米沢 長南の声なき声


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原発事故対応の検証を見ると―誰なら適切にやれたか(加筆版)
2011年06月23日

 原発災害「人災」論―「人災」という場合、そもそも、地震・津波が起こるそのようなところに原発をつくってそれを運用し利用した人(国と電力会社その他)によって原発災害が引き起こされたというところから考えて人災というのであれば、その通りだと思う。しかし、今回の福島第一原発の地震・津波をきっかけとして起った事故に対する対応だけに限った狭い考えから、今回の原発災害は政府や東電、原子力安全委員、保安院などの事故対応のまずさから引き起こったととらえる向きがある。彼らは「対応を間違えなければ今回の事故は防げたはずだ」とか「これほど大事故にはならずに食い止められたはずだ」と言う。はたしてそんなものだろうか。
 今、その任に当たっている人物にリーダーシップがなく無能だから、誰か他の者がやればうまくいく、などというなまやさしいものなのか?そもそもが、現首相以外の誰か(谷口自民党総裁とか)が首相であればリーダーシップが機能するはずだと言えるような原発危機管理体制になっているのか?
 菅首相は「初動を誤った」とか、「遅い」とか、「後手後手だ」とか、「無能だ」とか、散々にこきおろされ、批判にさらされどおしで、野党は、今目の前の早急に手を打たなければならない諸事をそっちのけで、あの時首相は「なぜヘリ視察にいったのか」とか、「なぜベントが遅れたのか」とか、「なぜ注水を中断したのか」などと、初動時の不手際を突き、蒸し返しては執ように答弁を求め、国会では時間が空費されてきた。
 では実際、どういう対応をしたのか、NHKスペシャルその他の検証番組・検証記事を参考に確かめてみたい。

 原発事故対応を時系列をたどって追ってみると以下のとおりだ(参考―①6月5日放映のNHKスペシャル「原発危機・事故はなぜ深刻化したのか」②6月17・19日朝日新聞掲載の「東電の事故報告書の要旨と解説」③6月20日放映のNNNドキュメント'11「原発爆発―安全神話はなぜ崩れたか」④その他、4月10付け朝日の検証記事など。)。

