安保見直しの論点
(1)日米同盟・米軍基地は抑止力?
アメリカの「核の傘」も普天間の海兵隊も「抑止力」だというが、はたしてそうなのだろうか。北朝鮮も自らの核・ミサイルを「抑止力」だと言っている。
中国や北朝鮮の軍備、核やミサイルを「脅威」だといえば、向こう側もアメリカ・日本の軍備を「脅威」だと思っているのだ。(マレーシアの元首相マハティール氏は都内で5月中開かれた国際会議で講演し、「国によっては、日本に基地があること自体が脅威だと感じるところもある」と指摘し、在日米軍基地の増強は「緊張状態が生み出され」、逆に中国などの周辺国の「敵意をあおってしまう」と。)
朝日新聞は、社説(5月14日付け)で「東アジアの安定装置としての日米同盟の機能は大きい」とか「米国がグローバル・パワーたりえているのは太平洋からインド洋までをカバーする在日米軍基地があってのことだ」として日米同盟・在日米軍基地を肯定している。「安定装置」だとか、「プレゼンス(存在)効果」だとか、「抑止力」だとか、そのような言い方をするといかにも合理性があるように思ってしまうが、それは日米同盟と米軍基地、それらの存在が諸国に「脅威をおよぼす」ということにほかならない。みんな米軍に脅威を感じ、怖がっておとなしくするから無事平穏が保たれるのだ、というわけか。しかし、はたしてそうだろうか?
どの国も、米軍が恐ろしくて無法な攻撃・侵略をひかえているというわけではなく、無法(国際秩序を乱し、主権を侵害する行為)だからひかえ、国際秩序・ルールが乱れれば、かえって国益を損なう結果になるから、それをひかえているだけのこと。
昔から互いに領地や植民地・生活圏・勢力圏を武力で奪い合い侵食し合った時代は前世紀まで続いたが、21世紀の今は地球環境・資源の相互利用・保全、全世界にわたる産業・貿易・金融・人材の相互交流・依存、利害共有の時代であり、国際秩序・国際ルールを守ったほうが有利であり、無法をはたらき、秩序を乱すと不利益・損失をこうむるという、そういう時代になっているのだ。
(北朝鮮は「何をするかわからない無法国家」と見られているが、かの国は、アメリカとは朝鮮戦争以来、法的には未だ戦争状態にあり、日本とも、かつての植民地支配で受けた様々な被害に決着<清算>がついていない不正常な状態に置かれているのであって、その責任はアメリカ・日本にもあることを見落としてはなるまい。)
朝日の同日の投稿には「米軍の抑止力が利いているから、我が国の安全保障が機能している」と書かれているのもあったが、いずれも一方的な考え方であり、そこには、かつてのソ連や現在の北朝鮮それに中国も「脅威」で、アメリカはそれらから日本とアジア太平洋地域の安全を守ってくれる国だとの決め付けや思い込みがあるわけである。
北朝鮮・中国が脅威だといって、「抑止力」・「安定装置」として日米同盟が必要だというが、それが相手側にとっては脅威となり、相手側の同様な「抑止力」増強(兵器の開発・実験、装備の更新、訓練・演習など)を促す。最近起きている韓国哨戒艦沈没事件、中国海軍ヘリの海上自衛隊護衛艦への異常接近事件(中国側から見れば、「公海上を潜水艦が国旗を掲げて浮上航行しているのに日本の艦艇のほうがまとわりついてきた」と)などにも見られるように、日米同盟は「安定装置」どころか、むしろ不安定を招く結果になっているのでは?。
(2)軍備はどれだけあれば大丈夫?
