米沢 長南の声なき声


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自民党新憲法案の是非が争点
2007年05月24日

 世論調査では改憲に賛成か反対かと問われると一般的にフィーリング(確たる根拠もなく、ただ何となく、時代が変わったからとか、60年もたって古くなったからとか、敗戦で占領軍から押しつけられた憲法だから、といった印象)から賛成だという人の方が多い。しかし、最近の調査では、改憲には賛成だという人は多いが、「安倍内閣のもとでの改憲」には反対という人の方が多数を占めている。(5月2日付け朝日新聞では、「改憲が必要か」の問いでは、「必要」が58%で「必要ない」27%を上まわっているが、「必要だ」と答えた人で「自分たちの手で新しい憲法を作りたいから」が7%、「9条に問題があるから」は6%でさらに少なく、「新しい権利や制度を盛り込むべきだから」が84%で大部分を占める。また「9条を変える方がよいと思いますか」の問いでは「変える方がよい」が33%で「変えない方がよい」が49%、自衛隊を自民党新憲法案のように「自衛軍に変えるべきだと思いますか」の問いでは「自衛軍に変えるべきだ」が18%、「自衛隊のままでよい」が70%で、いずれも現状のままでよいという方が大きく上まわっている。ただ「自衛隊の存在を憲法に書く必要があると思いますか」という問いでは、「書く必要がある」の方が56%で、「書く必要がない」31%より多い。そして「安倍政権のもとで憲法改正を実現することに賛成ですか、反対ですか」の問いでは、「反対」の方が42%で、「賛成」40%よりも多い。)
 安倍首相は在任中に改憲を実現すると言明し、既に改憲国民投票法を多くの反対・異論があるにもかかわらず与党議席の数にものを言わせて強行成立させを、来るべき参院選に際しては、憲法問題を争点にすると言明している。
 参議院議員の任期は6年であり、安倍首相の思惑からすれば、その任期中に国会で改憲発議、国民投票のはこびとなる。今度の参院選は、その改憲発議の成否を決定する議員を選ぶことになるのだ、ということである。
 そこで、安倍首相が憲法問題を争点にするというこの場合、単に憲法改正に賛成か反対かではなく、具体的にどんな憲法であればよいのか、自民党が構想している憲法(既に一昨年、新憲法草案を作り上げて公表しており、首相は「この草案について、わが党の考え方はこうだと国民の皆様に示しながら国民的な議論を進めていきたい」としている、そんな憲法)でいいのかわるいのか、即ち自民党新憲法草案をもとにした改憲もしくは安倍自民党の主導する改憲に賛成か反対かが争点なのだ、ということである。
(1)9条2項が削除されたらどうなるか 
 そこで我々が考えなければならないのは、今の憲法が、もしもそんな憲法に変えられてしまったらどうなるかである。
 今の9条は、1項―国際紛争を解決する手段としては国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は放棄―はそのまま維持するが、2項―「戦力は保持しない」、「国の交戦権は認めない」即ち「軍隊」はもたず、「戦争」はしないという条項―は削除されてしまう。そして、これまで自衛隊は「必要最小限の自衛力」なのであって「戦力」ではないとされてきたのが、「自衛軍」として完全に戦争をする軍隊(国軍)となり、これまでの制約・歯止めが全く無くなってしまうことになる。集団的自衛権は、これまでの政府の見解(内閣法制局の解釈)では「権利は有しているが行使はできない」とされてきたが、(今、首相は「有識者懇談会」なるものを設けて、なんとかして今の9条のままでも解釈変更によって「行使」できる余地を探ろうと「研究」に取り掛からせているが、いずれにしても)これまでの9条2項(戦力不保持・交戦権否認)が削除されれば、集団的自衛権の「行使」も「海外での武力行使」も「外国軍の武力行使との一体化」も、何でもできるようになるということである。
 自衛軍は「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行なわれる活動」(新たに条文に明記)として国連の要請に基づく「国際平和維持軍」(PKF)または多国籍軍の一員として、或は国連の要請がなくてもアメリカの同盟国としてその要請に応じて海外に派兵され、そこで武力行使・参戦ができるし、参戦しなければならないことになる。