3月11日(この日は、経産省が再生可能エネルギーの導入促進に関連する二つの法案を今国会に提出すると公表した日だった。)
 14:46地震発生、原子炉が緊急停止。原発周辺にある変電所や送電線の鉄塔が倒壊、発電所そのものが停電。(その頃、首相は参院決算委員会で、自らの資金管理団体の外国人献金受領問題の追及をうけている最中。天井のシャンデリアが大きく揺れ、鶴保委員長は「机の下へ隠れてください」と叫び、委員会はそのまま休憩に。首相、官房長官・防災相らと官邸地下の危機管理センターへ。)
  地震の1時間後、津波(最大5mの津波を想定して築かれたところに15mの津波が押し寄せた)―非常用の発電機やバッテリーが水没して使えなくなる。(運転員らはあたりの自動車のバッテリーを集めて計器をつなぎ、懐中電灯で照らしながら原子炉の状態を示すデータを必死に読み取る。)
 15:14 政府が緊急災害対策本部設置 
 15:37~15:41 1・2・3号機とも全電源喪失―水を供給するポンプが止まり、水が蒸発して、原子炉は空だき状態(核分裂生成物の崩壊熱による炉心溶融)へ。
 そもそも原子力安全委員会の安全指針には「(送電線の復旧、非常用の電源設備の復旧が期待できるから)長時間の電源喪失は考慮する必要はない」と書かれていた。(それを斑目委員長は「知らなかった」「全部読みながら、なんとなく、やっぱり読み飛ばしているんですね」と。)
 16:30頃、原子炉の水位など内部の様子が確認できない状態に。
 16:36  1・2号機で非常用冷却装置が注水不能に。
 16:45東電、国へ緊急事態を通報―保安院から官邸には17:30(45分遅れ)。
 首相と海江田経産相が対応協議(18:12野党との党首会談で中断あり)。
 16:57 首相が国民向けメッセージ「一部の原子力発電所が自動停止しましたが、これまでのところ外部への放射性物質の影響は確認されていません」「落ち着いて行動されるよう、心からお願いする」と。
 16:45~18:08注水不能、原子炉冷却剤漏えい(6:40頃「1号機で炉心が冷却水から露出」―後日、保安院による解析での判明)。  
 電源車―首相指示(その確保をすべてに優先させろと)―茨城や新潟など各地から50台以上集められる。
 18時頃 1号機の炉心が損傷(後日判明)。
 18:11 官邸で与野党協議―首相「救国のための協力」を要請。
 19:03(東電からの通報から2時間以上経って)政府が原子力緊急事態宣言―官房長官「くれぐれも落ち着いて対応していただきたい。原子炉そのものに今問題があるわけではございません」と。
 政府の「原子力災害対策マニュアル」(1999年に東海村で起きたJCO臨界事故後、策定。原子力災害対策特別措置法に基づき、原発近くの指揮所に対策本部を設けて中央省庁と自治体・電力会社などが一体となって事故対応にあたる手順を定めた手引書。この現地対策本部が首相官邸に事故処理や避難指示について現場に即した対策を提言することになっていた)に基づき、現地対策本部長となる経産省の池田副大臣をはじめ各省庁や東電の幹部らが原発から5k離れた大熊町にある指揮所「オフサイトセンター」に集合。ところが指揮所は停電、非常用電源設備も故障し、原子炉の圧力や温度、原発施設の放射線量などの基礎データを把握できず。電話も不通で、官邸や福島県、市町村とのやりとりは困難を極める(互いに連絡がとれず、情報がとれず、伝わらず)。機器の操作や広報対策を担う「原子力安全基盤機構」の職員や周辺市町村の職員は指揮所にたどり着けなかった。このため首相官邸は指揮所を通さず、東電本社から情報を直接収集し、冷却機能回復やベントをめぐって指揮。福島県は東電本社に直接問い合わせ、独自の判断で半径2kの住民に避難を指示したが、首相は33分後に半径3k圏内の避難を指示。翌12日以降、指揮所の機能は徐々に回復したが、放射線量が14日時点で1時間当たり12マイクロシーベルトと極めて高いことが判明。15日に閉鎖し、現地対策本部は福島県庁に移した。(6月9日付け朝日の記事より)
 危機管理センター―官邸の地下、同センター内の小部屋に限られたメンバー(首相・官房長官・経産相と原子力安全保安院・原子力安全委員会・東電それぞれの事故対応責任者ら)―情報漏れを防ぐため携帯を使わず、有線電話2台だけ。
 20時か21時頃、斑目原子力安全委員長が海江田経産相に「ベントしないと大変なことになる」と。
 20時頃、1号機の圧力容器がメルトダウンによって破損、その後、格納容器から漏えいが発生(いずれも後日判明)。
 20:50 半径2k圏内(大熊町と双葉町)の住民に避難を呼びかけ。
 21時過ぎ、(道路渋滞のすえ)電源車が現場に到着し始めるも、ケーブルの長さが足りないとか、接続プラグの形状が合わないとかで、繋ぐのにもたつき、一部の電源が繋がったのは22時。しかし、原発の電気系統自体が壊れていて冷却装置が動かず―電源車が冷却の役に立たないことが判る(吉田所長「電源をつないでもポンプが動きません」、小森常務「信じられない」と)。
 原子炉建屋内の放射線量が急上昇(10秒で0.8ミリシーベルト)、所長命令で建屋内への立ち入り禁止。
 メルトダウンに至る懸念強まり、ベント操作、注水などの必要性が云々。
  東電本店社員「本当にそんなこと(ベント)しちゃうの?そんなに簡単に言って大丈夫なのかよ」「信じられない」「この会社終わったな」と。
 21:23 首相が3k圏内の避難指示、10k圏内の屋内退避指示(爆発の危険に備えて同心円の避難区域を設定)―福島県知事と大熊・双葉両町長に要請。官房長官「万が一に備えて避難して戴きたい」と。
 21:51 1号機建屋の線量が上昇、入域禁止に。

