最近つくづく思うのだが、テレビにしても新聞・週刊・月刊誌にしてもメディア情報にはよほど気を付けなければならないということだ。
(1)「給油」は国益?
テロ特措法による海上自衛隊のインド洋上の給油活動が中断したことについて、NHKニュースなどの解説員や特派員は、「中断は、多国籍軍の海上阻止活動に支障を来たすことになり、国際的なテロとの戦いの戦列から我が国が退くことによって足並みが乱れることにならないか危ぶまれています」とか、「国際社会から感謝され、高い評価を得てきたこれまでの我が国の国際貢献への努力が水泡に帰すことにならないか、懸念されます」とか、「日本外交の要である日米同盟に暗い影を落とし、アメリカの失望がいらだちに変わる危うさをはらんでいます」とか、「中断によって国際社会での我が国の発言力・外交力が損なわれ、我が国が孤立さえしかねない危うさをはらんでいます」などといった解説をしている。
それに政府与党の政治家たちや彼らに同調する論者が、よく口にするのが「9,11テロ事件の犠牲者の中には24人もの日本人もいたことを忘れてはいけない」とか、「今もこうして使っている電気や燃料の源は、大部分が中東から輸入してくる石油に頼っている。そのシーレーンを守るために『海上阻止活動』にあたるアメリカなど諸国の艦船に、自衛隊は灼熱の太陽の下で給油活動たずさわっていたのです。」「それをやめたらインド洋はテロリストの海になってしまう」などといった言葉。これらの言葉は、何も知らない庶民を「給油」継続・再開に賛成という気にさせる。
読売新聞(11月27日付)には、新テロ特措法案について次のような投稿(46歳、女性)が載っていた。
「新聞やテレビを見る限り、私はこの法案を成立させた方が良いと思う。」「全世界を脅かしているテロに対し、日本も国際貢献してはっきりとした態度を示すべきだと思うからだ。そうでなければ、アメリカを始めとする世界各国から先進国の仲間として認めてもらえないのではないだろうか。」「国民に訴えかけ給油活動再開を」
というわけである。世論調査といえば、読売新聞(11月10・11日実施)などその質問の仕方は次のようなものだ。
「海上自衛隊が給油活動を続けることに、賛成ですか、反対ですか。」
「あなたが賛成する理由を、次の中から、あれば、いくつでもあげて下さい。
・「日本もテロとの戦いに参加すべきだから。」(と云われれば、「そうだな、どの国も一生懸命になっている『テロとの戦い』に日本だけ参加しないというわけにはいかないだろう」と思ってしまう)
・「これまでの活動が国際社会に評価されていたから。」(と云われれば、「そうか、そんなに評価されていたのか」と思ってしまう)
・「良好な日米関係を維持するために必要だから。」(と云われれば、「そうだ、アメリカとの関係が悪くなっては大変だ」と思ってしまう)
・「日本にとって石油輸入ルートであるインド洋の安定が重要だから。」(と云われれば、「それは、そうだろうな」と誰しも思うだろう)
・「比較的安全な活動だから。」(と云われれば、「確かにそうだ、それくらいやってもいいんだ」と思ってしまう)
一方、「反対」と答えた人に対しては
「あなたが反対する理由を、次の中から、あれば、いくつでもあげて下さい。」として
・「憲法に違反しているから。」
・「給油した燃料がイラク戦争に転用された疑いがあるから。」
・「アメリカの要求に従う必要はないから。」
・「民生支援など別の分野で協力すればよいから。」
・「防衛省の不祥事が続いているから。」
・「その他」
といったことをあげている。
この調査結果は、「賛成」が50,6%、「反対」が40,3%、「答えない」が9,2%。
同新聞(11月13日付)は「本社調査で初めて賛成が過半数を占めた」「新テロ特措法案への賛否では『賛成』が49%で『反対』の39%を上回った」と報じている。
たしかに、安倍首相辞任でこのテロ特措法・「給油」継続問題がクローズ・アップされ始めた当時までは、報道各社の世論調査は「反対」のほうが「賛成」を上回っていた。それが、読売新聞・NHKともに「賛成」のほうが「反対」を上回るに至っているのである。それは、上記のような政府に寄り添ったメディアの報道や論評あるいは世論調査自体による世論誘導の結果であろうと思われる。(但し、NHKの調査では、新テロ特措法に賛否は半々で、やや賛成が上回るが、「わからない」が40%で一番多い。確かで充分な情報・判断材料がメディアによって提供されていないからだろう。)
(2)対テロ戦争と「給油」の実態は
そもそも、「テロとの戦い」といっても、その定義は何なのか(「対テロ戦争」などという言葉は、最近では、日本以外にはどの国でも使っていないといわれる)。
それは、テロリスト(その武装組織)との戦争(戦闘、掃討またはテロ攻撃の阻止・抑止の軍事活動)のことなのか。(ビン・ラデンやアルカイダのメンバーを捕まえるのに軍勢をくりだす、それは万引き犯を捕まえるのに戦車をくりだすようなもの。)そもそも「テロリスト」とは?(反米主義者イコール「テロリスト」と見なすのか?)
