米沢 長南の声なき声


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普天間問題は決着しておらず「安保」が争点に
2010年06月02日

普天間問題の核心をなす争点は次の3点だと思う。
①住民の「負担」(有事に際して標的にされる危険や墜落事故などの危険、爆音や米兵犯罪などの迷惑被害)の軽減・解消のためには―
 普天間基地の無条件閉鎖・撤去か、代替地への移設か。移設なら沖縄県内に(反野古周辺へ―「基地のたらい回し」)か、他県へか、それとも国外へか(グアム・テニアンか、韓国か)。
 鳩山首相は、「滑走路を反野古崎へ、ヘリコプター部隊の一部訓練を徳之島の他、本土の自衛隊基地に分散移転」と決断。
 沖縄県民・徳之島住民など地元住民の多くは、それに反対。
②北東アジア・朝鮮半島における有事・危機的事態の発生(事の成り行き次第では北朝鮮の暴発、第二次朝鮮戦争・体制崩壊にともなう大混乱も)が予想される。それに対して、たとえそうなっても(最悪の結果―悲惨な事態―が生じても)仕方ないと覚悟を決めて軍備(在日・在沖米軍基地の維持)に努めるか、あくまで(どんなことがあっても)軍事衝突・交戦の回避をめざしてあらゆる努力を尽くすか。
 前者は、朝鮮半島で(最悪の場合)戦争が起きても仕方ないと覚悟を決めて、それに備えて、それ(韓国在留米国人の救出、北朝鮮の核施設の占領など)に出動する米軍海兵隊の駐留・基地は日本にどうしても必要だという考え方。
 それに対して、後者は、「戦争を覚悟するなんてごめんだ。悲惨な結果を招く交戦(日本の基地から出撃し、日本が攻撃されるなど)は何がなんでも回避しなければならず、それにつながるような米軍基地は撤去したほうがよい」という考え方。
 「抑止力」とは、もしある国が攻撃をしかけてこようものなら反撃されてかえってひどい目にあうから攻撃はひかえたほうが賢明だと国々に思わせることによって他国からの攻撃と戦争を抑止する、そのための軍備。
 鳩山首相が「学びに学んだ」という「抑止力」論だが、それは我が国に日米同盟や米軍基地を含めた軍備を維持することによって、「いざとなったら(もし北朝鮮などが攻撃をしかけてこようものなら)反撃し、戦争になってもやむをえない」という「戦争の覚悟」あっての抑止力論。
 そのような「戦争の覚悟」に対して、戦争をしない「不戦の覚悟」というものもあるはず。
 我が国では、憲法が政府に命じているのは戦争放棄と交戦権の否認であり、その下で我々日本国民に求められているのは「不戦の覚悟」。
 実際問題として、「覚悟」とはリスク(惨害をこうむる危険)に対する覚悟であるが、戦争にともなうリスクと不戦(戦わないこと)によってこうむるリスクとで、どちらがよりリスクが大きいか。現代戦争のありようから考えれば、庶民にとっては戦争にともなうリスクのほうがはるかに大きいと考えられる。
 ところが鳩山首相は、「朝鮮半島で、たとえ戦争が起ったとしてもやむをえない」と覚悟を決め、その時に備えて、米軍海兵隊基地は日本・沖縄のどこかに必要だとの結論に至ったようだ(5月28日の記者会見で首相いわく「韓国哨戒艦の沈没に象徴的なように、最近の朝鮮半島情勢など東アジア情勢は緊迫している」と。朝日は、「首相は沈没事件を普天間議論に、抑止力としての在日米軍の存在意義を強調する材料として、積極的に利用し始めた」と書いている)。
③安全保障戦略―日米安保(軍事的対米依存)の是非―継続か、打ち切り(非軍事安全保障戦略への転換へ)か。
 鳩山首相は日米安保を是とし「継続」の考え(「日米同盟の深化へ」と)。

