菅首相が浜岡原発をとりあえず止めたというのは英断。例によって色々難癖をつけられているが、止めておかないわけにはいくまい。今後30年以内に(それは今日明日にも来るかもしれない)巨大地震が87%の確率で起こる可能性のある東海地震域のど真ん中にあり、世界一危険な原発といわれてきたところだ。とりあえずの措置としては当然のことだろう。ああだこうだ悠長な議論に時間を費やす暇などあるまい。
それにしても菅内閣は、エネルギー基本計画(昨年6月閣議決定)で原発を(今まで30%だったのを)2030年まで50%に増やすこととし、14基も増設することにしていた。今回のことがあって、エネルギー政策の転換が迫られており、首相も原発増設計画は白紙に戻すということは言明している。それに対して自民党など国策として原発を推進してきた勢力は「原発維持」に向けた動きを始めている。
原発維持か脱原発か、菅首相や自民党など政治家まかせではなく、国民的議論が迫られている時なのだ。原発肯定論―東電顧問・元参院議員の加納時男氏ら
「低線量の放射線は、むしろ健康によい(病気には放射線治療)」
「電源さえ喪失しなければ原発は完全に停止していたはず」
「女川原発は安全に停止している」
「原発をいま全部止めたら電力の3割は供給されなくなり、停電―産業経済・生活の抑制は必至」
「火力発電などに比べてクリーン―二酸化炭素を出さない」
「火力 などに比べて一番コストが安上がり」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だと。
リスクはしかたない?
何にでもリスクは付きもの―リスク・ゼロとか「100%安心」などというものはあり得ない。
自動車でも、飛行機でも、事故は付きもの。それらに比べれば原発事故のリスクは、むしろはるかに少ない。が、交通事故などの場合は、被害は乗っている人とぶつけられた人だけにしかおよばないが、原発事故の場合は、放射能漏出(死の灰)は何万人という数多の人に被害がおよぶ。
自然のリスク―病気・怪我・遭難・飢饉など―確率は高い―が、個人や部分的な集団を襲うにとどまる。
人工のリスク―BSE、薬害、金融危機、原発事故など―確率・極めて低い(机上の計算では何万分の1か何億分の1)―が、それは専門家集団によって安全確保のためのリスク・コントロールが施されているからで、彼らが想定したある状況の中での確率に過ぎない。想定外の出来事が起これば暴走―高度な科学技術に依存しているため、より広い範囲を、より長時間、より複雑な形で巻き込む。(開沼博・東京大学院生)とりわけ日本(「地震国」で狭い国土に人口が密集、「過疎地」はあってもアメリカやロシアなどの比ではない)では原発のリスキーは高い。
「地震国」―日本列島を挟んで4枚のプレート(北米プレート、ユーラシア・プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレート)がせめぎ合っており、活断層がいたるところに走っている―今回の超巨大地震でプレート境界のかなりの部分が破壊された。がから同じプレートの動きで起こる首都圏直下地震が誘発される恐れがあり、日本列島の広域で大地震が起こりやすくなったと考えられ、東海・東南海・南海巨大地震の発生が早まるだろうとも言われる。
浜岡原発―東海地震の想定震源域の真上―ひとたび原発震災を起こすと、最悪の場合、北東向きの卓越風に乗って放射能雲が首都圏に流れ、1千万人以上が避難しなければならなくなる。
柏崎刈羽原発―中越地震域で大活断層の上にある可能性
敦賀原発など若狭湾岸原発(13基)―そこには活断層が密集―M7.5を超えるような大地震が起これば、京阪神~中京圏を巻き込んだ原発震災になる恐れがある。女川原発はあの時、地震の揺れは、原発建屋内で計測限界の最大を超える揺れを記録し、4月7日の余震でも1号機では想定を上回る揺れの強さだった。
緊急停止はしたが、外部電源5系統のうち4系統が遮断され、残った1系統で原子炉を冷却。4月7日の余震でも4系統のうち3系統が遮断。
津波(高さ13メートル)では2号機の原子炉建屋地下3階に海水が流入し、約2.5メートルまで浸水。
発電機などを冷却する「熱交換器」が海水につかったため、非常用ディーゼル発電機2機が使用できなくなり、原子炉冷却ができなくなる一歩手前だった。
けっして「安全に停止している」などと言える状況ではあるまい。自然の猛威―人間の科学・技術は、たとえどんなに進歩しても、それによってコントロールし切れるものではないのだ。
火力発電に比べてクリーン?―それは、核反応が完璧に制御され、そこで生まれる放射性物質が完全に密閉空間に抑え込まれることを前提にしてのこと。煙(CO2など)を出さない代わりに放射線を出し、煙より始末の悪いいわゆる核廃棄物を生じる。それは使用済み核燃料だけでなく、放射能に汚染された施設部品や衣類など使い棄てられる付随的なあらゆる物品までも(それらは安全な処理方法がなく、棄てることのできない危険なゴミになり、特別なケースやドラム缶に詰めて格納され積み上げられる。それは細部のメンテナンスを必要とし、電力会社の「協力会社」と称する下請け企業などの底辺労働者の肉体作業に頼っている。彼らは被曝の危険にさらされながら働く)。
放射線は、そんなに恐ろしいものではない?