3月12日
 1号機原子炉格納容器内の圧力が急上昇(設計上の最高圧力4気圧を超える6気圧に)
 0時過ぎ、東電、ベントを決断(ベントを開く―ということは放射性物質を放出させることを意味する―など、いまだかつて世界に前例なし) 
 0:15 首相、オバマ大統領と電話会談
 0:30 国による住民避難完了を確認
 0:49東電、政府に格納容器内の「圧力異常」を通報、ベント実施を首相・経産大臣・安全保安院に申し入れる。
 1:30 官邸で、斑目原子力安全委員長と東電関係者が、首相と海江田経産大臣に1号機格納容器の圧力上昇を伝え、「内部圧力を放出する措置(ベント)を講じる必要があります」と訴える。それをやれば放射性物質が飛散する可能性は高いが、首相らは「やむをえない」と容認。首相と経産大臣とでベント実施を決断、官房長官が東電にベント指示
 3時過ぎ、官房長官、会見してベントの実施に言及、同時に首相の原発視察を発表。(視察までベントが終わっているかどうかを尋ねられた官房長官は「東電が最終調整をしており、そんなに遠くない時間に措置する」と。)
 3:05 経産相と東電が共同会見―ベント実施を公表 
  ところが、非常時におけるベントのマニュアルには電動で行う方法しか書かれていなくて、すべての電源を失った場合どう対応するかは記されておらず、何をどうすればよいのか手順が解らず(現場では急きょ設計図を開いて、何をどうすればよいのか一から検討)、東電も現場も実行に手間取る―結局、作業員が建屋に入って暗闇の中で手動でやるしか。
 4:00東電から地元自治体へファックスで「重大事故が起こった場合、4.29kの地点で28ミリシーベルト(一般人の年間許容量の28倍)の被曝が予想される」と。
 5:44避難区域を10kに拡大
 5:46原子炉への淡水注入を開始(消防車で、防火水槽からくみ上げて)。
 6:00官房長官が東電に電話で「どうしてベントが進んでいないのか」と。
     その頃1号機で燃料が圧力容器の底に溶け落ちる(後日判明)。
6:14首相は(ベント開始の連絡に見切りつけて)ヘリで現場視察へ出発
   首相、機内で、同行した斑目・原子力安全委員長に「ベントが遅れたらどうなるんだ?」と。斑目委員長「化学反応が起きて水素が発生しますが、それでも大丈夫です。水素は格納容器に逃げますから」と。
   首相「その水素は格納容器で爆発しないのか?」(と何度も問いかける)、斑目氏「大丈夫です。格納容器は窒素で満たされているので爆発はしません」と(一貫して答える)。(しかし、この時、水素が格納容器から建屋に漏れ出していた。)
  (斑目氏、後日インタビューでいわく、「私としては格納容器を守ることだけに集中し、他のことに頭は回っていなかった」と)
 6時頃、1号機で核燃料が圧力容器の底に溶け落ちる(圧力容器損傷へ)。  
 6:50官邸がベントを命令(「なんでやらないのか、早くやれ!」と)
 7:11首相、現場に到着(首相は、迎えのマイクロバスで、隣に座った東電の武藤副社長に「何でベントを早くやらないんだ」と声を荒げる。要領を得ない返答に、会議室では机をたたきながら「私が何でここに来たのかわかっているのか」と。吉田所長から「きちんとやります」という言質を得て、やっと納得。)
 8:37大熊町の一部住民が避難できていないとの情報、避難終了後にベントすることで調整(18:37)
