米沢 長南の声なき声


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都知事選の争点はファシズムの是非
2007年03月24日

 今、日本では、首都でもどこでも、不安といらだちが社会を覆っているように思われる。社会格差の拡大、北朝鮮の核と拉致、中国の台頭、犯罪、いじめ等々。人々の間には、それらに毅然と対処してその不安を吹き払ってくれる強力な政治権力者を求める風潮が強まる。
 現都知事は、「命をかけて憲法を破る」と云ってはばからず、都職員アンケートでは大半の職員から「側近政治的な姿勢」「独断専行」が目立つと見なされているという。学校では、知事が任命した教育委員会が、「日の丸」「君が代」を拒否する教員を、容赦なく処分してきた。そのような彼が、北京オリンピックに対抗して再度の東京オリンピック開催という「夢」を掲げて、それに都民をかりたて、その強権政治が支持される。となると、それは、かつてドイツ国民がヒトラーを支持し、ベルリン・オリンピックに熱狂した時のようなファシズムと同然。
 大衆・無党派層は都知事の傲慢に対して反発するよりも、むしろその方になびく可能性がある。
そう考えると、マニフェストや政策もさることながら、最も重要なのは候補者の思想傾向であり、政治姿勢なのであって、「ファシズムか反ファシズムか」それこそが最大の争点になるのではあるまいか。


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