米沢 長南の声なき声


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きれいなカネ、きたないカネ
2010年02月18日

政治とカネ
 今、この問題で最も焦点が当たっている小沢現民主党幹事長に関しては、同氏に献金しているゼネコン(鹿島建設・大成建設・水谷建設など17社、献金総額3,000万円とか)が岩手県の胆沢ダム工事で受注している。これらの献金は政治資金収支報告書に記載されていて合法的なものと見なされるが、小沢氏には、それ以外にもこれらのゼネコンからヤミ献金があるのではないか、との疑惑がもたれている。
 実際カネを渡したという水谷建設の元会長(現在、脱税事件で服役中)の証言があるが(福島県内のダム建設をめぐる贈収賄事件では、裁判の結果、前知事は実質無罪になっているが、そのさい元会長の証言は嘘であったことが明らかになっており)、信憑性が疑われるところもあり、物証も明らかにはなっておらず、小沢氏側は(本人も秘書たちも)否定している。
 また、鳩山現首相に関しては、同氏の資金管理団体の政治資金収支報告書に母親からの資金(1,8億円―毎月1,500万円)を含めて2億円超ものカネが何人もの亡くなった人や献金した覚えのない人の名義まで使って個人献金として偽装されていたという献金疑惑がもちあがっている。
 この2人のことについては次のような問題があると考えられる。
①贈収賄―その政治家に職務権限がある場合(当時、野党議員であった政治家にとっては、それはあり得ない)
②斡旋利得罪・斡旋収賄罪―職務権限はなくても、職務権限者に口利きによって政治家が利益を得る(「天の声」などと言われているが、口利き事実を裏づける証拠はない。)
③脱税―贈与税など(鳩山兄弟とも「もらっていた」事実を知ってから払って納入済)
④政治資金収支報告書への意図的な虚偽記載―元東京地検特捜部長の宗像氏は「カネの流れの客観的状況から見れば、それだけでおかしい」として、この見方をとっている。
⑤同報告書への形式的ミスによる不記載―元東京地検特捜部検事の郷原氏は次のような見方。「銀行から借入れたそれは記載。銀行からカネが出るまでの間の『つなぎ資金』として小沢氏側の個人(身内)の持ちがねから現金を借入れ、秘書寮用地購入代金を立替えて払った(そこが不記載と見なされる)。銀行からカネが出た時点で小沢氏側に返済、その後銀行には陸山会から返済―このような会計処理上の問題だとすれば、金額は多額でも政治家本人による政治資金管理団体の資金繰りの問題にすぎない。」(「政治家は日常的に資金団体との間で経費の立替えなどしている、と指摘し、『どこまで忠実に収支報告書に記載するかで収入・支出の総額はいかようにも変わる。それを虚偽記入だとして国会議員を逮捕できるなら、検察はどんな政治家でも逮捕できることになる」)と。
          
 検察による追求・捜査の結果、鳩山首相・小沢幹事長とも、いずれも嫌疑不十分で不起訴、秘書たちのほうが収支報告書「虚偽記載」―政治資金規正法違反の罪(④)で起訴された。
 小沢氏については、検察は、その虚偽記載はヤミ献金をカムフラージュするために意図的に行ったものと見なして、その追求・捜査を強行したものの、水谷建設元会長の(5,000万円づつ2回渡したという)証言はあるものの、それを裏付ける確たる物証はつきとめきれず、「虚偽記載」―政治資金規正法違反―すなわち形式犯だけにとどまったわけである。
 それに「虚偽記載」といっても、単なる形式的なミス(不記載)なのか、意図的な不記載(即ち隠蔽)なのか(④と⑤のどちらなのか)、判断が分かれるところである。
 いずれにしても、その「虚偽記載」に鳩山氏にしても小沢氏にしても積極的な関与は認められず、秘書たちだけが刑事責任を問われることになったが、鳩山・小沢両氏には政治的・道義的責任が問われている。秘書に責任を押し付けておいて知らなかったでは済まされないというわけである。

 最も悪質なのは①贈収賄と②斡旋利得・収賄であり、献金に賄賂性がある場合であるが、企業・団体献金にはその賄賂性がともなう。個人献金ならば浄財(きれいなカネ)とみなされるが、企業・団体献金の場合は、献金は必ず見返りを当てにして行われるものだからである(企業のばあい、何の見返りもなく会社のカネを使えば、株主から背任罪で訴えられることになる)。
 よって、このような問題が起きないようにするには企業・団体献金を全面的に(抜け穴なしに)禁止する以外にないのだ。企業・団体献金を許しておいて政治資金規正法をいくら改正したところで、抜け道はどこかに必ず残るからである。