それとも、テロ―刑事犯―の取り締まり(警察的・司法的対処)のことなのか、
それとも、テロの温床・土壌(発生源)―貧困、宗教的・民族的差別、その絶望的な状況―を取り除くための様々な努力(和解・和平の仲介、武装解除、生活基盤の建設・改善、教育など)のことなのか。
これらの全てだとしても、必要不可欠なのはどれか、必要不可欠でないのはどれか、である。軍事作戦(アメリカ主導の有志連合軍による「不朽の自由作戦」OEFとか、国連多国籍軍による「国際治安支援部隊」ISAFなどの軍事行動)への自衛隊の補給支援(洋上給油)やISAF参加だけが「テロとの戦いへの参加」ではないはずである。
我が国は、この6年の間、給油・補給支援活動に600億円つぎ込んでいるが、それ以外にも、非軍事分野(アフガニスタンの「治安分野改革」SSR―軍閥・非合法武装集団の武装解除、国軍改革、警察・司法改革、麻薬対策など)で1,400億円もつぎ込んでいるのである。
軍事作戦に参加している国は、世界192カ国中、OEFには20カ国、「海上阻止活動」MIOには米・英・独・仏・パキスタンの5カ国(カナダ・ニュージーランドは中断)だけであり、ISAFにはNATO諸国など37カ国だけなのである。
日本の海上自衛隊が補給支援をしていた軍事作戦はどのようなものかといえば、例えば今年2月~7月アメリカのステニス空母艦隊がアフガン作戦とイラク作戦で計8,000回以上の艦載機攻撃を実施し、精密誘導弾160個以上、弾薬1万1千発以上撃った、となっている(その空母艦隊に給油)。そのような空爆作戦とそれへの給油が6年間おこなわれてきたのだ。(新テロ特措法は「海上阻止活動」に従事する艦船への給油に限定するとはいっても、その艦船がアフガン作戦あるいはイラク作戦など複数の任務を同時に持っていても、それはしかたのないことだ、とも、国会審議における政府答弁で町村官房長官などは言明している。)
ところが、このような軍事作戦は、はたして成果をあげているのかといえば、さにあらず、ビン・ラデンもオマル師も未だ討ち取れず、タリバーン政権は倒したものの、その勢力は再び盛り返しており、自爆テロ等はかえって激化している。アフガニスタンはイラクとともに泥沼化しており、テロは拡散しているのである。ということは、この軍事作戦を支援している我が自衛隊の補給活動は「テロとの戦い」に必ずしも成果をあげていないばかりか、アメリカ等の艦船から飛び立つ作戦機がテロリストと民間人が混在する地域を攻撃して市民生活を大混乱に落としいれ犠牲者をだすのに、かえって手を貸す結果になっている。
NGOペシャワール会の現地代表で、難民医療と灌漑用水事業にあたっている中村哲氏は、軍事攻撃は人道復興支援の障害になるとの考えで、「殺しながら助けることはできない」と語っており、軍閥・民兵の武装解除に日本政府特別代表として従事してきた東京外語大学院の伊勢崎教授は、現地の人々は、日本は何もしていない(軍事介入はしていない)という「美しい誤解」のために日本人に信頼を寄せてきたが、インド洋で給油活動をやっていることが知られるようになった今、テロリストから狙われるようになるだろうと(国会の参考人質疑でも)述べている。日本国際ボランティアセンターの前アフガニスタン現地代表の谷山博史氏は「アフガン本土に日本は自衛隊を派遣しておらず、歴史的にも侵略行為をしていないため信頼されています。・・・・イランやパキスタンそして米国とも良好な関係をもっている日本は外交的な手段で和平の主導権を担う立場にあるのです」と語っている。
11月20日の朝日新聞には社会面に小さく次のような記事が出ていた。「平和的アフガン支援、NGOが要望」という見出しで、「アフガニスタンに拠点を置いて支援をしている日本のNGOが19日,東京都内で、共同で記者会見し、『軍事的な活動より文民による平和的な支援について論議を』と訴えた。近く各政党に要望書を送る。/団体は、シャンティ国際ボランティア会(その他、略)・・・で、アフガン国内で病院を運営したり、学校や給水施設を建設したりしている。」と。そもそもアメリカは9,11テロ事件で逆上し、ビン・ラデンら国際テロ組織(アルカイダ)をかくまっているとしてアフガンのタリバーン政権に報復攻撃を開始、諸国に対して「アメリカにつくか、テロリストの側につくか」と迫り、国際戦争を起こした。NATO諸国をはじめ、少なからぬ国がそれに応じ、日本も「ショウ・ザ・フラグ」(旗幟を鮮明にせよ)と迫られて急きょ「テロ特措法」を制定して始めたのが自衛艦によるインド洋上給油活動なのである。
