安倍前首相は「戦後レジームからの脱却」「美しい国へ」をかかげて、さっそうと登場したが、「健康上の理由」からあえなく退陣し、1年足らずの短命政権に終わった。
「安倍カラー」といわれたが、それはイデオロギー色が強いものだった。そのイデオロギーとはどのようなものか、考えてみたい。
(1)自民党のイデオロギー
(北大助教授の中島岳志氏によれば)近代における本来の保守主義とは懐疑主義的人間観に立ち、フランス革命などで理想社会の実現を説く人々を批判して人間の理性と能力の限界を認識し、急激な改革に待ったをかける。そして抽象的な理念の普遍性を疑い、歴史の風雪に耐えた具体的な伝統や慣習を重んじる考え。そのような保守思想は急激な変化を嫌い、現体制を擁護するが、時代の変化に柔軟に適応し、自由主義的な価値を吸収しようともする思想なのだが、自民党など我が国のそれは、天皇制など戦前来のやり方(やってきたこと)を肯定・擁護する思想傾向をもち、米ソの冷戦下にあって親米・反共主義の思想傾向を持つようになった。我が国のそのような保守思想の典型的な持ち主は岸信介・中曽根ら元首相である。(但し、北大教授の山口二郎氏によれば、我が国の保守派には思想的な核がなく、各人の思想はバラバラで単なる「左翼嫌い」といったニュアンスが強いという。)
歴代の首相の中で改憲を公然と打ち出したのは岸元首相であり、彼が主導して保守合同で結成した自民党の綱領にそれを掲げた(鳩山内閣で憲法調査会を設置、岸内閣の下で審議開始)が、日米安保改定は国民の大反対を押し切ってやり通したものの、改憲は果たすことはできなかった。(社会党など改憲反対派に対して、衆参両院で3分の2の多数を占める見込みがたたなかったからだ。)それ以外には、どの首相も、自分の在任中は改憲しないと国民に公約するようになった。
そして歴代首相の多くは、イデオロギーよりも国益(経済的実益)を優先し、たとえば対中国外交でも、中国とは思想や価値観の違いはあっても、それらイデオロギーにとらわれてばかりいないで、日中関係改善によって得られる実益のほうを重視し、国交回復を断行した田中首相をはじめいずれも関係改善に努めた。
中曽根元首相は岸の系列をひいて大国志向・改憲志向が強かった。そして「戦後政治の総決算」を掲げて経済大国から政治・軍事大国へとめざしたが、野党(自民党議席数に接近)の反対もさることながら、腹心の後藤田らによって抑えられ、防衛費の対GNP比1%枠の撤廃がやっとであった。
靖国参拝は(その以前は三木首相が「私人として」参拝したが)中曽根首相は「首相として」公式参拝を試みたものの中国・韓国から批判され、一回きりでそれはやめた。それ以後は橋本首相が(「私的立場で」と言いながら「内閣総理大臣」と記帳して)参拝したことがあったが、小泉首相は(総裁選に際して旧軍人遺族会に靖国参拝を公約したいきさつから)在任中毎年参拝し、中国・韓国から反発され両国との首脳会談は一度も行なわれなかった。
(2)安倍イデオロギー
安倍首相は、首相就任前には「次の総理大臣も、その次の総理大臣も靖国参拝すべきだ」と言っていながら、「参拝に行くとも行かないともは言わない」という「あいまい戦術」をとり、中韓両国を訪問・首脳会談は再開した。
彼はどのようなイデオロギーをもち、どのような政治を行なったのかといえば、そのイデオロギーは保守思想ではあるが右翼思想に近いのでは、と思われる。「右翼」の体質を特徴づける指標は復古的権威主義・神秘主義・国粋主義・排外的ナショナリズム・ファシズム等への親近性である。
