米沢 長南の声なき声


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私立高校生の要請に対する橋下知事
2008年11月03日

「テレビってやつは」
 先日(10月29日)「テレビってやつは」という久米宏のワイドショーで、私学助成を削減しないでと要請に来た高校生らに対して行った橋下大阪府知事の発言が取り上げられていた。
 そこでは、問題の本質はどこにあるのか、私学助成というものの意義を正面から論評することなく、私学助成は、「かつて生徒急増期に公立で収容しきれず、私立に頼むしかなくて行われるようになったが、生徒数が少なくなった今では不要だ」とか、「憲法違反だという説もある」とか、「高校に入らなくても、こつこつ頑張って立派に大成している人もいる」などと、司会の八木亜希子やコメンテータ(ジャーナリストの上杉隆、ジャズシンガーの綾戸智絵 、お笑いタレントのビビる大木ら)によって、あたかも高校生らの我儘な要求に対して橋下知事は毅然としてたしなめたかのようなニュアンスの論評が加えられていた。
 これは、道路建設のために計画道路にかかる畑の芋掘りをしている保育園児たちの排除を断行させたことや、全国一斉学力テストの府下市町村の学校成績を公表しようとしないなど自らの意に従わない教育委員会を「クソ教育委員会」とののしったり、自らに対する訴訟問題で「弁護士を廃業しては」と批判した朝日新聞社に対して「朝日こそ」廃業すべしとか、日教組に対して「解体させてやる」と言い放って辞職した前大臣の発言は「正しい!」などの勇ましい(?)発言とともに取り上げながら、いずれも、問題点を掘り下げないまま、姜尚中氏などの鋭い批判的指摘(小泉流に「抵抗勢力」をつくって「闘う知事」のイメージを売り込んでいるなどの指摘)が若干あったものの、ほとんどは、まさに「闘う知事」像を肯定的に浮き立たせるだけに終始して終わっている。「これは問題だな」「高校生がかわいそうではないか」と痛感したしだい。
私学助成問題
 そこで、あらためて私学助成問題を取り上げて論じてみたい。
 憲法で「教育を受ける権利」(26条)は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(25条)とともに、すべての国民にとって最も基本的な権利の一つであり、国や地方自治体の行政を預かる責任者は諸施策の中でも最優先に考えなければならない事柄のはず。高校は、我が国では義務教育ではないとされているが、そうは云っても、かつてとは異なって高度に産業化・情報化した現代社会では、職業にも市民生活にも高校レベル以上の知識・教養は必要不可欠となってきており、(中にはそれがなくても立派に立ち行けている者もいることはいるが、それは極めて限られた人だけで)現に大多数は高校に進学しているのである(進学率は98%)。
 ところが、今の日本は、大学に至るまで授業料無償は世界の流れであるにもかかわらず(国際人権規約は「高校や大学の教育を段階的に無償にする」と定めている。日本政府はその国際規約に加わりながら、無償化条項を受け入れずに留保している。そういう国は日本とマダスカル・ルワンダの3ヶ国だけである。OECD加盟諸国30ヵ国中、いま現在無償でないのは日本のほかは韓国・イタリア・ポルトガルだけ。)学費は世界一高い国となっているのだ。日本の教育予算の水準はOECD諸国のうち最下位であり、いかに教育投資が少ないかを示している。
 日本国憲法の精神と世界の趨勢では、高校レベル以上の知識・技能の修得を求める入学希望者には全員に対して各人の能力に応じて等しく教育を与える責務が国や自治体の行政責任者にはあり、たとえ財源は限られ、財政難ではあっても、なんとかやり繰りし、他をカットしてでも、それを可能とすべく予算などの措置を講じる最大限の努力を払うのが当然のことなのである。(「私学助成などにまわすカネは無い。無いものは無いのだから諦めるのが当然だ」などといって居直れる筋合いのものではないのだ。)
 生徒が自分の能力・個性を伸ばせる学校はそこしかない(自分の能力・適性・希望職種に最も相応しい)と判断して自ら選択したかぎり、その学校選択は自己責任であるが、その学校が私立で公立の何倍もの学費がかかって家計が窮乏に追い込まれ、中途退学を余儀なくされたりもする(昨年度、経済的理由で私立高校を退学した生徒の割合は過去10年間で最高)という場合、それまでも自己責任なのか。そうではあるまい。
 それを橋下知事は(要請に訪れた私立高校生とのやりとりで)、「なぜ公立に行かなかったのか」「公立に入れるように勉強しなきゃ」「あなた自身が(私立を)選んだのではないか」「今の日本は自己責任が原則」であり、それがおかしいと云うなら「国を変えるか、日本から出るしかない」などと私立高校生に対して述べたというのは、自らの責任を棚上げして相手に転化する責任転嫁も甚だしい暴言である、といわざるを得まい。
私学助成と憲法
 尚、私学助成は憲法の規定(86条)に反するとして、それを削減しようとする橋下知事のような言い分を支持・擁護する向きがあることも確かだ。
 憲法86条には「公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用・便益もしくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善・教育もしくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」と定めている。
 私学助成反対論者は、この規定を盾にとって、「公の支配」に属する学校は公立学校だけと見なして狭く解釈し、私学は「公の支配の属しない」のだから、それに公金を支出するのは違憲だという。
 しかし、たいていの私立学校は、教育基本法・学校教育法・私立学校法・私立学校振興助成法などの法的規制を受け、国の監督を受けている。そして、公立学校と同様に学習指導要領の基準に従い、文科省検定の教科書を使って公教育を担っており、公の利益に沿わない場合には是正を求められる。そのような私学は「公の支配」に属していると見なさざるを得まい。政府見解もずうっとこの立場にたっており、判例も、過去に2つ裁判例があるが、いずれも違憲説を退けているのだ。

 橋下知事をはじめテレビ出演者の大方は、それぞれそれなりにエリートであり、苦学などとは無縁な境遇にあり、「自己責任」で「勝ち組」の座をものにしたラッキーな連中であり、「私学助成問題」など意に介さず、問題の本質をろくに認識してなんかいないのだろう、といったら、それは「やっかみだ」と彼らは言うのだろうか。


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