軍備(施設・装備・兵員など)はいったいどれだけ備え、(限られた予算と環境の中で)どこまでそれらに税金を投入し、リスク負担を甘受すれば大丈夫だといえるのか、それは検証しようがないし(客観的に検証することは不可能)、「実際にどういうシナリオで有事になるかを予測することは不可能だからだ」(新米国安全保障研究所アジア上級部長のパトリック・クローニン氏)。「そもそも日本の平和が保たれてきたからといって、米国の『核の傘』が効いたためかどうかは、証明しようがない」(黒崎輝・福島大学国際政治学准教授)。
疑心暗鬼にかられるまま、相手に負けまいとして、ただひたすら軍備を増強していくしかない。どんなに予算(「防衛費」)を投入しても切りがなく、際限なく掛け金を払い続ける保険(それ自体は抑止力にはならない気休め)のようなもの。そして互いに軍備を増強しあい拡張しあう(エスカレーション)。その現実は戦争の危険や軍拡を、抑止するよりは、むしろ誘発して緊張、一触即発の事態をまねく結果にもなるのだ(かつての米ソ軍拡競争、「キューバ危機」などに見られるように)。
軍備を増強すれば軍事作戦上は有利に作戦を展開でき、「負けない戦(いくさ)」ができるということにはなるが、それは、その戦闘(殺傷・破壊行為)の結果の悲惨をもたらしこそすれ、無くすことはできない。
(3)軍備は戦争抑止になるのか、それとも?
市民レベルで言えば、民間の銃保有は、我が国では禁じられていて、殺人件数は(03年)10万人当たり0,02人であるが、アメリカ(州ごとに届出や許可を必要とするなどの規制はあるものの、建国以来憲法で「国民が武器を保持する権利」として基本的に認められていて、33,5%もの世帯が銃を保有している)では、殺人率は4人で世界一多く、アメリカなどに続いて3番目に銃保有が多いフィンランでは0,35人で、我が国よりもはるかに多い。
かつてアメリカで留学中の日本人高校生射殺事件があったが、その時、彼はハロウイン祭で入っていこうとした知人の家を間違えて不審者と見違えられて撃たれた。発砲した人は、銃など持っていなければ、まず言葉をかわしたはずなのだ。
市民の銃保有は殺人抑止にはならないどころか、かえって誘発・多発を招く。それと同じで、国の軍備も同盟軍基地も戦争抑止にはならないどころか、かえって誘発を招く、と言えないだろうか。
(4)抑止力には戦争の覚悟
抑止力―それを備えて置けば、攻撃されず、戦争しかけられないから安心か?
「抑止力」とは「脅威」に備えた軍備のことであり、(北朝鮮の核・ミサイルも、潜水艦魚雷も、それに対する韓国の哨戒艦も、米韓同盟・日米同盟も、アメリカの「核の傘」も、ミサイル防衛システムも、海兵隊基地も)相手側に対して「やるならやってみろ、反撃されて、かえってひどい目にあうぞ!」といって、相手に攻撃を思い止まらせるアピ-ルであると同時に、応戦の用意をなすものであるが、それは、結局は戦争を呼び込むものであって、戦争を回避するものではない。お互いに「抑止力」と称して軍備を(軍事同盟・基地も含めて)築き合って、戦争を呼び込み合い誘発し合うことになるのだ。(軍備そのものが、威嚇であり、挑発でもある。)哨戒艦沈没事件で韓国側が、武力侵犯には「即刻、自衛権を発動する」と言いたてれば、北朝鮮側は「核抑止力を拡大・強化する権利がある」と言いたてる。
その軍備は、「脅威」と見なされている相手国からみれば、やはり脅威なのであり、「攻撃されるかもしれない」・「戦争になるかもしれない」という覚悟を強いられる。
「抑止力」(軍備)というものには、「いざとなったら戦争する覚悟」(「攻撃も辞さない」という意思)を前提にしており、それはかえって攻撃や戦争にはしらせるか、相手のそれを誘う危険性があるが、そんなものを置いておかなければ(戦争しようにも、やりようがなく)戦争にはならない道理なわけである。
日米同盟・米軍基地など無ければ諸国に対して脅威を与えることもなく、敵視され標的にされる心配はないが、「抑止力だ」などと称してそれにすがりついていると、かえってアメリカの戦争にまきこまれる結果になる。
朝鮮戦争の時、ベトナム戦争の時、それにアフガン・イラク戦争でも、沖縄その他日本の基地から米軍が出撃しても、(北朝鮮や中国、北ベトナム、タリバンなど)向こうから撃ち返されて日本が攻撃されることはなかったが、今度、北朝鮮や中国に対してそれ(米軍が日本の基地から出撃、自衛隊が支援)をやったら、向こうが日本に核・ミサイルなどを撃ち返えしてきて戦争になったとしても、日本国民は、それは(その結果の悲惨も)覚悟ができていると、はたして言えるのだろうか。
(5)北朝鮮は攻撃しかけてくるか?