 今、イラクやペルシャ湾・インド洋に自衛隊が派遣されている(イラクの中でも「非戦闘地域」に派遣されていた陸自は撤退したが、空自は輸送活動、海自はアフガニスタン作戦に向かう米英軍の艦載機空母などへの給油に従事している。戦乱に苦しむイラク国民の立場からすれば同じ外国軍あるいは侵略軍と見なされ、「非戦闘地域」にならかまわないとか、「後方支援」ならかまわないというのも手前勝手な9条解釈と見なされる)が、戦闘には直接参加しておらず、自衛隊員に関する限り一人も殺していないし、殺されてもいない。それは9条2項の縛りがあるからである。改憲によってそれがはずされるということは、その戦闘(殺し合い)への参加も自由にできるようになる、ということを意味する。
(2)集団的自衛権の行使を認める
 よく言われることに、日米同盟といっても片務的で、日本はアメリカから守ってもらうばかりではぐあいがわるいので、日本もアメリカを守ってやれるように双務性を高めなくてはならない、という言い方がなされる(安倍首相も)。それで、集団的自衛権を行使できるようにしなければならないというわけだ。それには
 アメリカが北朝鮮から攻撃をうけた場合、
 アメリカが(中台戦争が起きた時、台湾を加勢して)中国から攻撃をうけた場合、
 アメリカがイランを攻撃して反撃を受けた場合、
 アメリカが国際テロ組織アルカイーダから、どこかでまた攻撃をうけた場合、
などが考えられるが、北朝鮮・中国などの場合は、米軍が出撃基地と作戦司令部を置いている日本の本土や島が北朝鮮なり中国なりから攻撃される可能性が強いが、そういうことになったら、それに対する自衛隊の反撃は個別的自衛権の範囲内といえよう。
 イランやアルカイーダなどの場合は、現在進行中のイラク戦争・アフガン戦争に際する後方支援や「非戦闘地域」における「人道復興支援」だけでなく、前線(戦場)でアメリカ軍と共に戦わなければならない、ということになる。
 このような集団的自衛権の行使が認められれば、アメリカが行なう戦争には、日本が攻撃されていなくても、すべての戦争に参戦しなければならない、ということだ。
 尚、「日本はアメリカから一方的に守ってもらってばかりいる」というのは、とんだ勘違いというか、ごまかしなのである。アメリカに守ってもらう代わりに基地を提供しており、その基地を自衛隊が守ってやり、基地と駐留米兵に莫大なカネ(「思いやり予算」、それに基地再編にともなう移転経費の負担までも)出さなければならないことになっているのだ。その基地は実は米軍が、極東だけでなく、ヴェトナム・インド洋・中東(ペルシャ湾)その他どこへでも出動する出撃基地とし、アメリカの戦略的根拠地とするために置かれているのであって、何も日本を守るために置かれているわけではないのである。
(3)軍事貢献は国際貢献か?
 ところで国連の多国籍軍であれ、有志連合軍であれ、日本だけが参加しなくてよいのか(気が引けないか)といえば、世界190余の国々のうち大部分の国は参加しておらず、少数の国しか参加していないのである。
①朝鮮戦争は北朝鮮・中国に対して米・韓その他名目的に英・仏・蘭・豪・加・タイ・フィリピンなど14カ 国が参加
 犠牲者400万人
②ヴェトナム戦争は北ヴェトナム軍・南ヴェトナム解放民族戦線に対して南ヴェトナム軍・米軍の他韓  国・オーストラリア・ニュージーランド・タイ・フィリピンが参加。
 死者120万人
③湾岸戦争はイラクに対して米・英・仏とサウジ・クエートなどアラブ諸国その他を合わせて28カ国が参 加。  日本は1兆6,500億円もの戦費を出している。
 死者20万人  戦後、イラク戦争に至るまでの間、イラクに対する経済制裁で死者100万人
④アフガン戦争はタリバン軍とアルカイーダに対して米・英・独・仏・蘭・豪・加など。現在は国際治安支 援部隊としてNATO軍を中核として37カ国が参加。
 死者不明
⑤イラク戦争は米・英・スペイン・イタリア・ポーランド・オーストラリア・オランダ・韓国に日本をも含めて3 8カ国が参加。今はスペイン・イタリア・オランダ軍などが撤退してしまい、23カ国。
 死者15~65万人ともいわれる。難民600万人

