなれば、自公の前に「あえなく降伏した」とも見なされよう。尚、原発事故にともなう放射能による健康被害の度合いが大人と子どもで違い、親や祖父母が元の居住地に戻れても、子は戻れない、という場合など、かつての「学童疎開」のように、その子らの避難先の確保、保育・教育は社会の義務であり責任であると考えるべきだろう。まさに子どもは社会で育てなければならないのだ。
以上、参考―8月9日、朝日ニュースター「別刊 朝日新聞」―コメンテーター―神野直彦・東大名誉教授、峰崎直樹・内閣官房参与