米沢 長南の声なき声


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五輪選手を応援するのは国家のため?
2008年08月19日

 「国家無縁とは五輪の理想論」と題した投稿に「国家など関係ない、というのであれば、国民は、なぜ縁もゆかりもない選手をこれほど応援するのか」とか「選手の強化費にも多額の税金が投じられている事実を忘れてはいけない」などとありましたが、違和感をもちます。
 「メダルの数を数えて喜ぶ」(逆に、ある国より少なければガッカリすることになる)とか強化費=税金を気にするなど純粋な応援と言えるでしょうか。
 「看看北京」の言わんとするところは、選手は国家に貢献するためとか表彰式で「日の丸」を揚げるためなどと余計なことにはとらわれずに、ただひたすら自己の最高記録だけをめざし、或は一戦一戦を勝ち抜くことだけをめざして、自分の「すべての力を出し切ることに集中してほしい」ということにほかならないのでは。
 「アスリートとして自らに備わり鍛えた体力・精神力・技を世界から集まったアスリートたちと競う、そのために命がけで頑張る」というのが選手たちの自然な気持であるし、応援する我々もその選手に対して、日頃からフアンだという人はもとより、たまたま同国人というただそれだけの縁から親近感をもち、その頑張りを期待し、頑張る姿に感動を覚えて応援するのであって、国家のために応援するのではない。


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