今、我が国には「日本会議」と称する団体がある。(1997年、その以前からあった「日本を守る国民会議」と宗教的な団体「日本を守る会」が合流して設立。現会長は元最高裁長官の三好氏。)それは、従軍慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めそれに「お詫びと反省」の意を表した1993年当時の河野官房長官談話と、かつての植民地支配と侵略を「国策の誤り」と認め反省と「お詫び」を表明した95年当時の村山首相談話という二つの歴史的「談話」に反発して結集したものだ。その「日本会議」は、日本が過去におこなった戦争を「自存自衛とアジア解放のための正義の戦争だった」と主張し、「美しい日本の再建」をスローガンに掲げ、新憲法制定の推進を基本方針に、教育基本法「改正」、首相の靖国参拝の定着、夫婦別姓反対、皇室典範改正反対(女性天皇反対)、「正しい歴史教科書をつくる」等の運動を展開してきている。佐高信氏や俵義文氏(「子ども教科書ネット21」事務局長)らは日本最大の「右翼組織」と見なしている(出版社「金曜日」発行の『安倍晋三の本性』)。
その結成とあいまって国会議員のその関連団体として「日本会議」議連(日本会議国会議員懇談会)が結成されている。それには(2005年時点で)自民党209名(全自民党議員の51%)、民主党25名、無所属1名が所属。麻生氏が2代目会長で現在の3代目会長は平沼氏。安倍氏は(首相就任前)その議連の副幹事長をしていた。安倍内閣の閣僚18人中12人が所属。
また、この他にもメンバーの重なる様々な「議連」が結成されている。
歴史教育議連(「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」。1997年、河野談話を機に中学校歴史教科書に「従軍慰安婦」の記述が入ったことに危機感をもって結成。これまで学校でおこなわれてきた歴史教育は「自虐史観の侵された偏向教育だ」としてその是正をめざす。)―会長が中川昭一氏(現在は中山元文科相)で、安倍氏は事務局長だった。安倍内閣の閣僚中7人がそのメンバー。
神道議連(「神道政治連盟国会議員懇談会」)―会長は綿貫氏で副会長は古賀氏らだが、安倍氏は事務局長だった。安倍内閣の閣僚中の7人が所属。
改憲議連(憲法調査推進議員連盟)―会長は中山太郎、安倍内閣閣僚中11人が所属。
靖国議連(「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」)―安倍内閣の閣僚中12人所属。
安倍首相には、閣僚とは別に非公式なブレーンが5人いるが、彼らはいずれも「新しい歴史教科書をつくる会」や「北朝鮮に拉致された日本人を救う会」の関係者か賛同者。
佐高氏・俵氏らは、このような安倍内閣を「日本会議内閣」と称し、極右政権と見なしているが、右翼的イデオロギーに偏っていることは確かだろう。加藤紘一元自民党幹事長は「なかよし内閣」と評したものだが、それは、日本会議議連・歴史教育議連・神道議連の仲間同士で固めた内閣ということだろう。安倍前首相は岸元首相の孫として生まれ育ち、その祖父を「誇らしく」思い(自著「美しい国へ」にそう書いている)、祖父の意思を継いで改憲などその実現を果たそうと志してきたわけである。彼の考えは、祖父がやってきたこと、考えてきたことは正しく、それが間違っていたなどとは思わず、むしろ祖父を批判・非難する方が間違っているという考え方で貫かれている。(彼の高校時代、革新・反権力・反安保を言い立てる進歩的文化人・マスコミは「うさんくさい」と思い、そのような教師に反発したと自著に書いている。)戦前・戦中・戦後にわたって祖父がたずさわってきた政治(満州国の国務院総務司長を務め、東条内閣の閣僚として対米開戦詔書に署名、終戦直後A級戦犯容疑で逮捕され巣鴨刑務所に3年間拘置された―その時「名を変えてこの身いくさの正さを来世までも語り伝えん」と詠む―が、日本を反共の砦に利用しようとしたアメリカの思惑で不起訴。連合軍占領解除後、政界復帰、反共と改憲を旗印に「日本再建連盟」をつくり、自民党の幹事長を経た後首相となり、日米安保改定を推し進め、それに対する反対運動が全国にわき起こったにもかかわらず国会で強行採決、同条約批准をやり遂げた直後に総辞職。これらはいずれも)間違ってはおらず、それを引き継ぎ、改憲など祖父が果たそうとして果たせなかったことを実現してみせるという基本的な考え方にたっている。
したがって彼のイデオロギーはその立場で貫かれていると思われるが、それは次のようなものである。
