あの日あの直後、外出先から直ぐ家に帰らず、しばらく経ってから帰った。外出先では、屋外にとび出したが、揺れが収まると室内に戻って、家にケイタイ電話をしたものの、つながらず、そのままそこで何人かとやりかけていたことを続行した。それでも早めに打ち切って、サイレンが鳴り渡る街を、急いで車で帰ると、かみさんが乳児一人を抱いて、2人の小学生の孫たちとテレビの前で振るえていた。「何で直ぐ帰らなかったなや」と、あれから、ずうっと口説かれ続けている。初動を誤ったというものだ。「どうせ、大丈夫だろう」と高をくくっていたのだ。「万一最悪の事態」というものを考えない安易さも反省しなくては。
米沢は山を隔てて福島の直ぐ隣だ。多くの避難者が来ているが、当の我々が避難を迫られるようなことはないのだろうか、最悪の場合のことも考えておかなければなるまい。
(1)防潮堤・防波堤
宮古市田老地区―防潮堤は高さ10m、総延長2.9kで「日本一」「日本の万里長城」のはずだったが、津波(斜面を駆け上がる遡上高で最大40.5m)は簡単にそれを乗り越え、町は飲み込まれた。
釜石市―湾口防波堤―深さ63m、全長2k、総工費1,200億円、ギネスブックで「世界一深い防波堤」と認定されていた。ところが、津波(高さ9.3m)によって、それは乗り越えられ、もろくも突き崩された。
過去の経験―明治三陸津波、昭和三陸津波、チリ地震津波など―から想定して、「大丈夫だ」と思い込んでいた。あわてて跳び出し、夢中で逃げたという人のほうが助かっている。
(2)原発―大多数の人は日本の原発は絶対大丈夫だという「安全神話」を信じ、耐震・津波対策は万全と思い込み、まさか、こんなことになるなんて思いもよらなかった。
そのような思い込みに疑問をもった人たちはいたが、少数派で、多数派から押し切られ、無視されてきたのだ。