米沢 長南の声なき声


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「首相の顔、国民は見たくない」に違和感
2011年06月29日

 先日26日の『首相の顔・・・』投稿について。首相に対しては批判があっても当然のことであり、私も批判はもっています。しかし、このような「顔は見たくない」などという言い方は如何なものか。
 それは、一つには、人物を単に「嫌いだ」「嫌いになった」と言うのとは違って、「いなくなってほしい」という、その人の存在の否定にもつながる、人格を傷つける言葉であり、気に入らない人物を排除しようとするファシズムにもつながりかねない言葉として受け取られるからです。それは内心でそういう思いをもつ分にはかまわないが、人々に言い立てる言葉ではあるまい。また自分のことを自分で自虐的・自嘲的にそう言うのはかまわないが、他人が言う言葉でもない。
 もう一つには、顔を見たくない理由としていくつかの首相の非をあげているが、それらは相手側から見れば一方的な決めつけであり、しかもそれを国民の大多数がそう思っているかのように「だから国民は首相の顔は、もう見たくない」と書き立てて流布する。それは、そうすることによって国民の「反菅」感情を煽る扇動にもなるだろう。
 いずれにしても、どうもフェアな言い方ではない。小学生の孫は、ふと「総理大臣がかわいそうだ」とつぶやいたものだ。学校で自分がそんなふうに言われたら耐えられないと思うからだろう。


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