放射性物資は自然界にも存在(ウラン、ラドン、トリウム、カリウム、ラジウムなど)
普段、人々が土や宇宙線から自然に浴びている放射線量は、世界平均で一人当たり年間2.4ミリシーベルト(日本では1.5ミリシーベルト)
しかし、セシウム137やヨウ素131、プルトニウム239などは天然には存在しない(人工の放射性物質)。
医療のX線やCT―胸部X線検診は0.05ミリシーベルト、胃のX線検診0.6ミリシーベルト、胸部CTは6.9ミリシーベルト(いずれもその時一瞬浴びるだけ)
普段(今回のような事故がなければ)外部被曝線量は1時間当たり平均0.05マイクロシーベルト(地形・地質などによって幅があり、関東より関西方面が高い)(マイクロはミリの千分の1)
一般の人が年間に浴びる放射線の許容限度は1.0ミリシーベルト=1,000マイクロシーベルト(医療と自然由来を除いて)
ちなみに、(3月18日朝から4月4日朝まで24時間ごとに)各都道府県(観測所1ヵ所づつ)で測定したセシウム137(半減期30と長いため放射能汚染の程度を示す国際的指標とされる)の1平方メートル当たり降下量の総検出量が最も多かったのは(震災で計測困難となった宮城県・福島県を除いて)茨城県ひたちなか市(2万6,399ベクレル)で、山形市は(3月29日までの暫定値7,988ベクレルで)2番目に多く、3番目は東京新宿区(6,609ベクレル)だったという。(文科省調査、4月6日読売新聞に掲載、)(これらの降下総量から1年間屋外にいた場合の被曝量を算出すると、ひたちなか市は0.4ミリシーベルト、新宿区は 0.1ミリシーベルトで、胃のX線写真一回分0.6ミリシーベルトよりも少ない。専門家は「飛散量の減少が続いており、現状では健康への影響はない」と。
[註:ミリシーベルトとベクレル―放射性物質(ウラン・セシウム・ヨウ素など種類が色々)を蛍でたとえると、光は放射線にあたり、その線量(まぶしさの度合い)を測る単位がシーベルト、光を出す能力が放射能にあたり、その強さは放射性物質(蛍)の種類によって違うが、それぞれの蛍の数(放射能の強さ)を測る単位がベクレル。]放射線技師・研究者など業務従事者が浴びてもやむをえない許容限度(年間)50ミリシーベルト(5年間で100―年間では20ミリシーベルトと定めている場合もあり)
原発施設作業員の被曝許容限度は100ミリシーベルトだったのを今回250ミリシーベルトに引き上げた。実際に健康に影響が出始めるレベルは100ミリシーベルト(発癌リスクが0.5%増えるが、タバコよりもリスク低い)。それ以下なら「直ちには健康に影響すことはない」というが、癌で死亡する確率が上昇するのは100ミリシーベルト―100人のうち癌で死ぬ人が30人から30.5人に増える(1,000人の場合なら、癌で死ぬ人が5人増える)ということなのだ。
被曝量と発癌リスクはほぼ直線的に比例すると考えれば200mSvなら発癌リスクは1%、20mSvなら0.1%(「1000人に1人」)、1mSVでは「10万人に5人」と仮定されることになる。国が定める避難区域の目安は年間20ミリシーベルト(線量がそれ以上出ている所は避難指定)
<急性放射線障害>
100~250ミリシーベルトではリンパ球・白血球の一時的減少程度
リンパ球が減少するのは500
吐き気など1,000
皮下出血・脱毛・下血・嘔吐・下痢・発熱などの症状が現われて50%死ぬのは3,000ミリシーベルト
放射線で100%死ぬのは7,000ミリシーベルトも浴びた場合
しかし、被曝線量が(100ミリシーベルト以下だとか)少なければ安全ということにはならない。それは発癌などの確率が下がるというだけで、数年~十数年後に発癌するとか遺伝的障害<晩発性放射線障害>の可能性が付きまとう(いったん被曝すると、そのリスクは消えず、被曝が重なると、それが積み重なる)。だから、これ以下なら大丈夫という限界線量はないのだ、ということ。(「直ちに健康に影響することはない」というのは、そういうこと)
放射線というものは、どんなに微量であっても危険性をもつ―1.0ミリシーベルトで10万人に5人(20ミリシーベルトでは100人)が死ぬ可能性も
子供は大人よりも3~5倍(成人した人では、一部の細胞しか分裂していないが、分裂している細胞がガン化しやすい。ところが胎児や子供では分裂している細胞がたくさんあるので、彼らは放射線の被害を受けやすいことになる。)
