米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


憲法と安保
2010年05月04日

 マスコミの世論調査は改憲の是非を度々問うているが、日米安保の是非を問うたためしはあまりない。日米安保・日米同盟はなんら問題ないかのように済ませているのだ。それがおかしいのである。
 「65年も続いた日米安保はまだ我が国に必要か」、「米軍の駐留、米軍基地はまだ我が国に必要か」、「9条と日米安保とでどちらが日本の平和と東アジアの安定により役立つと思うか」、「9条と安保とでどちらを選ぶか」など国民に問うてみるべきなのだ。
 憲法と日米安保とは法的には基本的に両立しないのだ。
 60年の安保改定の前年「砂川事件」で東京地裁は、安保条約による米軍駐留に対して「9条が禁止している戦力の保持に当たる」として安保条約を無効とし、違憲判決を下している。ところが駐日米大使が最高裁長官と密談、圧力をかけて(その会談録が最近の「密約」開示とともに明かるみになった)、跳躍上告(高裁を経ずに最高裁に上告)にもちこみ、最高裁は統治行為論(高度に政治性をもつ問題は司法審査の対象にはなじまないとする議論)によって破棄差し戻しをした。
 65年も経って時代状況ががらりと変わった今、安保・米軍基地を存続すべきか、廃棄・撤去すべきか、根本的に問い直さなければならない時だ。
 決着すべきは一基地の移設先をどうするかだけでなく、安保そのものをどうするかの議論なのである。


ホームへ戻る