 それぞれ、どちらであるべきか、ということだ。
 岡田外相は「これは国民の命がかかった問題なので」と述べ、鳩山首相も「国民の命を大切にする政治」と述べていた。
 天災(地震・台風など)ならば、一定の確率でそれは必ずやってくるので、回避はできない。だから、それがいつやって来ても命が大丈夫なように(被害が最小限で済むように)備えが必要だ。それに対して戦争(暴発・軍事衝突、それらからのエスカレート)は人間の意思が引き起こすものであって、意思によって(対話・自制によって)回避できるし、回避すべきもの。それを、あたかも天災のようなつもりで、(暴発・軍事衝突・戦争が)いつ起きても大丈夫なように軍備を整えておかなければならないなどというのは間違い。相手に攻撃の意思を起こさせないように「抑止力」として軍備(兵器・同盟・基地など)を備えるのだといって軍備を合理化するが、軍備は相手の攻撃を思い止まらせるとはかぎらず、かえって攻撃意思をかきたてるということも多々あり、軍備があれば「どんなことがあっても、それは使わない」などということはありえず、あれば使いたがり、「いざとなれば」などといって、それを使おうとする意思が働く。軍備は攻撃・戦争を回避する「抑止力」になるとはかぎらないのだ。そう考えると軍備などは無くてもいいし、無いほうがいいとも言える。
 基地にともなう住民「負担」(攻撃の標的にされるとか、墜落事故に巻き込まれるなどの命の危険、騒音、米兵による犯罪被害など)は、ある程度軽減はできても、基地があるかぎり、それは一定の確率(沖縄での米兵によるレイプ・強盗・ひき逃げ等の刑事事件はこれまで5,500件、1年に100件)で必ず起き、回避することはできない。が、基地を閉鎖・撤去すれば、それは直ちに回避される。

 国民の命と安全に責任を持つ政府に今さし迫って課せられている責務は、はたしてどれか。普天間基地についていえば、「移設」(移設先に代替施設ができあがるまで普天間基地は継続)か、それとも「無条件閉鎖・撤去」か。
 沖縄県民の大多数は「即時・無条件撤去」を求めている。(5月31日付毎日新聞によれば、沖縄県民世論調査で、「移設」に反対が84%、反対の理由は「無条件で基地を撤去すべきだと思うから」が38%、「国外に移すべきだと思うから」が36%で、合計7割を超える。)(5月31日付毎日新聞によれば、沖縄県民世論調査で、「移設」に反対が84%、反対の理由は「無条件で基地を撤去すべきだと思うから」が38%、「国外に移すべきだと思うから」が36%で、合計7割を超える。)
 ところが、鳩山首相は「移設」にこだわり、当初、前政権が反野古沿岸部への移設(「沖縄県内たらい回し」)を決めていたのに対して、それを見直し(移設先を)「国外か、最低でも県外に」と公約していたにもかかわらず、「迷走」のあげく、結局、前政権が米国政府と合意していた反野古移設案(「現行案」)と基本的にはなんら変わりのない「移設」に踏み切って米国政府と再合意したのだ。沖縄県民の大多数はそれを許さないだろう。
 普天間問題の今後は「反野古への移設阻止」、「即時・無条件撤去」の追求に焦点がしぼられよう。
 鳩山首相は、小沢幹事長とともに、「政治とカネ」問題と、この普天間問題での「裏切り」(公約違反)で非難をあび、支持率激減で辞任にした。辞任にあたって鳩山首相は「国民が聞く耳を持たなくなってきた」と言ったが、首相のほうが、外務・防衛官僚の声しか聞く耳を持たなかったし、アメリカに対してはオバマ大統領に“Trust me”(私に任せて)と言っただけで、まともに交渉した痕跡さえないといわれている。彼は辞めても、反野古移設を決めた日米合意・共同声明と閣議決定はそのまま残る。鳩山首相が辞めても、基地を押しつけられている地域住民の現状がそのままでは、あまりに理不尽だ。後継首相がそれをそのまま推進するなどということを許してはならず、撤回をさせなければならない。そして沖縄県民・名護市民・徳之島島民をはじめとする国民が後押ししてアメリカと再交渉させなければならない。

 さらに、来るべき参院選は、この普天間基地問題とともに安保問題を争点とすべきである。
 鳩山首相は退陣の弁で「米国に依存し続ける安全保障が50 年、100年続いていいとは思わない」「日本の平和を日本人自身で作り上げていく」と、その「思い」を述べている。しかし「思い」だけで終わらせてならないのだ。


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