はたして北朝鮮は我が国にたいして一方的に攻撃をしかけてきたり、攻め寄せてくるようなことがあるのだろうか。
北朝鮮側にとって、それに何のメリットがあって割が合うというのだろうか。
そもそも北朝鮮は弱小国。韓国の通常戦力と大差。核やテポドンは戦闘のためというよりは、むしろ抑止と強行外交の(カードにする)ためとみられる。但し、ノドンとムスダン(中距離ミサイルで日本は射程内)は実戦配備。多連装ロケットや長距離砲は「ソウルに、半日で5千発」を打ち込める(「北」が「ソウルを火の海にしてみせる」というのはあながち嘘ではない)との報道(週刊誌「AERA」6月7日号)もあり。
それにしても、「異常な国で、何をするか分からない国」との思い込みがある。
しかし、北朝鮮は、リスクをおかして日本を攻撃しても、何のメリットもないことは百も承知。
北朝鮮が我が国に攻撃をしかけてくることがあり得るとすれば、それはどんな場合かといえば、「窮鼠猫をも噛む」(追い詰められて苦し紛れに暴発―自暴自棄的暴挙)といった事態だろう。「追い詰める」のは米中日韓など諸国の軍事的圧力と経済的圧力にほかならない。だとすれば、それはこちら側の問題でもあろう。
(『世界』1月号掲載、坂本義和「東アジアを超えた『東アジア共同体』の構想を」によれば)我々が北朝鮮を「脅威」と感じているのと同じように、いやそれ以上に北朝鮮も米・日・韓同盟による核と通常戦力の脅威を感じている。日米安保を強化すればするほど、北朝鮮はそれに応じて軍備強化や核開発を行い、脅威もそれに応じて増大する(「負のスパイラル」)、というのが実態。
ミサイル・核兵器の開発―それにはアメリカの通常戦力・核戦力の脅威から自国の存立を守るという動機がある。それに、金正日政権にとって最大の課題は「体制の生き残り」であり、国内向けには疲弊・飢餓にあえぐ国民に「軍事大国」を誇示し、対外的にはアメリカに対して直接交渉を求めて気を引くために核・ミサイル実験を強行―それに対して「米国は『先ず北朝鮮が非核化を実行せよ。そうすれば休戦協定の平和協定への格上げや経済支援などを積み重ねて、究極的には米朝関係正常化に進む』と主張するが、それは優先順位が逆であって、先ず米国が米朝関係正常化や平和協定を確実に行うことによって、北朝鮮の非核化を容易にし、相互に軍縮を進めるという道をとるべき」なのだ、という。
今や北朝鮮有事が迫っている?―3月の韓国哨戒艦沈没事件で軍事的な緊張が強まり、軍事衝突の可能性が強まる。北朝鮮は米日韓の軍事的圧力・経済制裁の強化で追い詰められ―戦争瀬戸際強硬政策―暴発―体制崩壊・大混乱へ。その過程が加速しているわけか?