アメリカ軍はこれらのいずれにも主力として参戦し、それにイギリスなど少数の国が補助的に支援あるいは名目的に参戦しているのみなのである。
 日本は日中戦争~太平洋戦争で自国民310万人、アジア諸国民2,000万人を犠牲にした。そのことに引け目を感じて、もう懲りたということはあっても、戦後のこれらの戦争に参戦しないことに何の引け目を感じる必要あろうか。
 そうでなくてさえ、日本は、参戦はしなくても軍事基地・兵站基地・軍需物資を提供して(艦艇・航空機・戦闘部隊が直接出撃し、燃料や弾薬の多くも日本から運ばれた)米軍のために巨大な軍事貢献を行なっているのである。
 湾岸戦争のとき日本は世界最大の戦費を負担したのもかかわらず、なぜか「カネだけ出してヒトを出さなかった」としてろくに感謝されないで引け目を感じ、それ以来、事ある度に「国際貢献」と称して自衛隊の海外派遣にこだわるようになった。
 しかし、北部スマトラ地震津波のような災害救援活動やNGOによる人道復興支援ならいざ知らず、戦争や紛争に関わるアメリカ等への軍事協力を国際貢献だと思い込むのはとんだ勘違い。我が国の場合、軍事協力は現地の民衆からはけっして感謝されず、「日本=平和国家」のイメージを損ない、かえって国益を損なうことになる。戦争や紛争への軍事介入・軍事協力は実はアメリカの産軍複合体(ペンタゴン-国防省-と兵器メーカーや軍需産業)の利益に貢献する以外の何ものでもないのだ。

 今・現在イラクは4年も経つのに未だ治まりつかず、アフガニスンは5年も経つのに未だ治まりついていない。ブッシュ政権の先制攻撃戦略・「対テロ戦争」政策は、結局は無謀だったのであり、テロに対する報復テロ戦争は再びテロを招き、暴力の連鎖は留まるところを知らない。

 自衛隊が、9条改憲によって「自衛軍」として「国際社会の平和・安全確保のための国際的協調行動」として公認されて、湾岸戦争やアフガン戦争・イラク戦争のような戦争に多国籍軍や有志連合軍に加わって戦闘にも参加することで、はたして国際貢献(国際社会の平和・安全確保への寄与)を果たせるようになるのだろうか。
 現在、アフガン・イラクに派兵している米英その他の国々は国際貢献を果たしているといえるのだろうか。アフガニスタンの民衆やイラクの民衆はもとより、今ではアメリカでもイギリスでも国民の大半は、これら米英その他の「国際協調行動」は失敗だったと思っている、そのことは、このところのブッシュ大統領・ブレア首相に対する各国民の支持率など世論調査を見れば明らかである。(24日発表された米紙ニューヨーク・タイムズの世論調査では、イラク戦争について、「そもそも開戦に踏み切るべきではなかった」が61%、「08年のいずれかの時点で撤退すべきだ」が63%)
 日本の自衛隊の派遣に対しては?といえば、それはブッシュ大統領からは手放しで感謝されているだろうし、現イラク政権のマリキ首相やパン・ギブン国連事務総長らからは感謝の言葉を得ているといわれるが、それは「人道復興支援」に対する感謝であって、戦闘参加(武力行使)に対してではない。  アフガニスタンの民衆やイラクの民衆が、日本人医師の中村哲氏(アフガニスタンで医療や水源確保事業に取り組んでいるペシャワール会の現地代表)らNGOには感謝していても、今後、海外での日本の軍隊(「自衛軍」)の参戦(作戦行動への参加、武力行使)には迷惑と思いこそすれ、誰も期待・感謝を寄せることはあるまい。
 なのに、なぜ9条を改憲して自衛隊の集団的自衛権行使・「国際的協調行動」を名目とした派兵-海外での武力行使を容認しなければならないのか、である。

