米沢 長南の声なき声


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なぜ人を殺してはいけないのか、戦争してはいけないのか(加筆版)
2008年10月04日

 「なぜ人を殺してはいけないのか。」そんなことは疑問の余地のない自明のことで、わかりきったことだ、と一般には思われている。それは古来からずうっと社会の掟や教え(仏陀の「五戒」の「不殺生戒」やモーゼの「十戒」の「汝、殺すことなかれ」など)でそういうことになっているからだ、というが、それでは、それらの掟や教えは、なぜ定められ説かれてきたのか。それに、戦争なら、或は処刑ならなぜ人を殺してもかまわないのか。やはり疑問が残る。
 人を殺してはいけない。だから人を殺す戦争もしてはいけない、と私は思うのだが、なぜそうなのか考えてみた。9月放映のNHKスペシャル「兵士はどう戦わされたか」「ママはイラクに行った」両番組を見て考えついたのは次のようなことだ。
(1)殺人忌避は人間の本性
 まずもって、人は誰だって殺されたくないもの。「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」で、だから「誰しも人を殺してはならない」ということが戒律(道徳的義務)として人に課せられる。しかし、戒律や義務として課せられるまでもなく、そもそも人間は、誰しも殺されるのを嫌がるのは勿論のこと、殺すのも嫌がるものなのだ。(近頃、「人を殺してみたかった。だから殺した。」という若者の犯行事例があるが、それは異常ではあるが、「~してみたい」という好奇心か、誰もが嫌がるものだからこそ敢えてやってみたいという冒険心などの類の心理なのであって、単に「~したい」というのとは別ものと思われる。)
 殺すのを嫌がるという、そのことは、倫理学上の性善説からではなく、生物学的に本能からして人間とはそういうものだ、いや、人間に限らず、他の動物も(中には共食いをする魚や、交尾の直後に雌が雄を食べてしまうカマキリや、子を産んで間もない雌ライオンに発情を促すために子を奪って食べてしまう雄ライオンのような例外的なケースは別として、たいていの動物は皆、自己保存欲求だけでなく、種の絶滅を回避しようとする)「種の保存」法則から同じ種の仲間を殺すことはあり得ない(縄張り争いや、ボスの座を争うとか、交尾する雌や餌を争って喧嘩することはあっても殺しはしない)ということから考えられるのである。動物には、「弱肉強食」の生存競争にともなう「闘争本能」や暴力性があり、人間も憎しみ・怒りなどの感情や恐怖感から、逆上し暴れて暴力を振るうことはあっても、或は発狂して(精神錯乱に陥って)刃物を振り回し、銃を乱射して殺してしまうなどといったことはあっても、殺すのは誰もが嫌がり、獲物(食糧とする動物)を殺す以外にはむやみに殺したりはしないのである。
 要するに、なぜ人を殺してはいけないかといえば、それは、人は誰しも殺されたくないからであり、かつ、(人間の本性として)人を殺すのを忌み嫌うからにほかならない。
 ところが、そのような(人殺しを嫌がる)人間を無理やり人殺しに駆り立てるのが戦争である。だから戦争はしてはいけないことなのである。