いや、しかけるとすれば、それはアメリカのほうだろう。(1993年、北朝鮮が核開発をめざし、NPTを脱退したのに対して、クリントン政権は北朝鮮の核開発施設を爆撃する米韓共同作戦を計画した。しかし、死傷者は米軍5万2,000人、 韓国軍49万人、民間人を含めれば100万人を超えるという見積もりが出て、アメリカは攻撃実行を踏みとどまったという。)北朝鮮が核搭載弾道ミサイルを(今は未だだが)完成させれば、アメリカは「第二次朝鮮戦争の引き金を引く」との見方を防衛省幹部が示しているという。
その時、北朝鮮は反撃し、日本の米軍基地や政治・経済の中枢に中距離・短距離ミサイルを撃ち込み、特殊部隊を送り込み、それに日本は応戦、ミサイル防衛システムで迎撃するが、その命中率は疑問視されているとのこと。(東京新聞の半田滋氏―世界6月号)
日米安保と米軍基地を維持しているかぎりは、それも覚悟しなければならない、というわけか。
日本や韓国の基地は、北朝鮮の暴発防止のために必要だと論じている向きが多いが、はたしてそうか。むしろそれは逆なのではないか。基地を置いたり、或は「哨戒艦」などが軍事境界線(「北方限界線」)に近づいて(北朝鮮側が主張するもっと南の境界線は越境)演習などしたりするから、魚雷攻撃を招く結果になっているのでは?(昨年11月、その以前にも同じ海域で銃撃戦があり、北朝鮮のほうも艦艇が撃沈されたり、死者を出したりしている。)今回は、無法なのは、一方的にいきなり魚雷攻撃を行ったほうであり、韓国の「哨戒艦」は被害者。だが、哨戒艦などの軍備は魚雷攻撃に対する抑止力にはなっておらず、むしろそれを誘発する結果になっているとも言えないだろうか。
米韓側は北朝鮮側の関与を(その証拠なるものは分析検証の余地が全くないかといえば、そうでもないのだが)断定し、新たな制裁を決め、日本がそれに同調しようとしている。それに対して北朝鮮側は関与を否定し、「制裁なら全面戦争も」との声明を発している。北朝鮮はますます窮地に追い込まれ、「窮鼠猫をも噛む」暴発―「第二次朝鮮戦争」への可能性が強まっている、ということだ。(5月22日朝日ニュースターの番組パックイン・ジャーナルで軍事ジャーナリストの田岡氏は「普通に考えれば、戦争になる可能性は五分五分」だろうと。)
韓国・日本両政府とも、米軍の「抑止力」にすがりつき同盟・基地の堅持のほうへ傾く、とすると、それは、第二次朝鮮戦争が始れば、北朝鮮から日本にも攻撃の矛先が向けられ、それに対して自衛隊が応戦(個別的自衛権を発動して参戦)する、その覚悟が日本国民に求められることになるということだ。
哨戒艦沈没事件で韓国大統領は国民に「覚悟」を求める「談話」を発表した。韓国国民の中には「戦争を覚悟するぐらいの姿勢が必要だ」という人がいる一方、「軍事衝突だけは避けてほしい」という人もいるとのこと。韓国大手メディアの世論調査では軍事対応に反対する人が多く53%。その後の韓国の統一地方選挙の結果は、対北強硬路線をとり国民に戦争の覚悟を求めた政権与党が、それを警戒する野党に大敗を喫している。その後、韓国大統領は(訪問先のシンガポールの経済関係者との懇談で)「全面戦争の可能性は絶対にない。(局地的な平和を脅かすことが時々おきるが、抑止していく)」と表明したという。
「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と定めているのは日本国憲法(前文)である。北朝鮮国民の場合はどうか。我々日本人にとっては北朝鮮が脅威であり、その核・ミサイルは恐怖なのだが、北朝鮮の方も、(アメリカとは、60年前以来の朝鮮戦争も、休戦はしているものの、戦争自体はまだ終わってはいないし、日本からは、100年前の日韓併合以来恐怖を強いられてきた植民地支配にたいして北朝鮮は何一つ清算してもらっておらず)アメリカ、それと同盟する韓国・日本の軍事力はそれこそ脅威・恐怖であり、そのうえ「経済制裁」という兵糧攻めを受け欠乏にもさいなまれているのだろう。
北朝鮮国民も日本国民も共に平和のうちに生存するにはどうすればよいのだろうか。
それは、共に恐怖の原因―軍備を(「核」も、「核の傘」も、ミサイルも、ミサイル防衛システムも、軍事同盟も米軍基地も)撤去すべきなのである。北朝鮮国民に対しては、欠乏をひどくする経済制裁も解除してやらなければなるまい、と考えられる。(韓国人のあいだでは「北風政策」に対する「太陽政策」論の考え方がある。)我々日本人の中には、とかく、相手側からみれば自国の方が脅威になっているのに、そのことは気に止めず、相手の脅威にばかり気をとられる傾向があるように思われるが、それでは脅威はいつまで経っても解けない道理なわけである。
(6)中国は攻撃しかけてくるか?