 大量破壊兵器(非対称兵器)の不拡散、非対称戦争の回避のためには、日本は北朝鮮やイランに対してだけでなく、アメリカに対して核兵器廃棄の約束(すべての核保有国にその廃棄を求める「新アジェンダ決議」)を実行し、軍縮への転換に踏み切るよう説得すべきなのである。六カ国協議は朝鮮半島ひいては北東アジアの非核化をめざして合意に達するように粘り強く話し合いを続ける以外にない。
 それなのに、日本が憲法の9条2項を無くしてしまったら、その発言力・説得力をかえって失うことになる。(日本はアメリカの核の傘に守られるだけでなく、アメリカと一緒になって戦争しようとしていると疑われ警戒感を持たれることになる。)
 「9条はドイツと違い戦争責任を明確にしない日本の『侵略を繰り返さない』というアジア市民に対する誓いとして機能してきた」(NGOピースボート代表の吉岡達也氏)とも云えるのだ。

 国際平和協力は国連平和維持活動(PKO)には参加しても、その軍事行動(武力行使)には踏み出さず、また国連決議に基づく多国籍軍あるいは国連決議に基づかない有志連合軍に参加・参戦するなど軍事貢献ではなく、非軍事平和貢献に専念することのほうが賢明なのであり、テロや大量破壊兵器拡散の脅威は力の行使(軍事対応)だけでは取り除くことはできないし、説得力・外交交渉力を発揮してそれに懸けるしかないのである。
 
