米沢 長南の声なき声


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5月のつぶやき(随時加筆)
2011年05月02日

●孫は肺炎、マイコプラズマなどに加えておたふく風邪まで併発し、丸一週間入院して帰って来たが、しばらく自宅療養。ところが、当方が咳き込みだして連発する度に脂汗をかいている。熱は37度台だからたいしたことはあるまい。
●入院中の孫の見舞いに絵を描いてもっていった。お日さまが「いない、いない、バア」して山の上に出てきた絵だ。
●一番下の孫(来月で3歳)が、先週からコンコン咳をして熱をだし、41度以上にも達して、掛かり付けの医院から市立病院に回され、そこでの診たては肺炎・気管支炎にマイコプラズマ症候群(?)をも併発し、RS型ウイルス(?)の感染症状も診られるとのことで、急きょ入院、酸素補給器を付けられ、24時間点滴。「帰る~、帰りたいよ~」と泣きわめいたとのこと。・・・・かわいそうに。 でも頑張れ!頑張るんだ!

●5月12日米沢市営体育館を覗くと、フローアは、毛布がたたまれて脇に積んであり、そこには避難者は誰もいなかった。係員に訊くと武道館の合宿所に3家族残っているだけ。あとは市内の雇用促進住宅に646人、県の借り上げ住宅に215人、温泉旅館・ホテルに138人、市営住宅に5人、合計1,000人余が分かれて2次避難しているという。

●ツィッター(「はてな匿名ダイアリー」)にこんなのがあったと、娘が見せてくれた。
(・・・・の部分は中略)
「頑張ろう、頑張ろうって言うけど、家が流されたんだよ?
・・・・・・・・
もう、なーーーんもない。どう考えたら、今頑張れるんだよ。
ちょっとでも頑張れる何かが、今俺たちにあるのか?
『いや、今はこっちで頑張るから、おまえらは1年ハワイでゆっくりしてきな』とか言われたい。『おまえらが帰ってくるまで片付けとく、家も建てとくから』とか言われたい。そしたら、俺だって頑張るよ。
・・・・・・・・・
流された人を何人も見た。顔見知りも流された。
俺、一人で逃げてきたわけ。
誰も助けなかった。おばあちゃんとか、何人も追い抜いて逃げた。
重そうなもの持ってる人とかもいたのに。
・・・・・・・・・・・
町を見ると死にたくなる。
自分の人生は、もう終わったなって思うよ。
・・・・・・・・・
何も希望なんかないよ。
そんな俺たちがさ、避難所で、CMでアイドルや俳優を見てさ、
『一緒だよ、一人じゃない』とか言われるたびに、
・・・・・・・
おまえに言われたくないと。ほんとに。何も言わないでほしい。
大丈夫なわけがない。
・・・・・・・・・
何か、できることあるかって?正直、不幸になってくれたら嬉しい。
俺たちの分、そっちもみんな不幸になってくれたらなー。
・・・・・・・
俺たちを想って歌とか作られても今は不愉快だから、
東京も全部流されて、それでも『頑張ろう』って言われたら、頑張るよ。その人の歌なら聴く。
知らないやつに、馬鹿みたいに『頑張って』とか『大丈夫』とか言われると、今は正直、消えてほしくなるよ。
募金は嬉しいよ。で、ボランテアじゃなくて、ビジネスで、仕事として町を復興に来てくれた方が、こっちも気兼ねなく色々頼めて気が楽。
正直、ボランテアに『ありがとう』とか言うのも苦痛。」

 これに対してトラックバックには色んなのが。「とてもわかる心理」とか、「では、私が頑張ります」とか、「は?甘えてんなよカス」とか、「死んだほうがマシなら死ねばいいじゃ」とか。

 岩手県の二戸市(津波の被害はなし)のある保育園(ちゃいるどスクール)の園児が一生懸命歌った「空より高く」という合唱のテープを岩手放送が流したところ、避難所では涙ながらに聴き入っていた人もいて、岩手ではリクエストNo1の曲になっているとのこと、どこかのテレビが紹介していた。それは次のようなもの。

 『空より高く』 (作詞・作曲者はそれぞれいるが、曲は途中からスコットランド民謡のアレンジで「蛍の光 窓の雪・・・」のメロデー)
1、人は空より高い心を持っている
  どんな空より高い心を持っている
  だから もうだめだなんて あきらめないで
  涙をふいて歌ってごらん
  君の心よ高くなれ
  空より高く 高くなれ
2、人は海より深い心を持っている
  どんな海より深い心を持っている
  だから もういやだなんて背をむけないで
  見つめてごらん 信じてごらん
  君の心よ 広くなれ 空より広く広くなれ
  君の心よ 強くなれ 海より強く強くなれ

 上記のツィッターの被災者は、子どもたちのこの歌を聴いたらどう思うのだろうか。

●GWの初日、娘一家の一泊旅行につきあった。「がんばろう東北」へと向かったが、東北自動車道を北上して盛岡から、海とは反対側の岩手山麓・小岩井農場と雫石へ、ワゴン車に乗せられて行ってきた。帰途、仙台に立ち寄ると、あちこちに 崩れた屋根をブルーシートで覆った家や外壁が崩れ落ちた建物、波をうつように歪んだ道路など。荒浜の近くと思われるところまで行って、津波の爪痕を目の当たりにしてきた。婿は孫たちに「よく見ておけよ」と諭していた。
 


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