はたして中国は我が国に攻撃をしかけてきたり、攻め寄せてきたりするだろうか。それに何のメリットがあるというのだろうか。
そもそも中国というと、日本人の中には未だに冷戦思考(反共産主義イデオロギー)にとらわれていて、アメリカと中国は敵対していると思い込んでいる向きがある。そしてメディアにも、北朝鮮脅威論とともに、中国脅威論で緊張を煽る傾向がある。
しかし、米中、日中とも経済相互依存―昨年、米中間の貿易額(輸出入合計)は3,659億ドル(日米間の貿易額1,469億ドルの2.5倍)。日中間の貿易額も日米間のそれを上回り、我が国にとって最大の貿易相手国になっている。アメリカ企業(約2万5千社)も、日本企業(約2万社)も中国に進出して現地に幾多の工場を持ち、数多の企業スタッフ・ビジネスマンが中国に居留(日本人5万人)。昨年、中国を訪れたアメリカ人は171 万人(日本を訪れたアメリカ人は70万人)。
中国の外貨準備高2兆ドル(日本の2倍)―それをふいにしてしまうような対米戦争などあり得まい。アメリカ側にとっても中国はアメリカ国債の日本をしのぐ最大の引受け手(8,005億ドル)。
米中は「G2」同士、パートナー、「ウイン・ウイン」(どちらも勝者)の関係を追及。
アメリカの外交専門家のあいだ(米国の有力シンクタンク・外交問題評議会の会員約600名を対象に昨年10~11月調査)では、「中国を脅威」と見る人は、4年前に比べて半減(21%)。しかもアメリカにとって「将来、さらに重要になる同盟国あるいはパートナー」として複数回答でトップに挙がっているのは中国(58%)。(逆に「将来、重要性が落ちる同盟国・パートナー」として挙がった国で多いのは、フランス・イギリスに次いで日本。)
「米中戦略経済対話」を定期的に開催(日米のそれは5~6年前から打ち切られてやっていない)
アメリカへの留学生、(日本人2万人に対して)中国人20万人。そのうち博士号取得者は年間4,500人(日本人は250人)
中台経済関係は一体化へ―直行便は一週に270便、船の往来―昨年1万3,000隻。
中国に行っている台湾人は200万人。台湾からの輸出の30%以上、投資の70%以上は中国向け。自由貿易協定も近く結ぶ予定。アメリカ政府は台湾に対して台湾独立政策は徹底して抑える方針をとっている。最近、アメリカから台湾に軍用機・ヘリコプターの売却が問題になったが、アメリカの同じ航空機メーカー(シコルスキー社)は中国(景徳鎮)でライセンス生産を行っている。馬英九総統はアメリカ人が台湾のために戦うことを求めないと言明。台湾独立戦争(台湾海峡有事)などあり得ないということだ。
中国の軍備増強―連年「二ケタ伸び率」といっても、それは「名目」。「実質伸び率」(インフレ率を勘案)では、日本の高度成長期の防衛費の伸び率と似たようなもの。
海軍力―「増強」しているといってもアメリカはもとより、日本と比べても「勝負にならない」。軍艦に積んでいる装備は貧弱(いいのは格好だけ)で、米ロ仏など各国からのコピーの寄せ集め(軍事ジャーナリスト田岡氏)。
空軍力―機数は激減(4,500機から1,500機に)。質は向上しているといっても日本・台湾・韓国のそれも向上。
アメリカとは軍事交流も(日本はやっていないが)。
尖閣列島については、領有権で対立している日中間のどちらにもアメリカはつかないと決めている(1996年)。ところで中国・朝鮮とも、歴史上、日本から侵略・攻撃をうけたことは度々ある(倭寇、豊臣政権下の朝鮮侵攻、日清・日露戦争―朝鮮・満州に出兵、満州事変・日中戦争など)が、日本は両国から(元の時代、モンゴル政権の軍勢が九州に攻め寄せてきた、それ以外は)一回も攻め込まれたことはないのである。
これらのことを総合して考えれば、北朝鮮や中国の軍は、こっちが何もしないのに日本に攻め込んでくる恐れがあるという脅威論は非現実的。
尚、ロシアはどうかといえば、北方四島・漁業をめぐる利害の対立はあるが、ソ連時代のような軍事攻撃の可能性は、まずない。
(7)テロの脅威は?