 9:04 1号機ベント実施に着手(首相が原発を離れた1時間後、最初の指示から7時間後、地震発生から16時間後)作業員が建屋に入って取り掛かる(現場にいられる時間は20分以内、6人が交代で作業にあたり、浴びた放射線量は最大106ミリシーベルト)。弁を開くための空気圧縮機を探していたところ、協力企業にあるとの情報を受け、探しに行くことに。
  9:55 保安院、「1号機の燃料棒が冷却水から一部露出い、被覆管が溶け始めている可能性がある」と発表。
 10:17 1号機でベント(弁の解放作業)開始。
 10:47首相ヘリ帰着
 14:30 1号機の格納容器圧力が低下、ベント成功(したかにみえた)。
 14:53原子炉への淡水注入が(防火水槽の底がついて)停止
 15:00 与野党党首会談、首相「原発の水位が上がってきているから大丈夫」と説明。
 15:36 電源車とケーブルつなぎ込みと接続が完了。
 同時刻 1号機で水素爆発―小森常務いわく、「不意をくらった」、「痛恨の極みだ」と。斑目氏いわく、「水素爆発など思ってもみなかった」「後から考えれば、あり得ることなんですけれども、そういうところに思いが至らなかったのは、私の実力の無さかも。ただ、あの時点で水素爆発を予測できた人はそんなに多くいるとは思いません」と(けが人―東電3人、協力企業2人、爆発による飛散物で敷設したケーブル損傷、電源車は自動停止、海水注入用のホースなども損傷して使えなくなる)。
 その30分後、官邸では「(爆発は)ほんとうなのか」と。2時間後に爆発を公式発表。
 18:25避難区域を20kに拡大―住民の避難(全員避難したか)確認をとるのに時間かかる。
   しかし、風向き(データ―国の放射性物質拡散予測図など―があったのに)、安全な避難ルートや身を守る方法など充分には伝えられず、知らせず。(そもそも、1979年以来の政府の原発周辺防災対策「指針」には想定範囲は原発の半径10k未満に限られ、今回のような20k、30kに及ぶ避難計画は考えられていなかった。1999年来の原子力災害対策特別措置法も事故発生時の「応急措置」や「緊急事態応急対策」は原子力事業者まかせとされていた。東電にはまともな住民避難計画はなかった。結局、直後の避難先や移動手段の確保は自治体まかせに。周辺自治体の防災計画も政府「指針」の枠内にとどまらざるを得ず。)
 19:04海水注入(試験注入)、19:25東電幹部が中断指示、20:05注水を命令、20:20海水注入開始(東電の小森常務「ダメージあるのは重々承知。注入した海水の処理は全くやったことはない」と。)―ところがこの間、現場の吉田所長は注水を続行(いわく「止めたら、死ぬかもしれないと思った」と―6月12日TBS「サンデー・モーニング」)(国会で谷垣自民党総裁は「海水注入は首相の意向で中断されたのではないか」と激しく首相の責任を追求したが、7月2日Cs朝日ニュースターの番組「ニュースにだまされるな」で北大教授の山口二郎氏は「あれはガセネタだった」「偽メール事件と同じ構図だ」と。それを受けて、経産省大臣官房付の古賀茂明氏は「そのガセネタは、かなり多くの人の証言がありますけれども、経産省の官僚がその情報を麻生さんのところに持っていき、麻生さんから安倍さんに話しがいって、安倍さんがバッと流した、というのが定説になっている。かれら官僚は『菅は危ない。あの人にまかせると脱原発に思いきり走っちゃう』と考えたのです」と。)
 20:32(爆発から5時間)首相、水素爆発の事実と避難の要請を発表。
    首相、「原発のバックアップ態勢に問題が生じている」と国民へのメッセージを発表。