①その歴史観・戦争観
それは藤岡氏らの「自由主義史観研究会」や「新しい歴史教科書をつくる会」と同じ考え方であり、靖国神社関係者とも同じ考え方(いわゆる靖国史観)といってもよい。
天皇中心史観(かつての「皇国史観」)で、日本の歴史は「天皇を縦糸にして織られてきた長大なタペストリー」(「美しい国へ」)だとする。
また相対主義史観で、各国がそれぞれ異なる歴史認識をもつのが自然であり、歴史認識を共有することなどできはしない。(だから、韓国との間であれ中国との間であれ歴史共同研究は無理だというわけ。しかしドイツは、ポーランドやフランスとの間でそれを積み重ね、それぞれ共通の教科書をつくって、和解・過去の清算に努めてきた。)また、歴史はその時代に生きた国民の視点で論ずるべきであって、今ならばとんでもないと思われることでも、その当時は誰も問題だとは思わなかったし、当然のこととして肯定・支持されたのだ。だから現代の基準や今の視点で歴史を評価するのは間違いだと云って、批判の余地を与えない考え方をする。(奴隷制度・封建制度にしても天動説にしても、或は戦争や植民地支配にしても当時は当たり前のことだったと。しかしそれは支配者たちから見ればの話しなのであって、被支配者・民衆からみれば必ずしもそうではなかったはず。ただ、その時代、人々には抵抗権はもとより思想・言論の自由がなく、「民は寄らしむべし、知らしむべからず」で、いくら「それはおかしい」或は「理不尽だ」と思っても「お上」(世俗的・宗教的権力者)のやること、説くことに異議をとなえたり反対したりすれば「しょっぴかれ、ぶち込まれる」ので否応なしに肯定・支持せざるを得ないという状況があった等のことが、ここでは度外視されている。)
安倍氏らによれば、日中戦争・太平洋戦争も、「あの時代には、あの時代の我が国の主張」があり、当時の国家指導者たちのその判断は考え得る最善の選択・判断だったのであって、結果は不幸な結果に終わったとしても、それは「仕方のないこと」で、罪を問われる筋合いのものではない。したがって「東京裁判は不当であり、そこでA級戦犯とされた戦争指導者を含めて国家のために命を捧げた軍人・軍属を祀る靖国神社を首相や閣僚が参拝するのは何ら差し支えない。戦犯といっても我が国の国内法では犯罪者とは扱っていない」というわけである。(東京裁判には、公正を欠き、アメリカの思惑で天皇の責任を不問、岸らを不起訴にし、アメリカの原爆使用を不問にしている等、問題があることは確かだが、だからといって日本の戦争行為が正当であったということにはなるまい。インドのパール判事にしても、彼が無罪を主張したのは事後法の適用は認められないという理由からであり、だからといって日本の侵略・加害の事実が無かったとか、戦犯とされた彼らに責任は無いとは云っていないのである。)
安倍氏らのこれらの考え方は、それまでの通説や教科書記述を「自虐史観」「東京裁判史観」と云って批判する「新しい歴史教科書をつくる会」と同じ考え方であるが、安倍氏らは歴史教育議連を通じて、この「つくる会」の活動(同会のメンバーによって執筆・監修された教科書の採択活動)をバックアップしてきた。また教科書検定によって、それまで各社の教科書で取り上げられてきた「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」は削除されるか修正され、沖縄戦に際する「集団自決」の記述から軍の関与・強制は削除された。これらは「日本国民としての自尊心を傷つける自虐だ」との考えからであろうが、それは逆に「慰安婦」にされた外国人女性や南京市民、それに沖縄島民の自尊心を傷つけることにならないのだろうか。沖縄では11万人もの人々が抗議集会に集まった(そこで高校生代表は「私たちのおじいおばあたちが、うそをついているといいたいのでしょうか」と訴えた)が、それは沖縄島民が自らの自尊心が傷つけられたことに対する怒りにほかなるまい。(尚、文科大臣らは、教科書検定は公正・中立だと弁解していたが、検定調査官―常勤職員だが採用試験ではなく大臣が任命―4人のうち2人と、審議委員4人のうち2人は、いずれも、元「つくる会」理事で「つくる会」歴史教科書の執筆・監修者である大学教授の教え子もしくは共同研究グループだといわれる。)