当時は、後のイラク戦争の場合とは違って、国際世論もアメリカに同情的で、その対テロ「自衛戦争」に対する反対運動がさして起きなかったことも確かである(日本の新聞・テレビも一様に開戦は「当然」もしくわ「やむなし」との論調)。
しかし、現代の文明世界では(国連でも)「報復戦争」は禁じられているのである(1970年10月の国連総会決議で採択された「友好関係宣言」で「武力行使をともなう復仇行為」禁止)。報復攻撃―肉親が殺され、新たな憎しみを呼び起こす―は、さらなる報復を招き、はてしない「報復の連鎖」(悪循環)を招くだけであり、パレスチナ、チェチェン、イラクそしてアフガニスタンでも、それが現実となっているのである。
テロには、それを犯罪として警察的・司法的に対処するしかないのであり、国際テロ組織に対しても国連中心の政治的解決とともに警察と司法(法に基づく裁き)による解決をはかるべきなのだ。現に国連も報復の悪循環を指摘して、「軍事的対応」から「政治的取り組み」に切り替えることが必要だと唱え出しており、アフガンのカルザイ政権も政治的解決をめざす「平和と和解のプロセス」に切り替える方針を打ち出している。
テロ根絶には、その温床・土壌となっている貧困・宗教的民族的差別・人権抑圧など虐げられている人々の絶望的な状況を無くすることが先決なのである。
国際貢献―「豊な民主主義国」「経済大国」として相応しい貢献が日本に求められている
というが、なぜそれが、即「自衛隊派兵」「軍事貢献」でなければならないのか。憲法で非軍事を国是としている日本に相応しく、非軍事貢献だけではいけないのか、である。「給油」が国際社会から高く評価され、感謝されているというが、給油を受けている艦船とその国の政府にとっては、日本の無料給油サービスはすこぶる有難いことには違いない。それらの国は、関連する国連安保理決議にそれへの感謝の言葉を日本側の働きかけ(要請)に応じて盛り込ませることに同意したわけである(ロシアは棄権、中国は賛成票は投じたものの苦言を呈している)。いずれにしても、「高く評価」「感謝」しているのはアメリカをはじめ限られた国の政府や軍の担当者たちだけであり、それ以外は、日本が「給油」してやっていることなど誰も知らないことなのである(伊勢崎教授は、アフガンの政治家たちさえ、最近、日本政府がしきりに「給油」支援を言い立てるようになるまでは誰も知らなかったことだ、と述べている)。
有志連合軍の「海上阻止活動」とそれへの自衛艦の給油が、インド洋のシーレーン(航路)の安全確保に役立っているというが、それまで(アフガン戦争開始以前)インド洋でそのような「海上阻止活動」など行なわれていなくても、日本は中東から石油輸入をずうっとやり続けてきて、その間テロ攻撃に脅かされ続けてきたというわけではないし、「海上阻止活動」のおかげで石油タンカーがかつてなく安全航行できるようになったというわけでもない。(アメリカが主導して起こしたアフガン戦争・イラク戦争などのおかげで、中東からの石油輸入航路の安全が損なわれていることは確かだ。むしろアメリカ等が中東で戦争をやめてくれたほうが、シーレーンは安全を取り戻すというものだ。)
この「海上阻止活動」はアフガン攻撃作戦の一環なのであり、アルカイダなどのテロリストがアフガンから逃げ出そうとしたとき、それを海上で阻止するためのものであって、そもそも「シーレーン防衛」を目的としたものではないのである。(海賊対策ならば、かねてより沿岸諸国と治安協力を行なっており、最近では北アラビア海やベンガル湾・房総沖などで日・米・英・仏・インド・パキスタン・オーストラリアそれに中国も加わって海上多国間共同訓練も行なっているのである。)「給油している油」ははたして何に使われているのか(「海上阻止活動」以外にアフガン攻撃さらにはイラク攻撃に転用されてはいないか)の疑惑とともに、その油ははたしてどこから調達しているのか(商社を通じて調達しているはずだが、その商社名も)機密として公表されていない。様々な装備(艦艇・航空機など兵器関連製品)の調達にからむ「防衛利権」疑惑の問題(「山田洋行」などの防衛商社とアメリカの兵器関連メーカーと防衛省庁の官僚あるいは政治家との間の利権疑惑―国民の血税が食い物にされるという問題)もあるわけである。