 古来、人間社会に戦争は付き物で、人類史上どの人種・民族も絶えず戦争を繰り返してきたかのようだが、実は、それは数千年前、文明社会になってからのことで、それ以前の遙かに長い数百万年にわたる原始社会には戦争も人殺しもなかったのである。文明社会になって生産活動が発達し、余剰生産をおこなえるようになって、支配民による被支配民の労働や生産物の搾取・掠奪がおこなわれるようになり、捕虜奴隷や土地の争奪をめぐって戦争―殺戮がおこなわれるようになったのだ。
 戦争は人間の本能に起因するという戦争本能起因論は通俗的によく云われている話で、それが科学的根拠を持たないことは、1986年「暴力についてのセビリア声明」(「戦争のための暴力行動は私たち人間の本性のなかに遺伝的にプログラムされている、という云い方は科学的に正しくありません」)のなかで、国際的にもすでに立証されているという(大日方純夫ほか「君たちは戦争で死ねるか」大月書店)。
(2)戦争は人間を狂わせる
 「兵士はどう戦わされたか」「ママはイラクに行った」両番組によれば、次のようである。
 第二次世界大戦中、アメリカ兵で、実際の戦闘で敵に発砲した割合(発砲率)は最大で25%にすぎなかった。兵士達は「これ以上人が殺されるのを見るのが耐えられないのだ。」「(兵士が発砲するのをちゅうちょするのはなぜかといえば)人は同胞たる人間を殺すことに対して、普段は気づかないが、内面には抵抗感を抱えている。その抵抗感のゆえに、義務を免れる道さえあれば、何とかして敵の命を奪うのを避けようとする。いざという瞬間に良心的兵役拒否になるのである。」ということが調査研究で判明した。そこで、こんな兵隊では「戦争にならない」ということで、発砲訓練の方法(ひと型シルエット標的を用い、敵兵を動物以下の「人間の形をした物体」に過ぎないと思い込ませ、敵兵の姿を見たら反射的に引き金を引き、「よろこんで」撃ちまくれるようにする訓練方法)を開発して実行した。
 (ベトナム戦争後、1970年代後半以降は、生身の人間が殺しあう接近戦を避けて、ハイテク兵器によるより効率的な戦闘方法―遠く離れた場所から敵を叩く戦略―を追究してはいるが、民間に紛れ込んでいきなり攻撃してくるテロに対してはトマホークなどの精密誘導兵器は通用しないわけである。)
新兵教育では命令への絶対服従と規律を叩き込み、白兵戦を想定した格闘技の訓練では“kill(殺せ)!kill!”と叫ばせながら、連日身体を虐めぬく。
 その結果、朝鮮戦争では発砲率が倍加し、さらにベトナム戦争では100%にまで達するようになったという。
 つまり、本来、人殺しを忌み嫌う人間を洗脳によって「殺人鬼」・「殺人狂」に変える。それが戦争なのだということ。
 そして彼らの中には戦場から帰還しても、元の普通の人間に戻れず社会に適応できなくなる者がたくさん現われる。PTSD(心的外傷後ストレス障害)にかかり、おかしくなってしまうのだ。体の震えが止まらない(シェル=ショック)とか、夜、暗くなると戦場の恐怖がよみがえり、悪夢にさいなまれる。酒びたりや睡眠薬などドラッグづけになり、「敵からの攻撃を逃れようとして」暴走運転をしたり、銃を持ち歩くのが習慣化するとか、暴力をふるい、自殺にはしる、といった症状を見せる。
 ベトナム戦争に従軍した兵士の二人に一人は、帰還後なんらかの精神的トラブルに陥っているという。
 街や村に潜み民間に紛れ込んでいるゲリラに対して民間人と見分けがつかず、無差別に撃ちまくる。ベトナム戦争中、ソンミ村虐殺事件(老人・女・子ども合計500人を殺害)で25人を撃ち殺した一兵士(当時19才。一人の女性が何かを抱えて走り去るのを見て、武器を抱えているものと思い込み、赤ん坊もろとも撃ち殺した。最初の一発はためらったが、「一人を殺してしまえば、二人目はそれほど抵抗感なく、次はもっと簡単になり、何の感覚も感情もなくなり、とにかく殺しました」と)は帰還後、その様が心に焼き付いて離れず、(イギリスのテレビ局の取材インタビューで「私は自分を許せません。たとえ命令を受けてやったことだとしても、どうして忘れたり許したりできるでしょう」と)良心の呵責に囚われ、精神科で治療をうけ、3回、薬を飲んで自殺をはかり、ソンミ事件から29年後、結局ショットガンで自殺して果てたという。

 アフガンとイラクからの帰還兵も、その2割(30万人)がPTSDなど何らかの形で精神的なトラブルを抱えている、とのことである。
 イラクにはアメリカ兵16万人中、女性兵士1万人、その3人に1人は子をもつ母親。
 彼女らは帰還後、戦場で見た光景、手を振る子どもたち、その中に紛れ込んでいた少年ゲリラ、自分の命を優先して見殺しにした子ども、或は自ら撃ち殺した少年の顔がしばしばよみがえる。小さな物音や花火などに過剰に反応しておののき、子どもを連れて出かけるにも人ごみは避け、イライラして怒りっぽく、我が子に気持を通わせ、愛情を示すことができなくなる。

 戦争がいけないのは、それには物的人的損害・悲惨がともなうからということもあるが、それだけではなく、戦争に従事する兵士から人間性を奪い、彼らを普通の人間として生きてはいけなくする非人間性の故にほかならないのだ。