②その憲法観
現行憲法は「占領時代の残滓」「押し付けられた憲法」であり、その前文は敗戦国としての連合国に対する「詫び証文」の如きものでしかなく、払拭・清算すべきものと見なす。
しかし、岸元首相のような戦前来の旧官僚政治家や中曽根元首相のような旧軍人出身者の中にはそのような思いをもっていた者もいただろうし、それまでの支配層・権力者層にとっては「押し付けられた」と感じるのは、無理はないとしても、国民の大多数は、この憲法を歓迎したことは、当時の世論調査(1946年5月27日、毎日新聞発表、「天皇は象徴」について支持85%,反対13%、「戦争放棄」必要70%,反対28%、「国民の自由・権利・義務」について支持65%,修正必要が33%)でも明らかである。また事実経過からいっても、一方的に押しつけられた憲法だなどということはできない。最初日本政府は担当国務大臣・松本に草案をつくらせたが、それが天皇主権をそのままにしている等、旧帝国憲法とさほど変わりばえしないものだったためにマッカーサーはGHQスタッフに草案を作らせた。そのGHQ草案には、鈴木安蔵ら民間の憲法研究会が作った草案要綱(そこには国民主権、「天皇は国民の委任により専ら国家的儀礼を司る」、「国民の言論・学術・芸術・宗教の自由を妨げる如何なる法令をも発布することはできない」、男女の公的私的完全平等権、「国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有する」などの生存権・社会権を含む基本的人権が定められており、敢えて軍に関する規定は定めない―「戦争放棄」につながる考え)が取り入れられているのだ。それに、このGHQ草案も議会(委員会・本会議)審議でもまれ、修正も加えられ、最終的に1946年8月24日の衆議院本会議で429票中421票の圧倒的多数の賛成で可決された。8票の反対も、その主な反対理由は「勤労者の保護規定が不十分」だとか、「天皇存続規定に反対」「一院制支持から参議院規定に反対」「平和主義が空文」などといった理由で、むしろ、より徹底した改正を求めるものであった。これらの事実経過をみれば「押しつけ憲法」だなどとはけっして云えないのである。
また、近代立憲主義では憲法とは国民の人権を守るために権力を規制するものとされるのであるが、慶大教授で改憲論者の小林節氏は、「安倍首相や自民党の憲法観は、権力者がわれわれ国民を管理するという発想」で、「自民党の人たちは二世・三世議員が多いから、自分たちはずっと権力の側にいるという前提で考えているんでしょう。だから国民に国を愛せだとか、いまの憲法は権利が多すぎて義務が少ないなんておかしな主張が出てくる。」とし、自民党の「新憲法草案」は「明治憲法に戻ろうとする、非常に矛盾に満ちた、レベルの低い内容」で、「人権否定の軍国主義」「陳腐な時代錯誤」が見られる「安倍政権に改憲させてはいけない」と断じている。(週間朝日6月8日号)
③その国家観
国家と国民は一体であると考え、個人の自由を担保するのは国家だという考えで、国民の権利は国家から与えられたもの、だから国家に対して義務を負うのだと考えている。それ故に、近代立憲主義が国家と個人を対立関係でとらえ、憲法を国家権力から個人の人権を守るための制定されるものとしているその立憲主義の考え方を違えているのである。
(戦争を起こして犠牲を強いる国家の権力者―権限を与えられている政治家・官僚
や軍人―と犠牲を強いられる国民―沖縄戦で集団自決した住民―や一般兵士―特攻隊の若者とが、はたして一体だと云えるのか。また国民監視の調査活動をおこなう警察・軍隊と監視され調査される国民とがはたして一体だと云えるのか。自衛隊がそのようなことをやっていれば、もはや「国民の自衛隊」とは云えなくなるのでは?)