線量がCTスキャンやX線と比べて大したことはないという言い方をするが、それら外から浴びる一過性の外部被曝に対して、内部被曝をそのまま比べることはできない。
漏出・飛散した放射性物質は塵埃に混じり、雨とともに地表に落ちて畑の野菜や牧草に付着し、牧草を食べた家畜の肉や牛乳に含まれ、川や湖から引き込まれた水道水に混じり、海ではプランクトンや海藻に付着し、エサを通じ或は海水からエラなどを通じて魚の体内に取り込まれ、小魚から大型魚へと食物連鎖を経るにしたがって濃度が高まる。それらはたとえ微量でも人間の体内に取り込まれると細胞に付着するので24時間ずっと放射線を浴び続けることになるし、体内器官に蓄積される。その内部被曝の危険度はX線や飛行機に乗って浴びる宇宙線などとは事が違うのだ。
放射線は各細胞の核を貫き通し細胞核の中のDNAを傷つける(切断する)ことがある。普通の場合は修復されるが、複雑な損傷の場合は修復不可能になってしまう。
細胞の損傷が少しなら修復されるが、元通りにならない細胞がそのまま残ると癌細胞になる。被曝には体外からの外的被曝と体内での内的被曝とがある。
細胞の傷が修復するひまがないほど短期に多量に浴びた場合(確定的影響)―やけど・脱毛など。
細胞が傷ついて修復されずにそのまま残って10年以上してから起こる(確率的影響)―100ミリシーベルト以上浴びた場合、癌よる死亡確率は(100ミリシ-ベルトごとに)1,000人に5人の割合で増える。
政府が発表する時に「ただちに健康には影響がない」という場合、それは外的被曝による確定的影響のことで、内部被曝を含めた確率的影響のほうはありだということでもある。放射線は、そもそも人間ばかりか生き物の存在とは相容れないもの―個々の生命の持続と、その世代的再生産を支えている遺伝情報に混乱をもたらす―染色体を切断してしまい、その異常染色体は遺伝情報を狂わせて次世代に変異を引き起こす。生き物にとっては、個々の生命体だけでなく、種の存続が危うくなるということ。そして人間にとっては、いま生きている人々だけでなく、これから生まれる子どもたちが世代を超えて影響を受けることになる。(西谷修・東京外語大学院教授、世界5月号より)
コストが火力など他に比べて安上がり?
立命館大学の大島堅一教授によれば
電力会社が出しているコスト(キロワット時当たりの金額)(04年)は
水力11.9円 、 石油火力10.7円、 天然ガス火力6.2円、 石炭火力5.7円、 原子力5.3円
これはモデル計算(稼働率を80%に設定するなど、ある一定の条件を想定しての計算)で出した数値で、ほんとうにかかったコストではない。
1970~07年(約40年間)に実際かかった原子力発電コストでは、使用済み燃料処理費・放射性廃棄物処理費・廃炉費用それに立地自治体への交付金・電源開発促進税など税金分まで含めれば10.68円にものぼり、火力9.8 円、水力7.8円を上回って一番高い。
そのうえ今回のような震災事故にともなう補償費・賠償費を加えれば、はるかに高くつくことになる。自然再生エネルギー―太陽光・風力・地熱・潮力波力・バイオマスなど。木炭水性ガス発電も
それら日本の自然エネルギーの潜在力は原発の総発電量の40倍を超える
風力―日本全体で約2,400~1億4千万キロワット分―原発の7~40基分に相当(環境省の試算、土地利用や技術上の制約それに事業としての採算性などの条件を考慮し、固定価格買取制度などの普及策だけでも)
分散型小規模発電システム
従来方式―過疎地の電力基地から長距離送電―電力会社の経営リスクと立地自治体の財政リスクそれに長期電力不足のリスクをも抱えている。
それに対して、自然エネルギーの活用拡大を含む消費地内での分散型発電システム―全量全種の固定買取価格制度
工場に自家発電機―現在実施企業の電力量合計6,000万kw―日本中の工場がそれでやれば今ある原発分の電気が賄えるという。
省エネ―人間の生き方として野放図な電力方式の抑制―ライフ・スタイルの転換。
ところが電力会社は東京電力・東北電力・関西電力などの10社がそれぞれ地域独占、原発など発電と送配電を両方とも一手に握った電力会社の下で、原発偏重がおこなわれ、それら自然エネルギーの開発・利用が抑えられてきた)。
電力料金 電力会社は市場をほぼ独占状態においており、経費を電気料金に自在に上乗せできる。