(加筆)
 朝日新聞の「声」欄の「語りつぐ戦争」(12 月20日付け)への投稿2つと、「よねざわ小学生新聞」(10 月10日発行、孫が学校からもらってきた)に掲載された一小学生の作文に、ここで論じたようなことが旧日本軍に事実あったことを示す実例が見られたので、それら3例について加筆したい。
①新聞投稿「無実の中国人、見せしめ処刑」―戦争中、中国で軍用木材買い付けの仕事をしていた人が、日本軍の憲兵隊から一中国人が何も悪い事をしていないのに連行された(実は「員数合わせのための連行で誰でもよかった」のだと後で聞かされた)のを、自分の下で働いていた中国人である彼の友人と彼の母親の切なる頼みに応じて、何とかして放免してもらおうと憲兵隊へ日参して尽力したにもかかわらず、そのかいもなく、その中国人は日本軍に反抗したことで見せしめのために処刑された。「役に立たなかったことを心からわび、耳を押えて数発の銃声を聞いた。」―という話し。
 そこには、戦争をしている軍とはそういう(理不尽に人を殺させる)もので、まとも(正常)な人間ならば、そのような(人が殺される)事態に接すると耐え難い思いをするものだ、ということが示されている。
②新聞投稿「戦地の悪夢で夜中暴れた父」―ソ連国境の前線をはじめとして数度の出征の後、本土防戦にたずさわり終戦で帰還、戦後「一心不乱に働いた父に畏敬の念を覚えたもの」。しかしその父もやがて「夜中、突然起きて大声で叫び、母に暴力をふるうようになった」。「酒も飲まずに温厚な父が別人になり、家庭は修羅場と化し、母も心を病みました。」「生還したものの心身に深い傷を負って苦しんだ父のような人が大勢いたはずです。」―という話し。
 戦争とはそういう(人の心を狂わせる)ものだ、ということ。
③小学6年生の作文「ぼくの希望、私の夢―争いのない世界に」―「僕のひいおじいちゃんは、今から80年位前に(というと1928年頃で満州事変前、山東出兵・張作霖爆殺事件当時ということになる。ご本人に詳しいこと、正確なところを聞いてみたいものだが―引用者)戦争に行っていました。ひいおじいちゃんは、鉄ぽうを持ち中国の満州に行っていたそうです。『少しでもたくさんの人を殺してこいよ!』と、目上の人から命令されていたそうです。でもひいおじいちゃんは一人もキズをつけずにいました。そればかりか、満州の人と助け合っていました。」「日本の兵隊が、そのひいおじいちゃんと助け合っていた満州のおじいさんおばあさんを殺そうとした所を守ってあげたそうです。この時ひいおじいちゃんは人としての思いやりを忘れなかったのでしょう。そして、戦争中にひいおじいちゃんが敵の兵隊にうたれ、日本に帰って来ました。帰って来た時もうたれたキズが残っていたそうです。なぜ同じ人間なのに、自分の国の都合で殺し合うのでしょうか?この話しを聞いて僕は、そんな人間がおかしく思えてきました。戦争に行った兵隊も、本当は殺したくなかったと思います。戦争は、国のえらい人同士のけんかです。罪のない人が他人のせいで死んでしまうなんて、その死んでしまった人や、けがをした人、そしてその家族は、いくら悔やんでも悔やみきれない事だったと思います。『お国のために喜んで行って来ます。』なんて言って、帰ってこれなかった人も大勢いると思いました。人は、協力して生きる、思いやりの心をもって生きるために生まれてきます。戦争のある世の中では、そうは生きられません。」
 この作文は米沢市立塩井小学校6年生のH君のものだが、彼の考えは、まさに戦争そして人間というものの本質をついているように思われる。

 人間はだれしも生まれたかぎりは生きようとする本能的な欲求をもっている。しかも、人間はだれしも他の人々と共に生きる共同的存在(たとえば、シマウマは群れから離れたらライオンにやられる。人間も基本的にはそれと同じで、他の人々から切り離れたら生きてはいけない存在)なのであって、相互補償(他人の足りないところを助け、誰かの欠けたところを他の人が補うこと)によって生命を維持・存続させている。
 糸川英夫博士(国産ロケットの生みの親、著書「21世紀への遺言」)によれば、人類は一つの生命を共に守る(共同によって生命を存続する)存在なのであって、究極的には60億人の人口がすべて健全であってこそ生き残れる。(例えば「寒さに非常に強い人は、氷河期になっても生きることができる。寒さに弱い人は生き残れない。その時、暑さに強くて寒さに弱い人を見殺しにすると、氷河期が終わって地球の温度があがった時は、寒さに強い人だけが残って熱さに強い人は皆いなくなってしまう。氷河期には寒さに強い人が寒さに弱い人の面倒をみることによって生命力を分担しなければ、地球人類が絶滅する危険が出てくるわけ」である。)
 H君が書いている「人は、協力して生きる、思いやりの心をもって生きるために生まれてきます。」とは、このような人間の在り様の本質をついたものと思われる。
 然り、すべての人は協力して生き、思いやりの心をもって生きるように生まれてきた。だから人は、殺してはいけないし、戦争をしてはいけないのだ。



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