国民の生存権・生活権を保障するために国家の責任を果たそうとする「福祉国家」政策をやめて、「夜警国家」「安価な政府」(「小さな政府」)で軍事・警察の「強い国家」をめざす。
また我が国家を「天皇を中心とした神の国」だと考える、(その言葉は森元首相の言葉として有名だが、それは神道議連の事務局長をしていた安倍氏の考えでもあろう)そのような国家観である。
④その世界観
人間社会の平和には「リヴァイアサン」(絶対権力をもつ怪物)が必要で、スーパーパワーをもつアメリカこそがその役割を担う。そのアメリカは日本と同盟関係にあり、日米同盟路線はベストであり、かつ不可欠の選択だとして絶対視。ただし「双務性」を高め、日本側の軍事的役割を強める必要があるとして、海外での紛争にアメリカと一緒に肩を並べて参戦(武力行使)できるようにすることをめざす。安倍氏は2002年6月衆議院武力攻撃特別委員会で核保有は(必要最小限の範囲内である限り)憲法上可能だと発言している。
いまだに冷戦思考で、反共主義に固執。中国や北朝鮮に対してイデオロギー的に拒否感をもち続け、北朝鮮に対しては拉致問題を理由に制裁圧力をかけ続け現政権が崩壊するまでは国交正常化はあり得ないと考え、価値観が異なる中国に対して価値観を共有するアメリカ・オーストラリア・インドとの連携を強化するという「価値観外交」を採ろうとする。(しかし、米豪印3国とも日本のその外交姿勢には必ずしも同調していない。)
⑤その教育観
教育の目的は子ども一人ひとりの「人格の完成」にあるとしたこれまでの教育基本法を、「教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家をつくることだ」(「美しい国へ」)との考え(個人よりも国家を優先させる教育観)のもとに改変し、子どもたちを競争させてふるい分ける(教育に競争原理導入、教育格差容認)と同時に、「勝ち組」・エリートであれ「負け組」・非エリートであれ、能力・家庭環境など恵まれた者であれ恵まれない者であれ、それぞれなりに頑張らせ、愛国心など「忘れ去られた『よき価値観』」と規範意識を植え付ける。そのために、教育に対する国家による管理・統制を強める、という考え。
とりわけ歴史教育など「自尊心を傷つける自虐的な偏向教育」を是正し、国に対して誇りをもち規律を重んじる国民の育成をめざして若者の精神を鍛え直す、というわけである。
⑥その家族観
「家族の絆」が弱まったのは、イノベーション(技術革新・経営革新)と産業構造の再編にともない、家族経営・家族労働はもはや成り立たなくなり、都市化・核家族化が進んだ結果であり、「構造改革」政策によってそれにさらに拍車がかかったことに根本原因があるのに、考え方の切り替えや意識の持ちようでそれ(家族の絆)は取り戻せると考える。「古来の美風としての家族の価値」を(「このすばらしきもの」と)重んじ、「男らしさ、女らしさ」にこだわり、戦前の家族制度における「嫁」の役割など性別役割分担(「男は仕事、女は家事」)を肯定・復活させようとする。ジェンダーフリー(男女の社会的差別からの解放)の考えに反対で、女性の社会進出と男女共同参画こそが離婚を増やし、少子化をもたらす元であり家庭の基盤を揺るがす元だとして、男女共同参画社会基本法に反対、という考え方である。
しかし、男女とも仕事と家庭が両立でき、夫婦・親子がそろって一家団欒できる勤務のあり方をどの事業所にもとらせるようにする雇用・労働規制措置を講ずることこそ先決だろう。意識改革を求めるとするならば、それは経営者たちに対してであって、従業員・労働者の家庭生活には最大限配慮しなければならないという意識を彼らに持たせるようにすることこそ肝要なのだ。
ところが、それが労働法制による規制を緩和して終身雇用慣行を廃し、正社員をリストラして、残った正社員には長時間労働を強い、非正社員を増やして彼らには不安定雇用・低賃金労働を強いる。そして安心して結婚も子育てもできないようにしている。そのような実態の改善に手を打つことの方が先決なのであって、「家族の絆」を憲法に書き入れたり、学校で「公民」や「道徳」の教科書に書いて心構えを子どもに教え聞かせればそれで済むというものではあるまい。