 「北朝鮮や中国が核ミサイルを撃ち込んでくるかもしれない」、「生物・化学兵器などを手にしたテロリストや特殊部隊が潜入してテロ攻撃やゲリラ攻撃を仕掛けてくるかもしれない」(と脅威ばかり煽って)、それに対して手段・方法にとらわれることなく存分に応戦・撃退できるようにするためだといって9条を改憲(軍事規制を撤廃)すれば、それらの国を緊張・硬化させ、自分の側も、相手の側もお互いに軍事対応・攻撃にはしる結果に陥るやすくなる。また(国際貢献を軍事貢献ばかりにこだわって)中東やアジア・アフリカの紛争地に自衛隊を派遣して軍事的にも国際貢献を果たすためだといって9条を改憲して派兵・軍事介入すれば、かえって紛争悪化(泥沼化)に手を貸す結果になりかねないのである。
 要はそのようなアジア・アメリカの近隣諸国間で関係が悪化して戦争に発展することのないように、関係を悪化させないことであり、国際貢献は非軍事平和貢献に徹することなのである。
(4)もしかして徴兵制復活?
 現行憲法は第18条(奴隷的拘束及び苦役からの自由)に「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」と定めているが、自民党新憲法草案では、なぜか「又、・・・・その意に反する苦役に服させられない」の部分が削除されている。「苦役」には徴兵・兵役などもあるのだが、それには「服させられない」という語句が削除されているのである。ということは、兵役に服させられる、即ち徴兵制復活もあり得るということか?(これは大変だ!)
(5)軍事裁判所が設置されたら
 自民党新憲法草案には「自衛軍」規定と相まって「軍事に関する裁判を行なうため、法律の定めるところにより、下級裁判所として、軍事裁判所を設置する」と定めている。それは軍人の犯罪や規律違反を裁く、いわゆる軍法会議のことである。民間人も共犯や軍に対する犯罪はそこで裁かれる。
 そこでは、裁判官も検事も軍人で、仲間うちの裁判だから刑が軽くなりがちで、軍内部の重大事件が明るみに出ては軍の面目にかかわるから「組織防衛」を優先して裁判を開かず、説諭や転勤でもみ消すといったことにもされがちである。無罪や軽い刑が宣告された場合、検事が控訴しなければ、被害者や遺族は控訴できないから「泣き寝入り」となる。
 01年の「えひめ丸」事件(水産高校の練習船がアメリカの原子力潜水艦にぶつけられて沈没し、生徒ら9人が死んだ)では、原潜の艦長は不起訴で済まされた。また戦前我が国で起きた5・15事件で犬養首相を暗殺した青年将校や士官候補生たちに下した処罰は禁固4年、主犯の2人は禁固15年だったが5年後には出所させた。2・26事件では将校・元将校ら15人と北一輝ら民間人右翼が死刑となったが、青年将校たちが指導者と仰ぎ、彼らを扇動・擁護した真崎大将は無罪とされた。(以上は06年5月12日付け朝日新聞の「私の視点」にあった軍事ジャーナリスト田岡俊次氏の「弊害多い『軍事裁判所』」を参考)
 これらの事例のように軍事裁判所の裁判は軍人に対しては甘くなり、彼らの横暴を許す結果になりかねず、逆に民間人の軍に対する犯罪は一般の裁判所ならばそれ程のものでもないのが重罰にされてしまう、といったことにもなる。
 このように、それは軍人と民間人の新たな差別を生じ、また軍人にそのような特権を認めると、その横暴を許し、シビリアンコントロールを危うくする結果にもなりかねない。
 そんなものが設置されたらとんでもないことになる。
(6)「権力を縛る憲法」が「国民を縛る憲法」に
 現行憲法では(前文で)「日本国民は、・・・・われらとわれらの子孫のために・・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」とし、9条1項で「日本国民は、・・・・国権の発動たる戦争・・・は、永久にこれを放棄する。」2項で「国の交戦権は、これを認めない。」といったふうに、「権力を縛る憲法」(権力制約規範)だったのが、自民党新憲法草案では(前文で)「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務」を課し、(12条に)「国民は、・・・・自由及び権利には責任及び義務を伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する義務を負う。」として「国民に縛りをも加える憲法」(国民制約規範)に変えている。
 現行憲法では国民は自由及び権利を、常に「公共の福祉のために利用する責任を負う」としているのを、自民党案は「公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する義務を負う」と変え、また現行憲法では国民の権利については、「公共の福祉に反しない限り」最大の尊重を必要とするとしていたのを、自民党案は「公益及び公の秩序に反しない限り」と変えているのでる。「公共の福祉」とは自分以外の他人の幸福という意味であり、自分の自由な権利の行使を他の人々の幸福のためにも役立て、他人の権利を侵害しないように行使するという国民相互間の調整を課したものであるが、それを「公益及び公の秩序」に反しないように権利を行使しなければならないとか、公益・公秩序に反しない限り最大限尊重されるということで、国民個々人の権利に対して国などの公益・公秩序を優先させてそれに「反しないように」とか、「反しない限り」として国家が国民の権利に縛りを加えるものとなっているのである。
 近代憲法はそもそも諸個人の人権を守るために権力を縛るために制定されるもので、立憲主義と称されるが、自民党新憲法草案はその原則を踏みはずしており、国民本位ではなく国家本位の憲法にしてしまっている。
 その批判に対して、国家と国民を対立関係だけでとらえ、国家を性悪説でとらえるのは間違いだとか、民主国家であるかぎり、国家の主権は国民にあり、権力は国民の代表者が行使しているのだから、国民の権利を守りこそすれ踏みにじるなどということはありえないはずだ、といったような反論もあるわけであるが、はたしてそうだろうか。
 国民の中には、大企業経営者や財界人その他各分野での「勝ち組」など、現在の国家(政府)と利害がマッチしているという者たちもいるが、そうでない人も多数いるし、国家から格別の恩恵を得ている者もいるが、不利益や被害さえもこうむっている人たちも中にはいるわけである。そして国家というものに対して信用を置いていないという人が少なからずいるのである。
 戦前のような天皇主権国家は勿論のこと、戦後、民主国家になったといわれる我が国家あるいは民主国家の最先進国といわれるアメリカにしても、その国家(政府)がやることに間違いはないとはいえない。民主国家とは権力を多数者が握る国家なのであるが、多数派の考えが常に正しいとはかぎらず、多数派に支持された政府が間違いを犯さないとはかぎらないのである(最近我が国でもち上がっている社会保険庁問題、アメリカのヴェトナム戦争やイラク戦争など)。また、権力の暴走や多数派の横暴から、国民の権利も少数派の権利も守らなければならないのである。民主主義とは多数者の支配を意味するが、その民主主義の暴走を抑止するのが憲法であり、立憲主義なのだ、ということである。
 