「給油活動」をやめたら日米同盟に亀裂が生じ、アメリカが日本をあてにしなくなり、我が国はアメリカから守ってもらえなくなるなどの強迫観念にとらわれる向きがあるが、日本が「給油」をやめたぐらいで、アメリカは日本を見捨て、沖縄をはじめ日本各地に置いている基地を放棄し、駐留軍を撤退させるわけはないのである。「給油」などはどうあれ、アメリカにとって世界戦略の要(戦略的根拠地)である日本を手放すはずはないし、「思いやり予算」など日本政府がだしてくれる基地駐留経費はアメリカにとっては、この上も無く「おいしい」サービス提供なのである。
これらのことはNHKや民放でも地上波ではあまり伝えられることも語られることもなく、衛星放送の朝日ニュースター(「愛川欽也パックインジャーナル」や第4土曜日の「ニュースに騙されるな」)などで、私の場合キャッチしている。
新テロ特措法案は衆院で可決した。特別委員会のその時の様子をテレビで見たという一中学生は、朝日新聞に投稿して次のように指摘していた。
「野党の方が議長の周囲に集まり、可決を批判していました。テレビの解説で、野党の質問が重複してきたので議論が打ち切られた、という説明がありました。僕はこのことに違和感を感じました。質問が重複しているのは、その質問に対して相手が納得できる返答をしていないからだと思います。」
この中学生はテレビの解説を鵜呑みにせず、批判的に聞いている。そういう賢い中学生もいるのだが、NHKなど、とかく政府与党寄りの解説をするテレビや新聞があるのである。
(3)「大連立」
メディアの多くは「二大政党制」肯定の立場のようである。自民党と民主党のイデオロギーは共に保守思想で(民主党の中にはリベラル派もいるが)、支持基盤も、財界・大企業、それらと利害を共にする株主や経営管理層、富裕層、「勝ち組」・エリート層などの「恵まれた階層」である。改憲、日米同盟堅持、海外派兵容認、規制緩和・民営化、法人税減税・消費税増税など基本路線は共通している。その自民・民主がマスコミによって「二大政党」ということにされ、自民がだめなら民主、民主がだめなら自民だといって、この二つのどちらかに投票を仕向けられる。
1人しか当選しない小選挙区制の下では二大政党が議席のほとんどを独占し、その他の党が議席を獲得する余地は非常に少なくなり、二大政党以外の党を支持する人々の民意はほとんど反映されなくなり、排除される。
両党は「政権交代」が必要だといって、政権争いを演じ、党利党略で対決姿勢(対立的ポーズ)をとったりするが、両党が「政策協議」(談合)して合意すれば、いわんや連立政権を組めば圧倒的多数の賛成で事は簡単に決まってしまう。
読売新聞社はかねてより改憲を主張している(改憲試案も作っている)が、同じ改憲派の両党が大連立して改憲案をつくるか改憲案の合意に達すれば衆参ともに3分の2以上の
賛成で改憲発議が可能となる。
とりあえず、自衛隊の海外派兵恒久法(テロ特措法もイラク特措法も時限立法で派兵先と期限が限定されているが、その限定を取り去って、いつでも、どこへでも派兵できるようにする)や消費税増税などでの合意を図り、「小異を残して大同に」と「大連立」協議を持ちかけたのが、我が国のメディア王ともいうべき読売グループ会長(渡辺恒雄氏)なのである。
それに乗って二度の密室党首会談に応じた小沢民主党代表は党内外の反発にあって、一旦は辞意を表明した。その時の記者会見の中で、読売新聞等に「大連立」協議を先に持ちかけたのは小沢だと書かれたことに対して憤懣やるかたなく、次のように述べた。
「朝日新聞・日経新聞等を除き、ほとんどの報道機関が、政府・自民党の情報を垂れ流し、みずからその世論操作の一翼を担っているとしか思えません」「報道機関が政府与党の宣伝機関と化したときの恐ろしさは亡国の戦争へと突き進んだ昭和の歴史を見れば明らかであります」と。
その一方で、小沢氏は「大連立」は断念し、それには応じないことにして辞意は撤回したものの、その協議自体は間違ってはいないと言明しているのだが。ジャーナリズムの役割は、国民の立場に立って権力をチェック・監視し、国民に情報や判断材料を提供することにあるのだが、それをさしおいて自らの支持もしくは唱導する政策や政治路線に世論誘導しようとする。
そのようなマスコミ・マスメディアの情報には騙されてはならず、鵜呑みにしてはいけない。そんな世論操作・世論誘導に乗せられてなるものか。なあ、我が子、我が孫たちよ!