⑦その経済社会観―新自由主義
一方では新自由主義の考え方で、企業活動や雇用・労働(派遣・請負労働など)に対しては規制緩和・自由化し、公営事業は民営化して私企業に委ね、或は公共サービスに民間事業者を参入させて市場原理・自由競争に任せる。教育・福祉・医療にも市場原理を導入、社会保障など国や地方自治体の責任に属することであっても自己責任・自助努力に帰せる。
優勝劣敗の競争によって格差をつくり、「再チャレンジ」によって格差を再生産する政策をとる。
その結果、家族の中だけでなく、人間同士の絆が競争格差によって分断されバラバラになった社会の統合を「美しい国づくり」と家族愛・郷土愛・愛国心教育、徳育教育(日の丸・君が代の強制など国家による管理統制の強化)によって取り繕おうとする。
共同体(家族・地域社会・民族)のまとまり・助け合いの伝統を維持・復活しようとする、その意味では保守主義だが、国家が社会保障(公的扶助)に責任を持つという福祉国家論には反対で、市場原理・自己責任に任せる新自由主義の立場に立つことから「新保守主義」と称される。そのような経済社会観に立っている。(3)安倍首相辞任、福田首相に交代
安倍首相はこれらイデオロギーを前面にだして教育基本法「改正」を強行し、改憲手続法(国民投票法)の制定を果たした。そしていよいよ改憲・新憲法の制定を果たすのだと意気込んで参議院選挙に臨んだ。ところが結果は惨敗。それでもなお「続投」、「内閣改造」をおこなって臨時国会に臨もうとしたやさき(開会冒頭の所信表明演説までやって翌日各党の代表質問を前にして)前代未聞の辞任。(辞任表明のテレビ会見では、本人は、その理由を、当面する最重要課題となっているテロ特措法の期限延長が、選挙の結果野党議席が与党を上回ることになった参院で否決される公算が強いこと等、困難になっている局面の打開のためだとしていたが、週刊朝日9月28日号によれば側近の下村氏には「疲れちゃったよ、申し訳ないね」と言っていたとか、その後入院しており健康上の理由があったとされている。)
しかし、参院選の敗因は「消えた年金記録」や「政治とカネ」をめぐる閣僚の不祥事など不都合が重なったことにあり、「戦後レジームからの脱却」・「改憲」路線が否認されたわけではないなどと、安部首相は強弁していたが、はたしてそうだったのだろうか。
庶民の暮らしは何かにつけ大変になってきているし、子ども・若者・高齢者ともに将来不安につきまとわれている。世の中、何かおかしくなってきている。
しかし、それは政治や政策が悪いせいだとは思っても、戦後の平和思想や自由思想のせいだとか憲法や戦後レジームのせいだと思っている人は、特定の思想の持ち主以外には誰もいないだろう。国民の多くは、ただただ庶民が日々安心して暮らせるようにする政治・政策を求めているだけなのだ。
ところが安倍前首相の政策は、そのような我々庶民の実生活の必要からではなく、イデオロギーから発している。
だから、庶民からはかけ離れ、違和感をもたれ、多くの支持を失ったのだと思う。つまり、彼のイデオロギー政治が国民から拒否され、破綻したということだ。
安倍首相が辞任した後、麻生氏と福田氏が総裁選を争った。どちらかといえば麻生氏の方が安倍首相のイデオロギーに近く、彼自身が「私は小泉・安倍両氏と哲学を共有しているが、福田氏はそうではない」と言っていた。麻生氏はこの間(総裁選討論会で)「誇れる国・日本」を掲げ、「自虐史観は持っていない。それは私の哲学とは合いません」「今後とも、また現在も、私どもは誇れる国なんだということにもっと自信をもつべきだ」という言い方をしていた。福田氏はそれに対して、「そういう話になると、現状をすべて認めてしまうという感じになる。私は現状には色々問題があると思う。誇れる国にするというのはこれからの問題で、すぐ自虐史観だといって切り捨ててしまうのは問題だ」といって批判めいた発言をしていた。アジア外交では麻生氏は「日・米・豪それにインドとで『自由と繁栄の弧』をめざす。中国とは価値観が違う」として「価値観外交」の立場にたっていたが、福田氏はアジア重視を鮮明にし、靖国参拝など諸国が嫌がるようなことは控えるとはっきり言っていた。
