米沢 長南の声なき声


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ストレステストは迷惑?
2011年07月08日

ストレステストは迷惑?
 原発再稼動にあたって菅首相がストレステスト等の方針を打ち出した。ところがマスコミから流れる論調は、それをあたかも九電の「やらせメール」と同列に迷惑がっているかのようなものばかり。一定の評価はしつつも「なぜ今なのか」困惑しているという向きもあるが、大方が悪評。しかし、「おかげで、ますます運転再開のメドがたたなくなった」という、その言い方は再稼動容認の立場に立っているよう思える。そしてそれは英断どころか、またしても首相の失策として攻撃材料にされているのだ。
 「唐突だ」とか、「ちぐはぐだ」とか、「進め方が下手」などといった指摘はうなずけるとしても、ストレステストや新しいハードルを設けること自体はけっして愚策ではあるまい。直ちに廃炉にしてしまえば完璧なのだろうが、次善の良策とも言えるのではなかろうか。
 それらの具体的な方法と内容はこれからの話しで、今のところ政府の統一見解としては、ストレステストは「必ずしも再稼動の条件にはしない方向だ」とのことだが、それでは意味がない。稼動を認める条件として厳正に適用すべきものでなければならない。
 官房長官は「エネルギー供給のことより、原子力の安全・安心の方が、優先度が高い」と述べているが、稼動推進側の圧力・攻勢に屈してはならない。

ストレステストは当然 
 原発運転再開とストレステストなどをめぐって野党とマスコミは、「テストなど唐突」だとか、「閣内不統一」だとか、「国の方針が揺らいでいる」などと、政権の混迷ばかりを大きく取り上げ、首相や閣僚がいつ辞めるのか、そのようなことばかりにこだわっているやに思われる。
 経産大臣がせっかく「安全宣言」を出して、再稼動にゴーサインが出たものと思っていたところに、首相から「ストレステスト」・「新ルール」が持ち出され「待った」がかけられて混乱を来たし不信・不安を招いている、というわけである。それは電力事業者や経産省など推進側から見ればそうなるが、国民にとっては、安易な「安全宣言」と「やらせメール」など世論誘導工作に基ずく再稼動容認、その方が不安なのであり、容認にはよくよく慎重を期し、新たなハードルを設けようとするのは当然のことだろう。
 「ちぐはぐ」だろうが、「ブレ」ていようが、充分でないものを改めるのをためらってはなるまい。「善は急げ」だ。安易に再稼動を容認して、また事故を起こされてしまってからでは遅いのだ。
 今後は、これまでどおり原発ありきの経済で行くか、それとも脱原発の方向で経済や暮らしを立てるか、どの方向をめざすのか、今こそ国民的議論の時だと考える。


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