アメリカが恐れているのはアルカイダなどイスラム原理主義のテロで、アフガン戦争もイラク戦争も対テロ戦争として行なわれている。我が国ではオウム教団による地下鉄サリン事件があった。
そこで、このようなテロ攻撃があったらどうする?
テロに用いられる手段・方法は、銃・爆弾、自爆攻撃、サリンなどの化学物質、炭素菌などの細菌、核物質、サイバー攻撃など。
それらには、警察力で対処するしかなく、軍事力で抑止することは出来ない。現にアフガンでもイラクでも、米軍・NATO軍とも圧倒的な戦力をもちながら、平定することができないでいる。
絶望し狂信にとらわれた者たちのテロを核攻撃やミサイル攻撃・空爆などで根絶やしにすることなどできないのである。
核物質など、彼らの手に渡らないようにする国際管理体制の構築は大いに必要である。
しかし、テロリストを根絶するには、彼らをテロに向かわせる動機となる原因―貧富格差の不条理・理不尽な差別・疎外・抑圧・迫害などによる絶望的状況―を除去し、不安・不信感・怒りを払拭する以外にない。軍事対応はそれらを増幅させるだけ。
イスラム原理主義者は、日本人には怨みはないはず。しかし、アフガンやイラクで彼らが抵抗している米軍が日本の基地から出撃し、日本の自衛隊から給油・空輸を受けてきたことが知れれば日本人もテロの対象になる。
彼らに対しては日米同盟とか米軍基地・「核の傘」などどんなにあっても、なんの抑止力にもならないわけである。
(8)在日米軍基地は何に役立っているか
安保条約の条文では「日本の防衛」とか「極東の平和と安全」のためとなっているが、沖縄および本土基地は、アメリカが日本をアジア・太平洋地域に展開する米軍の戦略拠点・「不沈空母」として利用するために必要とされ、ソ連封じ込めに利用され、朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争・アフガン・イラク戦争など戦争の度に出撃基地として利用されてきたというのが実態。
日本は米軍によって守られてきたわけではなく、アメリカの戦略・出撃拠点として利用され、その基地はソ連などアメリカの敵対国から標的にされてきたのである。(鳥越俊太郎氏は、かつてソ連時代、シベリアのミサイル基地を取材し、現地司令官にこの中距離ミサイルはどこを標的にしているのかと質問したら、彼は地図上の一点・沖縄を指し示したとのこと。沖縄は米軍基地があるお陰で標的にされてきたということだ。)基地住民は、単に騒音や墜落事故・米兵犯罪などの迷惑・被害だけでなく、アメリカの敵対国から標的にされ攻撃にさらされているということなのだ。
(9)日本はアメリカから怒られるのか?
