米沢 長南の声なき声


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聖火リレーで試されているのは?
2008年04月10日

 本紙(朝日)は社説に「中国が試されている」と題し、長野で「聖火をどのように迎えるか、人ごとではない」と書き、「天声人語」には「それで民主化が進むなら、祝祭に水を差す騒ぎも無駄ではない」と書いていた。またある民放TVのワイドショーでコメンテーターが長野での聖火リレーで「日本人の人権意識が問われる」「その日が来るのを思うとワクワクする」などと語っていた。しかし、試されているのはそういうことなのだろうか。
 オリンピックには古代オリンピア祭典に際して守られていた「聖なる休戦」の伝統に基づく諸国民の平和・友好の精神というものがあるが、各国民がそのオリンピック精神をどれだけ理解し意識しているか、それこそが試されているものなのではあるまいか。
 その国その国民がオリンピック精神に忠実で熱意のある平和愛好国民か。平和憲法をもつ日本国民はどうか。日本人はどの国民にも劣らない人権愛好国民でもあるが、世界中の人々が平和のうちにスポーツを行う人権をも大事に思い、平和の祭典たるオリンピック競技・聖火リレーも大事にして、それらを台無しにするようなことはしたくないという熱い思いをもった国民である。それを世界に示してこそ日本人というものではないだろうか。
 長野では人権支援団体などのアピール活動も平和的なやり方で行なわれる分には大いにあって然るべきだろうが、聖火を掲げて走る北島康介選手や福原愛選手たちを妨害して彼らの活躍の足を引っ張るような行為はあってはならないと思うのですが。


参考
オリンピック精神
「スポーツを通じて相互理解と友好の精神を養い、平和でより良い世界の建設に貢献する」
オリンピック憲章
「オリンピズムの目標は、スポーツを人間の調和のとれた発達に役立つことにある。その目的は人間の尊厳保持に重きを置く平和な社会を推進することにある。」(前文「オリンピズムの根本原則」その2)
「スポーツを行なうことは人権の一つである。各個人はスポーツを行なう機会を与えられなければならない。」それは「いかなる種類の差別もなく与えられるべきである。」(同その4)
「スポーツを人類に役立て、それにより平和を推進するために、公私の関係団体・当局と協力すること」(第1章「オリンピック・ムーブメントとその活動」2「IOCの使命と役割」その④)
「スポーツや選手を政治的あるいは商業的に悪用することに反対する。」(同その⑩)
IOC委員は「いかなる政治的または営利的な影響力、およびいかなる人種もしくは宗教上の考えに左右されないこと」(第2章「国際オリンピック委員会」16「委員」その1の③)
4月10日有森裕子氏(五輪メダリスト、長野で聖火ランナーを務める)の言「平和の祭典を通じ,思想やメッセージを伝えることは大事だ。しかし、聖火を消したり、走るのを阻止したりするのは、その表現ではないと思う。・・・・ランナーは特定の政治的立場に立っているわけではないので、きちんと迎え入れてほしい。国際オリンピック委員会はスポーツを通じて平和を広めるという五輪の意義を、もっと理解してもらえるよう務めてもらいたい。」


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