米沢 長南の声なき声


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石原親子の反原発批判論
2011年06月25日

 石原親子(都知事と自民党幹事長)いわく。日本の産業経済と国民生活の発展は原子エネルギー利用によって支えられている。日本で原発に反対する人は広島・長崎の原爆のトラウマにとらわれている人、イタリアの脱原発の国民投票は集団的ヒステリーで、感情的な反発か、原理主義的な思想から反対していると言っているが、親子のいかにも知ったかぶりのこのような物言いこそが、反原発に対して思想的・感情的な反発で、原発というものの危険性・限界性をわきまえない無知からくる言動にほかなるまい。

 今回われわれが知り得たことは、安全・安心な原発などというものは所詮あり得ず、核兵器と同じく、この地球上で生きる生命あるものと共存できる原発などあり得ないのだというということ。
  
 原発には、そもそも次のような根本的な欠陥があるのだということ。
1、原発とは緩慢に爆発する原爆である。このプロセスは必然的に放射性物質を生む。生物にとって全く異質の毒物だ。我々の身辺にある毒物の多くは焼却すれば消える。フグもトリカブトもベロ毒素も、サリンでさえ熱分解できる。しかし放射性物質を分解することはできない。砒素や重金属など元素の毒は焼却不能だが、体内に入らなければ害はない。放射性物質は我々が住む空間そのものを汚染する。(作家の池澤夏樹氏の論稿<6月11日付け朝日新聞―文化欄に掲載>より)
2、そもそも原子炉には構造上の本質的な弱点がある。それは、(1)発電は核燃料が燃焼(核分裂)から出る膨大な熱で水を沸かして蒸気をつくり、蒸気でタービンを回して発電機を動かすことによって行われる。その運転を停止して(核分裂反応が止まって)も、燃料棒は(核分裂生成物の崩壊が続いて)膨大な熱を出し続けるので、絶えず水を循環させて冷やし続けなければならず、水の供給が止まってしまったら膨大な熱が出っぱなしになる。
(2)放射能を絶えず出し続ける核分裂生成物を原子炉の内部に完全に閉じ込める技術はない。事故になれば放射性微粒子(「死の灰」)は大量に放出されるし、それを永遠に封じ込めるのは不可能なのだということ。今回は放射性物質を閉じこめるはずの「5つの壁」(①ペレット②燃料被覆管③原子炉圧力容器④原子炉格納容器⑤原子炉建屋)のどれもが崩れてしまったのだ。
(3)使用済み核燃料(残った「死の灰」の塊)の後始末ができない―「再処理工場」でプルトニウムとカスに分け、プルトニウムを原発燃料に再利用されることになっているが、カスは高レベル放射性廃棄物(その放射能のなかには半減期が何千年・何万年かかるものもある)として残る。この大量の残りカスを後始末するところがどこにもないのだ。(使用済み核燃料を原子炉から抜き出して、今は下北半島の六ヶ所村の施設のプールに一部保管、それ以外は原発建屋など施設内のプールに放り込んだまま。モンゴル高原などで地下数百メートルの穴を掘って埋め込んでも、何万年も誰かが責任を負うなんてあり得まい。)
 要するに、原子力というものは、永遠に、人間の手ではどんなに頑張ってもコントロールし管理しきれるものではないのだということだ。

 親子はこれらのことを解っておらず、未だに、原発に反対する人はいつまでも反核感情や核アレルギーにとらわれている人間か左翼だと思い込んでいて、時代は自然再生エネルギーへの転換の時代だということを解ろうとしないのだ。


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