総裁選(自民党国会議員・地方党員による選挙)は福田支持の方に大きく傾き、結局、福田氏が新総裁そして新首相になった。閣僚は、2人以外は、安倍内閣の改造後の閣僚メンバーをそっくり引き継いでいる。
その所属議員連盟を見ると、(「子どもと教科書全国ネット21」事務局長の俵氏作成の資料によれば)福田首相自身が日本会議議連・靖国議連・改憲議連に入っており、閣僚18人中9人が日本会議議連、10人が靖国議連、8人が神道議連、11人が改憲議連、2人が歴史教育議連、2人が反中国議連(「中国の抗日記念館から不当な写真の撤去を求める国会議員の会」)に所属している。舛添厚労大臣は改憲議連だけに所属、どれにも関係していない大臣は公明党の1人と民間から起用された2人だけであり、ほとんどの大臣が右翼・タカ派議連に所属しているのである。
ただ、「美しい国づくり」も「戦後レジームからの脱却」も「価値観外交」も、どうやら引っ込めたようである。しかし、小泉政権以来の構造改革路線・日米同盟路線などの基本的路線は踏襲すると言明し、規制緩和・民営化政策も自衛隊の海外派遣も続行、海自のインド洋派遣・給油活動は何とかして継続しようとやっきである。
このような自民党政治には矛盾がつきまとい、福田政権もやがて行き詰まるだろう。そうなったら麻生政権がそれにとって変わるのか、それとも民主党が政権をとれるのか。
もしかして、いずれ(10年後とか)ほとぼりの冷めた頃、安倍の「再チャレンジ」もあるのでは?(元テレビ朝日政治部長の末延氏などは、「安倍はいま53歳。10年経っても63歳だ。恥をかき、プライドを捨てて、その屈辱をのり越えることができれば、彼は必ず日本の旧弊を打破する仕事に、もう一度、チャレンジすることができるはずだ。私はそう確信している」などと書いている。―月刊現代11月号)
しかし、人々は、「アベしちゃおうかな」という(陰の流行語になっている)言葉とともに、彼の無責任ぶりを忘れはしないだろう。それにしても、安倍前首相は改憲こそ自らの手では果たしそこなったが、彼のブレーンとなってきた右翼イデオローグ(論者)たちからは「国民投票法の成立、教育基本法の改正、防衛省への(庁からの)昇格と、半世紀も実現できなかったことを一人でやった」(岡崎元駐タイ大使)とか、「憲法改正への道筋をつけたことなど、首相(安倍)は既に基本目標は達成している。後世必ず評価されるでしょう」(中西京大教授)と評されている。確かに、改憲手続き法、教育基本法改定(それとともに権力による管理・統制を強める学校教育法改定・教員免許法等改定など「教育3法」)、防衛省への昇格、これらは将来にわたって我々国民に重くのしかかってくる。それを何とかしなければならないのだ。
安倍前首相は、そのイデオロギーから改憲にこだわり、改憲手続き法案を押し通し、教育基本法「改正」をも押し通した。(社会や教育に問題が多々あるにしても、その原因が憲法にも教育基本法にもあるわけではないのに、そのせいにしている。)従軍慰安婦や沖縄戦に際する集団自決への軍の強制を削除させた教科書検定、それにテロ特措法・海自の洋上給油活動(中東におけるアメリカの戦争は大混乱をもたらし、その方面の産油国からの石油輸送路の安全をかえって妨げるものとなっているのに、その戦争に加担)も、それにこだわるのは彼らのイデオロギーからである。それらいずれも、庶民が切実に必要としてきたものではない。
学校の卒業式での「日の丸」・「君が代」の強制も石原都知事らのイデオロギーから行なわれているものであり、教師や生徒たちがそれを必要としたわけではないのである。こんなイデオロギー政治・イデオロギー教育は、許してはならないのだ。