米沢 長南の声なき声


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「抑止力、依存か自前か」以外には?
2009年05月29日

 本紙(27日付)に「抑止力、依存か自前か」という記事が出たが、それを読むと、北朝鮮などからの攻撃を抑止するには、アメリカの抑止力に依存するか、自前の抑止力をもつか、二つのうちどちらかしかなく、日本の安全を守る方法は軍事しかないかのようにも受け取られますが、他に選択肢はないのか、どうなのでしょうか。
 憲法前文で「諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意し」9条に「戦力の不保持、交戦権の否認」を定めて不戦を国是としている我国民には、非軍事・外交力によって国の安全を守るという選択肢もあり、それこそが重視さるべきなのでは。
 「自衛的抑止力」のために核実験をしたと強弁している国に対して、アメリカの「核の傘」であれ、「自前の核」であれ、自らは核抑止力にしがみついていながら、相手にその放棄を迫ることはできない。また、いかに圧倒的軍事力を備えても、自暴自棄的・自爆的攻撃は抑止することは出来ないし、相手が一たび攻撃に走ったら、いかに「敵基地攻撃」や「ミサイル防衛」で応戦しても、自国民・隣国民に何万・何十万という犠牲者を出す覚悟なしには守り切れるものではない。
 軍事力を背景にしたりせずに、「道義的責任」と道理をもって誠実かつ必死になって対話・説得する外交力こそが抑止力なのでは。


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