 この間、「核燃料の損傷までわずかな時間しかない」など危険を知らせる重要な情報さえ現場では共有できなく、「保安院、安全委員会、東電との間で連携が十分でなく、それぞれの役割を果たさなくなっていった。官邸は彼らに不信をつのらせ、首相『この先、これからどうなるのか』3者とも何も言わないことにいらだち」、東工大など外部から科学者を招き、内閣参与として助言を求めることに。(NHKスペ)。

3月13日
 午前中、3号機で炉心が露出・損傷(後日判明)。
 8:41 3号機でベント実施。
 9:25 3号機への淡水注入を開始。
 9:08 3号機で安全弁を開けて原子炉の急速減圧実施―その操作がバッテリー不足でできず、社員の通勤用自動車のバッテリーを取り外して集め、それでやる。
 11:00 2号機でベント実施
 11:17 3号機でも弁を動かす空気ボンベの圧力が低下して弁を閉じ、ボンベ交換へ。
その頃、首相「3号機はこれからどうなるんだ?」、原子力プラントメーカー社長「3号機建屋も爆発すると思います」、首相「なんとか水素は抜けないのか」、社長「建屋に穴を開けようとしても火花が散って引火するおそれがあり、無理です」と。
 13:10頃 3号機で海水注入に切り換え。 
 
3月14日
 4:34 2号機に海水注入
 5:20 3号機でベントの弁を開く。
 9:25 3号機で淡水注入を開始。
11:01 3号機でも水素爆発―建屋の手前で自衛隊員4人が被曝、消防車やホースが損傷し、海水注入が停止。
 11時過ぎ(3号機の爆発の影響で)2号機のベント弁の一つが開けられなくなり、消防車とホースが破損して使用できなくなる。
 16時過ぎ、2号機について深刻なシュミレーションが示され、ベントができなく、空だきになって原子炉そのものが破壊される危険が切迫―吉田所長、作業員たちに語りかけ、「努力したけど状況はあまりよくない、皆さんがここから出るのを止めません」と―この日、200 人が去り、70人が残る。
 余震が続き、現場には瓦礫が散乱し、放射線量が上昇、余震や爆発で退避を迫られるなかで作業。ベントは住民避難状況を確認しつつ実施。
 16:30頃、2・3号機とも海水注入が再開。
 夕~夜にかけ、2号機で炉心が露出・損傷(後日判明)。
 22:10頃、3号機で圧力容器が破損(後日判明)。
 22:50頃、2号機で圧力容器が破損(後日判明)。
 1~3号機から空気中に放出した放射性物質の全放出量は77万テラ(兆)ベクレル(後日判明)―その放射性物質の放出は、圧力容器の破損に続いて格納容器からの漏えいが始まったこと、格納容器の蒸気を外部に逃がすベントを行ったことが主な原因だと(安全・保安院)。  

3月15日
(官邸側の証言で)東電社長が「現場から撤退したい」と電話(東電自身は「全員撤退とは言っていない」と)。
 5:35首相、東電本社に乗り込んで、「お前ら、ふざけるな、このまま放置したら、どんな事態になるかわかっているはずだ、撤退は許されない、60歳以上の人間は現場に行って自分たちでやる覚悟をもて!」と。
 官邸は東電本店に統合対策本部を設置―政治家と関係機関を常駐させ、情報共有を図ろうとする。
 6:00 4号機で爆発音(使用済み核燃料プールが原因と推定)
 6:10 2号機で水素爆発―格納容器につながる圧力抑制室が破損か。
 11:00 20 ~30k圏内の屋内退避指示
3月17日
 9:48自衛隊ヘリ、3号機上空から散水
 19:05警視庁機動隊の高圧放水車が3号機に放水

3月18日 保安院が、国際的な事故評価尺度で、当初のレベル4(戸外への大きなリスクを伴わない事故)判断からレベル5(戸外へのリスクを伴う事故で、スリーマイル島事故並み)に引き上げ。

