米沢 長南の声なき声


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戦争の覚悟があるのか
2007年05月06日

 「憲法60歳」投稿「真の独立には自衛権明確に」。そこに、自衛権を行使しないで「侵略され、国民の生命さえ脅かされる事態になっても丸腰で受忍できる覚悟があるのか」とあった。
 国連憲章には国家の「固有の権利」として個別的・集団的自衛権が明記されているが、その制定前までは、国際法上「自衛権」という概念はなかったし、憲章原案にもなかったのだ。また自衛権行使は安保理が措置をとるまでの間に限られるなど限定されている。国連憲章は基本的には武力による威嚇・行使を禁じているのである。
 それに、たとえ憲法に明記したところで、実際の場ではその行使がはたして「自衛」に当たると言い切れるのか、所詮あいまい性が付きまとうことには変わりない。アメリカの戦争も我国の過去の戦争も「自衛」の名の下に行なわれているのである。
 現代の戦争は、自衛であろうとなかろうと、交戦すれば核ミサイルなどの打ち合いとなり、たとえ「ミサイル防衛」やステルス戦闘機で、居住地外或は本土外で迎撃・爆破したとしても、飛び散った核物質の被害は免れないのであり、家族・国民の生命が脅かされる事態となることに変わりはないのであって、それこそ、「その覚悟があるのか」である。


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