米沢 長南の声なき声


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抗議なら首脳来日の時に
2008年04月22日

 「喪服で聖火を迎えては」との投稿がありましたが、それははたして如何なものか。
 そもそも、オリンピックの原点はといえば、4年に1度、政治的対立・抗争を超えて、世界の全ての地域の代表選手が一堂に会し、競技を通じて交流するスポーツの祭典、ということにあるであって、そのことに全く相反する行為は勿論のこと、それに水を差すような行為も控えるべきなのでは、と思うのです。そのような行為とは、即ち、試合を戦争の代わりに敵国選手に対して憎しみをぶっつけ合う場として利用すること、オリンピックを国威発揚に利用すること、政治的抗議など何かの意志をアピールする場として利用すること、等のことでしょう。
 ところがこのところ、それらがしきりに行なわれ、オリンピックの原点が全く忘れ去られている感がある。
 相手国および自国選手と大会運営関係者に対して純粋な心で敬意を表し歓迎し応援してくれる、それが全てであれば良いものを、それに何かある国に対する政治的抗議の意思が込められているとなると、そのやり方が過激であろうとなかろうと、どんな形であれ、それはその国の選手や大会運営関係者の心を傷つけ、その国以外の選手・大会運営関係者たちの気分をも損なわずにはおくまい。

*投稿は4月22日付けの朝日新聞に載っていたもので、「抗議の喪服で聖火を迎えては」、それっだったら「中国側の反日感情を刺激するのをいくらかは防ぐことができるかも」というもの。
*例えば、結婚式に喪服を来て出席する、などということがあってよいものだろうか。(新郎か新婦が中国人だからといって。)
*北島康介選手や福原愛選手たちが聖火を手に走ってくる、それをただひたすら応援し歓声で迎えればよいのであって、旗を振るなら五輪旗だけでよい。「手錠の五輪」は勿論のこと、チベット国旗も、中国国旗も場違いなのであり、「日の丸」だっても。
*チベット問題について抗議や意志表示をしたいのであれば、近々、胡錦濤主席が来日する、その時、東京で存分にやればよいわけである。


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