 自民党や同党寄りのメディアにはそれへのアプローチがない。そこが問題。

各党が受け取った企業・団体献金(08年)
  自民党[77.7億円]、民主党[11.1億円]、国民新党[1.7億円]、公明党[0.9円]
 社民党[0.3億円]、共産党[0]

 民主党は昨年の総選挙で企業・団体献金の禁止をマニフェストに掲げていたのだが、昨日の初の党首討論会で鳩山首相は「問題の根源は企業・団体献金。今こそ廃止が必要では。ぜひ自民党の谷垣総裁にもご努力をお願いしたい」と。民主党首脳らの献金疑惑を追及して食い下がる谷垣氏はこれには「問題をすり替えている」といって取り合わず。

 政党助成金―国民の税金から、毎年、総額300億円超が、共産党以外の各党に配られている。09年には総額319.42億円で、各党には次のように配られた。
 自民党[139.81億円]、民主党[136.6億円]、公明党[26.19億円]、
   社民党[8.9億円]、国民新党[4.2億円]、みんなの党[1.14億円]、
  新党日本[1.81億円] 
 そもそも、政党助成金は93年細川内閣の下で、企業・団体献金の廃止と引換えに出されることになったもの。ところが企業・団体献金は今日に至っても廃止されてはおらず、共産党(いずれも受け取りを拒否している)以外は各党とも両方(企業・団体献金も政党助成金も)受け取っている。
 自分が納めた税金の一部が(国民1人平均250円だけとはいえ)、自分が支持している政党ならいざしらず、人によっては全く支持していない政党に一番多く注ぎ込まれることに矛盾を感じて当然だろう。
 政党は党員が納める党費と事業収入および支持者の個人献金(カンパ)によって経費をまかなうのが近代政党の原則。
 企業・団体献金と政党助成金は、ともに廃止すべきである。
 議会制民主主義・政党政治を維持するために主権者・国民が税金(国庫)から支出するというのであれば、それは今のように各党に議席の多少に応じて直接配るのではなく、(選挙管理委員会の簡単な選挙広報などだけでなく)公共セクターやマスコミ・NPOなどが企画する政党討論会や演説会、有権者に各党の政策と活動を(各党に公平に)紹介する広報事業に対して助成金をだすというふうにすべきなのではないだろうか。

きれいなカネ―浄財寄付
 政党や政治家がそれぞれ独自に浄財を募り、それに対して支持者がカンパする個人献金は自由。

 政治献金とは別に、国や自治体やNPOなどによる教育・医療・福祉・環境保全・災害対策など事業に対して市民がカンパする浄財寄付は大いに奨励さるべきである。
 我が国では、一般に、国民は「お上」に頼るばかりで、寄付をしようとはしない傾向があるが、そのような国民意識を変える必要があるのでは。
 今回(2月15日号)の当地の市報に「米沢ふるさと応援寄附金」のこと(集約結果と使途)が出ていた。それによれば、それがスタートした昨年度(08年度)は28人から338万5千円、本年度(09年度)はこれまでのところ69人から283万7千余円が集まったとのこと(当方は昨年政府が配った定額給付金をそこに寄付したが、それも含まれているのだろう)。
 配分される事業項目(使途)の中に今年度から新たに「奨学育英」項目が加わったが、そこには32人から91万円が寄せられた。それを市の財源から支出するのと合わせて、192万円を市内私立高校2校に(一人1万円)配ることにした、とのこと。
 この寄付の人数・金額は多いというべきか、少ないというべきか、はたしてどうなのだろうか。

 朝日新聞(12月18日)の投稿欄に、80才の老婦人が「困窮者励ます寄付こそ『友愛』」と題して次のように書いておられた。
 「鳩山総理のお母様へ。・・・・私は独り暮らしの年金生活者ですが、会費を払い、世界の国々から来た人たちに日本語を教える教室でボランティアをしています。・・・
悩んでおられると思われる財産の使い道ですが、息子さんの説く『友愛』を後押しし、困窮している人たちに寄付されたらいかがでしょうか。それこそが真の友愛精神と思います。」と。
 日本人ならカネのある者が社会に寄付するのは当たり前という社会=「友愛社会」にしていかなくては。
 カネにきたない、ケチな日本人と思われるのはごめんだ。


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