3月19日 東京消防庁が3号機に放水

3月23日 SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム、文科省所管の原子力安全技術センターにある)による予測結果を初めて公表(原子力安全委員会はそのデータを受け取っていなかった)。 

3月24日 3号機タービン建屋内の放射能汚染水で作業員3人が被曝

3月25日 20~30k圏内の住民に自主的避難を要請

4月4日 集中廃棄物処理施設と5・6号機の地下にたまった低濃度放射能汚染水を海に放出。 

4月12日(原発震災の発生から1ヶ月後)、保安院が「レベル7」(チェルノブイリ並みの「深刻な事故」)と判断

4月13日首相が「原発周辺は10年、20年住めない」と言ったとか、言わない(本人は否定)とかでひと騒動―「計画非難だけで村民は本当に戸惑っているのに、このような発言でますます不安になる」と。(下手なことを言うとパニックの恐れ)
4月17日 東電が事故収束への行程表を発表

4月22日半径20k圏内を警戒区域に(住民を含め、原則立ち入り禁止)。半径20k~30k以遠でも飯館村など5市町村を「計画的避難区域」に指定。半径20k~30圏内などで、広野町の全域、南相馬市の一部など、計画的避難区域から外れる地域の大部分を「緊急避難準備区域」に指定。

5月3日、この日から原子力安全委員会がSPEEDIのデータをHPで公開始める。

5月16日、東電、1号機は初日からメルトダウンしていたと発表(24日、データの解析結果を公表)。

5月17日 東電が行程表の改訂版を示す。政府(原子力災害対策本部)も、これに合わせて「原子力被災者への対応に関する当面の取り組み方針」と対応の具体的道筋を描いたロードマップを決定。

6月7日 政府の事故調査・検証委員会が(第三者機関として)発会(委員長畑村東大名誉教授)。

6月22日、原子力安全委員会が原子力施設の安全指針(「長時間にわたる電源喪失」は考慮しておらず、住民避難も8~10kまでしか想定していない)を見直し始める。 
 

 東電の小森常務いわく、「なかなか想定しにくい、考えにくい状況を、頭を整理して組み立てることが難しい情報がいっぺんに来ている、そういう事態だった」、「災害が来た時どうだという話しについてはメッセージとして伝えていなくて、自分らの見えてる範囲だけを伝えていた、そういうことが、もし『安全神話』ということだとすれば、そういうことになる」と。
 斑目委員長いわく、「みんな、自分自身でしっかりチェックしたわけではないけれども、他の人がちゃんとチェックしてくれているから大丈夫なんだろうと。これは人災であって天災ではない」、「3月11日以降のことが無ければなあと、もうそれに尽きます。」
 海江田経産相いわく、「やはり『安全神話』というものがありました。緊急事態に対する対応だとか、そういうものがどうしても、まあ事故なんか起こりはしないんだから、実際には『そんなことをやったって無駄だよな』みたいな意識があった」、「政府は結果責任を負わなければならない」と。
 
 NHKスペシャルの解説は、「国も東電も原発の『安全神話』にとらわれて、深刻な事故への備えを怠ったことが、初動の失敗を招いた」、「当事者たちが最悪の事態への備えを怠り、危機を予測できず、重要な局面で、それぞれの責任を果たせなかった」と。
 そもそも日本にはアメリカやフランスにあるような原発事故の時の司令塔がない。アメリカには原子力規制委員会(NRC)―大統領の指揮下にあるが、他の行政機関から独立した強い権限をもっていて、それが事故対応の全部に責任を負う。
 フランスには事故後指揮委員会―放射能漏れ事故などが起これば電力会社に代わって対応に当たる。各省庁や軍を指揮下に置き、住民の避難から放射性廃棄物の処理まで一元的に担う。 
 ところが日本では、原子力安全委員会は政府の諮問機関程度のごく補助的な役割しかなく、安全・保安院は「規制機関」のはずだが推進機関である経産省の一部局で同省の役人たちから成っている。それぞれが中途半端に独立し、全体としてばらばらバラバラ。