 尚、憲法はいちばん最後の条文(99条)に憲法尊重擁護義務を定め、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員はこの憲法を尊重し擁護する義務を負う。」としているが、尊重擁護義務を負うのは公務員。公務員とは要するに権力者もしくは権力担当者。かれらに対して義務を課しているのであって国民に対してではないわけである。憲法とは「権力者を縛るもの」なのであって「国民を縛るもの」ではないということだ。この条文は自民党新憲法草案でもそのままである。
(7)過半数の賛成だけで改憲発議できることに
 現行憲法では、第9章(改正)の第96条で「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。」となっているのを、自民党新憲法草案では「衆議院又は参議院の議員の発議に基づき、各議院の総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案」と変えている。
 今、与党議席は衆議院では3分の2に達しているが、参議院では3分の2に達していない。しかし過半数には衆参とも達しており、諸法案はこのところ、新教育基本法案、防衛省法案、国民投票法案、米軍基地再編促進法案、教育三法案など重要法案が次々と、過半数の賛成でスイスイ通っている。
自民党新憲法草案のように、改憲発議要件が3分の2以上賛成でなくても過半数賛成があればそれでよいとなれば、改憲発議案もこの調子で簡単に通ってしまうことになる。そして今回成立した国民投票法に基づく投票で、投票率がどんなに低くても(付帯決議で、この点は未だ検討の余地を残してはいるが)有効投票総数の過半数で承認されてしまい、簡単に改憲されてしまうことになる。
 仮に(3年後以降の)最初の改憲発議案では、9条は見送ってそこははずして出したとしても、その他の改正条項で、この「過半数賛成改憲発議」条項だけでも承認されれば、次からは、自民党とそれに同調する党派の議席が合計して(両院とも3分の2には達しなくても)過半数議席だけで9条改定を盛り込んだ改憲発議案が通ってしまい、再度、国民投票をやって承認されれば、9条は改変されて(「戦力の不保持、交戦権の否認」条項は無くなって)しまうことになる、というわけだ。
 また、衆参とも過半数議席を制しているその時々の政権与党の都合によって憲法はコロコロ変えられてしまうことになる。
 こういうことなのだ。

 これが安倍自民党の新憲法案なのである。今度の参院選で自民党が勝てば、この新憲法草案がたたき台となって成案がつくられ、それが国会で衆参各院とも3分の2以上賛成に達すれば発議(国民に提案)、国民投票のはこびとなる。
 今度の参院選は、単に「憲法改正」に賛成か反対(護憲)かではなく、この「自民党新憲法草案のような安倍政権下での改憲」に賛成か反対かが争点なのだということである。
 その意味で安倍自民党を勝たせていいのか、わるいのか、が有権者に問われている。そういうことではあるまいか。

 ところで、今の憲法のままで、困っている人っているの? 
 安倍自民党の新憲法では困る、そんな憲法ではとんでもないことになる、という人は?



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