普天間基地の移設問題で、メディアは「知日派」「ジャパン・ハンドラー」などと称される連中(アーミテージ氏やマイケル・グリーン氏ら)の発言をしばしば取り上げて、「アメリカは怒っている」とか「アメリカから不信をかっている」などと論評をしてきたが、ジョセフ・ナイ氏(ハーバード大教授、クリントン政権で国防次官補を務めた)やパッカード氏(米日財団理事長)などは、必ずしもそのような考え方はしておらず、「日本が基地縮小を言うなら、アメリカはそれを受けとめるべきだ」と。
フィリピンなど日本以外のアメリカ同盟国の多くは米軍基地を撤去・縮小させたりもしているが、それでアメリカとの関係が悪化しているわけでもない。
極東における戦略環境は変わってきていて、海兵隊などの役割は少なくなってきており、どうしても日本にいなければならない状況ではなくなってきているとのこと(元防衛大学校教授の孫崎氏)。
近年、アメリカは「有事駐留体制」(有事には米本国から出撃)に切り替え、海外駐留は少なくしていく方向にあるのだという。
それに海兵隊は、日本以外の同盟国(韓国・オーストラリア・タイ・フィリピン)とも合同演習をしょっちゅうやっているのだが、沖縄など日本では、それらの国々の部隊との合同演習は(日米安保条約上)できないので日本の基地は使い勝手が悪く、その点ではアメリカにとって日本基地は必ずしも不可欠なものではないのだ。ではなぜ撤去しないのかといえば、日本基地は兵隊たちとその家族にとって(日本政府の「思いやり予算」のおかげで)安上がりな「居場所」として利用価値があるからにほかならない。
しかし(宜野湾市長の伊氏によれば)グアムには、06年5月日米合意ロード・マップで、移転経費1兆円のうち日本負担7,000億円で兵員1万600人(常駐部隊8,600人、一時部隊2,000人)が移転することになっており、現在1万2,400人いる沖縄には1,800人しか残らないことになる。グアムでは既に滑走路・宿舎など建設が着手されているのだ。(軍事ジャーナリストの田岡氏は、海兵隊は、沖縄には800人しか残らないと。)
アメリカは、海兵隊基地が、何がなんでも沖縄か日本のどこかに現状の規模で維持されなければダメだといって日本を怒るわけでも、日本が怒られる筋合いでもないということだ。
(10)基地を撤去したらどうなる?
米軍が我が国から手を引き、基地を撤去してしまうと、「抑止力」を失って、我が
国もアジア・太平洋の諸地域も、たちまち、どこかの国や勢力の攻撃にさらされてしまうことになるなんて、そんなことに、はたしてなるのだろうか。
東南アジア諸国はアメリカとの同盟(SEATO)を解消したが、それはベトナム戦争が終結して間もない頃で、ベトナムと中国との間、それにカンボジアとの間で一時国境紛争があり、カンボジアでは内戦(ベトナム軍が反ポルポト派を支援)があったものの、それ以外にはそれらの国々が外国の侵略にさらされ、占領・支配されることなどなかった。
(11)安保条約は今どのようなものか?
それは、世界に例を見ない異常なもので、とりわけ次のような点で際立っている。
①米軍駐留経費への日本側負担―全経費の7割―年平均6,000億円前後―韓国など他のアメリカ同盟国26ヵ国を合わせた分よりも多い。(「世界一気前のいい国」)
その中には、「地位協定」にもない負担(日本人基地労働者の給与、米軍家族住宅・隊舎など施設整備、演習費などまで負担)―「思いやり予算」が含まれる―毎年平均2,000億円、32年間で5兆5千億円。
②地位協定で米兵に特権的地位―米兵の公務中の事故・事件は米軍側に優先的に裁判権、公務外も密約で米兵が事件や事故を犯しても日本の警察の権限行使が制約(起訴するまでの間、身柄を拘束できないなど)。
基地外での演習・訓練で日本への出入り・国内移動の自由勝手を認める。
③全土基地方式―日米政府代表による日米合同委員会が、どこを基地として提供するかを決め、国会の承認なしで、全国どこにでも。
④東京首都圏に基地が(横田・横須賀・座間・厚木など)。
⑤「大規模海外基地」上位5つのうち4つが日本に。(横須賀・嘉手納・三沢・横田)
⑥米軍海兵隊の海外配備と空母艦隊の「母港」を受け入れている国は日本だけ。
⑦経済従属―毎年アメリカから「年次改革要望書」がつきつけられ、日本の政治・経済のあり方について(「郵政民営化」や大型店の出店・労働法制の規制緩和など)注文つけられる。
(12)日米安保を解消したら?