教訓
巨大地震・津波と原発大事故が重なった未曽有の複合災害への対応であり、いまだかつて世界の誰も経験したことがなく、いったいどうしたらいいのか誰も解らないことに、今、遭遇しているのだということ。
 そもそも、「原子力」というものはどのように扱えばよいのか、はたして人間の手に負えるものなのか、そもそもこの地球上で生きている数多の生命と(生命や環境に対する大量破壊的な被曝の危険と背中合わせに)共生できるものなのか、科学者たちを含めて、あらゆることを本当に解っていて、起こり得るあらゆる危険を見通している人間は誰もいないのだということ。首相も、原子力安全委員も、保安院も、東大の原子力学者も、電力会社の誰もがそうだ。
 政府の対応を批判する野党や評論家・マスコミは、さも、解っているかのように、「遅い」だとか「なんで出来ない」だとか「なんでそんな行動をとったのか」などと、首相や政府の不手際や無能を責めたてるが、彼らの誰一人、解って言っているわけではないのだということ、それらのことを知ることだ。
、今回われわれが知り得たことは、安全・安心な原発などというものは所詮あり得ないのだということ。
 原発には、そもそも次のような根本的な欠陥があるのだということ。
1、原発とは緩慢に爆発する原爆である。このプロセスは必然的に放射性物質を生む。生物にとって全く異質の毒物だ。我々の身辺にある毒物の多くは焼却すれば消える。フグもトリカブトもベロ毒素も、サリンでさえ熱分解できる。しかし放射性物質を分解することはできない。砒素や重金属など元素の毒は焼却不能だが、体内に入らなければ害はない。放射性物質は我々が住む空間そのものを汚染する。(作家の池澤夏樹氏の論稿<6月11日付け朝日新聞―文化欄に掲載>より)
2、そもそも原子炉には構造上の本質的な弱点がある。それは、(1)発電は核燃料が燃焼(核分裂)から出る膨大な熱で水を沸かして蒸気をつくり、蒸気でタービンを回して発電機を動かすことによって行われる。その運転を停止して(核分裂反応が止まって)も、燃料棒は(核分裂生成物の崩壊が続いて)膨大な熱を出し続けるので、絶えず水を循環させて冷やし続けなければならず、水の供給が止まってしまったら膨大な熱が出っぱなしになる。
(2)放射能を絶えず出し続ける核分裂生成物を原子炉の内部に完全に閉じ込める技術はない。事故になれば放射性微粒子(「死の灰」)は大量に放出されるし、それを永遠に封じ込めるのは不可能なのだということ。今回は放射性物質を閉じこめるはずの「5つの壁」(①ペレット②燃料被覆管③原子炉圧力容器④原子炉格納容器⑤原子炉建屋)のどれもが崩れてしまったのだ。
(3)使用済み核燃料(残った「死の灰」の塊)の後始末ができない―「再処理工場」でプルトニウムとカスに分け、プルトニウムを原発燃料に再利用されることになっているが、カスは高レベル放射性廃棄物(その放射能のなかには半減期が何千年・何万年かかるものもある)として残る。この大量の残りカスを後始末するところがどこにもないのだ。(使用済み核燃料を原子炉から抜き出して、今は下北半島の六ヶ所村の施設のプールに一部保管、それ以外は原発建屋など施設内のプールに放り込んだまま。モンゴル高原などで地下数百メートルの穴を掘って埋め込んでも、何万年も誰かが責任を負うなんてあり得まい。)
 要するに、原子力というものは、永遠に、人間の手ではどんなに頑張ってもコントロールし管理しきれるものではないのだということ。
 核兵器と同じで、この地球上で生きる生命あるものと共存できる原発などあり得ないのだ