コストに広告宣伝費・政界工作費(自民党に献金または同党の機関紙へ広告料)・学者工作費(学術振興費)・マスコミ対策費(スポンサーになって)などが入っている。
AC(公益社団法人ACジャパン)の役員74人中8人が電力会社の幹部。
電気料金―キロワット当り55銭、多くても7円以下というが、国の特別会計(電源開発促進税、年間3,500億円)の中から支出されている補助金などを含めれば、ほぼ11円にもなっている。
脱原発論
<京都大学原子炉実験所助教授の小出裕章氏の論>
原発54基すべて止めたとしても電力供給には何の問題も生じない(水力と火力で間に合う)。
二酸化炭素を出さないことがいいことであるかのように言うが、二酸化炭素はそもそも地球生物(植物の光合成、動物は植物を食べて生息)にとっては必要不可欠なもの。
原発からは「死の灰」「核のゴミ」(放射性廃棄物)という毒物が生じる(たとえ漏出事故などがなくても)。
使用済み核燃料など高レベル放射性廃棄物など棄てる場所が日本にはない(「トイレのないマンション」の如し)。<飯田哲也・環境エネルギー政策研究所長の論>
原発―電力供給量の3割を占めるというが、それは幻想で、実際は老朽化して停止中のものが多く稼動しているのは半分以下にすぎない(54基のうち、停止中18基、震災で停止したのが14基で、稼動しているのは22基だけ)。
自然エネルギーは現在(大規模水力も含めて)1割だけだが、10年後3割まで上げることが可能(天然ガス―現在の35%が30%に、石油・石炭―25%が10%に、省エネ・節電で10%減らし、原発は10%に下げる)。
(同研究所長のプラン)東北電力管内では、2020年には、消費される電力(851億kw時)をすべて風力(50%)・小水力(25%)・太陽光(14%)・大規模水力(10%)・地熱(9%)・バイオマス(2%)などの再生可能エネルギーでまかなうようにする(エネルギー効率の向上などによって全電力を08年から2割削減されると想定。石炭石油火力も原子力もゼロに)。これらのことを考えると、原発維持か脱原発か、さあ、どっちがいい?孫どもよ!
<参考>テレビ―CS朝日ニュースター―「パックイン・ジャーナル」、「ニュースにだまされるな」
世界5月号、朝日新聞その他[追記]原発の根本的な欠陥
原発には、そもそも次のような根本的な欠陥があるのだということ。
1、原発とは緩慢に爆発する原爆である。このプロセスは必然的に放射性物質を生む。生物にとって全く異質の毒物だ。我々の身辺にある毒物の多くは焼却すれば消える。フグもトリカブトもベロ毒素も、サリンでさえ熱分解できる。しかし放射性物質を分解することはできない。砒素や重金属など元素の毒は焼却不能だが、体内に入らなければ害はない。放射性物質は我々が住む空間そのものを汚染する。(作家の池澤夏樹氏の論稿<6月11日付け朝日新聞―文化欄に掲載>より)
2、そもそも原子炉には構造上の本質的な弱点がある。それは、(1)発電は核燃料が燃焼(核分裂)から出る膨大な熱で水を沸かして蒸気をつくり、蒸気でタービンを回して発電機を動かすことによって行われる。その運転を停止して(核分裂反応が止まって)も、燃料棒は(核分裂生成物の崩壊が続いて)膨大な熱を出し続けるので、絶えず水を循環させて冷やし続けなければならず、水の供給が止まってしまったら膨大な熱が出っぱなしになる。
(2)放射能を絶えず出し続ける核分裂生成物を原子炉の内部に完全に閉じ込める技術はない。事故になれば放射性微粒子(「死の灰」)は大量に放出されるし、それを永遠に封じ込めるのは不可能なのだということ。今回は放射性物質を閉じこめるはずの「5つの壁」(①ペレット②燃料被覆管③原子炉圧力容器④原子炉格納容器⑤原子炉建屋)のどれもが崩れてしまったのだ。
(3)使用済み核燃料(残った「死の灰」の塊)の後始末ができない―「再処理工場」でプルトニウムとカスに分け、プルトニウムを原発燃料に再利用されることになっているが、カスは高レベル放射性廃棄物(その放射能のなかには半減期が何千年・何万年かかるものもある)として残る。この大量の残りカスを後始末するところがどこにもないのだ。(使用済み核燃料を原子炉から抜き出して、今は下北半島の六ヶ所村の施設のプールに一部保管、それ以外は原発建屋など施設内のプールに放り込んだまま。モンゴル高原などで地下数百メートルの穴を掘って埋め込んでも、何万年も誰かが責任を負うなんてあり得まい。)