日米安保を解消するとしたら、(安保条約は、両国が合意しなくても、どちらかが条約を終了させる意思を通告しさえすれば、通告から1年後に廃棄できることになっている。つまり政府さえその気になれば、1年後に解消し、すべての米軍基地も米軍駐留も一挙に無くせるということ)そのあとどうするのか。
ところで、東南アジア諸国は、以前、アメリカと軍事同盟(SEATO)を結んでいたが、ベトナム戦争終結後、解消し、ASEAN(東南アジア諸国連合)を結成し、さらにTAC(東南アジア友好協力条約)を結成して「武力による威嚇・行使を放棄」「紛争の平和的手段による解決」を約束しあった(紛争は無くせなくても、戦争にしないことは可能だと)。これには東南アジア諸国以外に我が国も、中国・ロシアも、それにEU、最近になってアメリカまでも加入するに至っている。
このように、我が国も、北朝鮮をも含めた北東アジアに「非核・不戦共同体」を結成する(戦争の可能性はないと信じるような政治状況を国際的に作る)とともに、東南アジアのそれと合わせて(鳩山首相も構想している)「東アジア共同体」結成をめざす、といったこともあり得るだろう。
アメリカとは安保に替わって非軍事の友好協力条約を結ぶ、といったことが考えられる。
いずれにしても、「日米安保」は、いわば冷戦時代の遺物であり、「同盟」・「仮想敵国」とか「抑止力」とかは冷戦時代の発想。21世紀の今は、敵をつくらない「不戦共同体」をめざす多国間の非軍事安全保障の時代なのであって、二国間安保や軍事同盟の時代はもう終わっているのだ。
(13)「9条」から「安保」の欺瞞を払い除けよう
憲法で「戦争放棄」「戦力不保持」を唱っておきながら、米軍基地を置いて、アメリカの「核の傘」で「守ってもらい」、その基地から米軍があちこちの戦争に出撃するのに手を貸してきた。9条は欺瞞につきまとわれ、日本国民は自国だけ安全圏にいて他国の戦争に手を貸していると見なされてもしかたない不名誉に長らく甘んじてきた。
安保改定50周年の今こそ、普天間基地のみならずすべての在日米軍基地をなくして、アメリカから「守ってもらう」のをやめたうえで、世界各国に「戦争放棄」と「戦力不保持」を呼びかけ、国際平和・核軍縮政策と非軍事的な国際貢献に積極的に取り組むようにすれば、それこそ本物の「平和主義国家」として名誉ある地位を得ることになる。
戦争抑止の要諦は、どの国に対しても脅威にならず、敵をつくらず、友好に徹することであり、それこそが「9条」精神なのだ。以上、これらのことを論点に議論する国民的な議論が今こそ必要。
50年前、我が国では国中が安保の議論でわきかえった。今再び、安保を正面から取り上げて議論する国民的議論があって然るべきだ。
さらに、50年前の安保改定阻止国民会議(安保共闘)のような全国共闘組織を再度結成して、かつてのように大々的な統一行動を展開し、安保継続か否かに決着をつけるべき年にすべきなのでは。(鳩山首相は「日米同盟を深化させる年だ」と言っているが、それに抗して。)戦争時代に生まれ育ち、ジープで行き交う米兵の姿を目の当たりにし、安保闘争を体験したこの身には、あれから半世紀以上もたって未だにアメリカ安保の呪縛から脱せず、米軍駐留基地経費に莫大な税金を割き、沖縄県民を窮状に置き続けていることに何の疑問をもたないか、しかたないと思い込んで問題にしない向きにたいして「声なき声」(この言葉は、そもそも、岸首相が、安保を強行したあの当時、声をあげないまでも賛成な人々が大勢いるのだという意味で言った言葉なのだが、ここでは反対の「声」)を発しないではいられないのだ。