「安全神話」(「日本で原発事故が起きる確率は隕石に当たる確率にも等しく、絶対大丈夫、「最悪の事態」とか「過酷事故」など絶対起こり得ないとの信仰に近い過信。素人には理解しがたい高度な科学技術の結晶で、信じるしかなく、「近くに原発があっても怖くない」ということ)を前提にしてやっているので、事故など想定しておらず、災害対策―事故に対応する備え―を充分講じていないのだ。(原発周辺地域の防災対策―避難対策なども―その地域に原発を建てるという時に、「事故があったらこうします」などということは絶対言わない。事故が起きる可能性があるんだなと思われて、そんなの嫌だと言って拒否されると困るから、ろくに避難対策も講じていない。)
 「そこに活断層は存在する」「巨大地震・大津波はあり得る、それで電源喪失することはあり得る」「過酷事故はあり得る」など解ってはいても(そのことを警告する人がいても)、その確率は極めて低いから、特に対策を要しないとか、安全審査の対象にはしないとして済ませ、それらの警告は見過ごされ、原発にトラブルがあっても(制御棒の脱落事故などヒヤリとするような事故が多数起きているのに)大したことはない、重大な事故にはつながらないとして過小評価して公表してこなかったのだ。
 「絶対、大丈夫、最悪の事態は起こり得ない」という安全神話を信じきってはならないということ。
 自然災害には最悪の事態を科学的に想定してかかること。「想定外」のこととして済ませてはならない、ということ。
 M9を想定しないで作った地震計は振り切れて測定不能だったのだ。
 福島第一原発は今回のような地震と津波に対応する設計をしていなかったのだが、斑目委員長は(3月22日の参院予算委員会で)「想定を超えていた」「(原発は)割り切らなければ設計できない」と釈明している。それではだめだ。
 最悪の事態(リスク)を想定し、それが起きた場合の社会的損失(損害・危難を被る人々の数、修復・賠償などに要する経費)が許容範囲を超える場合には、その事業はやめるしかない。(自動車事故や飛行機事故ならば、それが起きる確率は高いが、一つの事故では被害はせいぜい死傷者数名~数十名、飛行機事故でも数百名の範囲に収まり、社会全体としては事故の影響は小さく、社会では許容範囲ということにされるが、原発の場合は事故の確率ははるかに低いが、一たび事故が起きた場合、その影響はあまりに大き過ぎ、社会の許容範囲を超える。)
 それに、あらゆる事態を想定してかかるべきだとは言っても、人間には全てを想定し尽くすことなどできないのであって、「想定できないものに対する完璧な安全策などありえない」のだ(6月3日、朝日新聞「声」の熊谷氏の投稿)。
 今回は大多数の人々―政治家も官僚も学者も事業者も一般国民も―にとっては「想定外」の出来事で、マニュアルなんてないか、あっても不確か。いったいどう対応したらいいのか、確かなことは解らずに蒙昧し、あわてふためいた。それが現実なのだということ。
パニック・風評被害の回避のしかた―正確なデータの公表とデータの的確な意味説明こそがパニック・風評被害を少なくする、ということ。
すべてを人のせいにして、自分がやってきた責任を省みず、自分でやるべきことをやらない無責任―とりわけ前政権党とそれを支持した人々の責任―を問うこと、自問・自己反省すること。
、この種の事故対応を、いったい誰なら適切に(はたして誰なら手際よく誤りなく)やれたか、といえば誰もいない、いるわけがないのだ、ということ。
、「原発さえなければ」と書置きして自殺された方(相馬市の酪農家)がいたが、まさに「地震や津波さえなければ」ではなく、「原発さえなければ」なのである。人の手で、そこに原発がつくられ稼動されてきた、それがこの大災難のそもそもの原因なのである。このような原発災害は、人為によって起こるべくして起こった事故なのであり、最悪の公害であり、天災にあらずして人災なのだ、ということであろう。
                                                          以上


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