(1)何をするかわからない国?
「北朝鮮は何をするかわからない国だ」とよくいわれるが、その言い方には気をつけなければならない。なぜかといえば、それは次のような理由からである。
あの国は所詮「何をするかわからない国だ」とか、はなから「ならず者国家」と決めつけ、相手の真意や客観的な原因・理由はどこにあるのかを考えずに、或はまた、どうせ理性の通じない相手だから話し合っても無駄だとして外交交渉や協議には応じないか、「対話と圧力」といいながら対話はあっさり諦め、結局は「対話より圧力だ」とばかりに経済制裁・軍事対応にはしる。それがかえって相手の暴発を誘い戦争を呼び込む結果となる。「いったい何を考えているのかわからない」とか、「何をするかわからない」からといって事態を読み間違えたらとんでもないことになるのだ。
「何をするかわからない」といっても、テロ・拉致・ニセ札・麻薬密売など、かの国がやっているようなことは、かつては我が国でもやっていたことなのである。日清戦争後に朝鮮で起きた閔妃暗殺事件や満州で事変前に起きた張作霖爆殺事件などのテロ、日中戦争・太平洋戦争中に行なわれた強制連行や従軍慰安婦集めに伴った拉致、これらは疑いのない事実である。それに日本軍は占領地域で物資の現地調達のため軍票(お金の代りに、戦争が終わったら現地通貨で精算するという約束で渡す)を使ったが、中国では日本軍製造のニセ札も使われ、その額は軍票発行額を上回る40億元にのぼった。(軍票も結局は戦争が終わっても精算されず紙屑と化している。)また、日本は中国でアヘンから麻薬を製造し東南アジアの占領地でも販売したが、それは占領地で財政収入を確保するため国策として公然と行なわれた。
謀略は戦時下、あるいは冷戦下では韓国側もやっており、アメリカもCIAの手で行なっているのである。
朝鮮戦争は、停戦協定が結ばれて休戦はしているが、戦争そのものは終結しておらず、韓国・北朝鮮双方とも秘密工作員を潜入させている。それにともなって拉致がおこなわれた。日本は朝鮮戦争中、米軍の出撃基地および物資の補給基地となり、その後も米軍に基地を提供し続け、韓国とだけ国交正常化した。北朝鮮は拉致してきた日本人を教官にして工作員に日本語と日本の生活習慣を教え込ませ、日本人になりすました工作員を日本や韓国に送り込んだのである。
アメリカは国連の承認を得ずにイラクに先制攻撃をかけたり、包括的核実験禁止条約・国際刑事裁判所・地球温暖化防止条約などに批准せず単独行動をとるが、チョムスキー氏(マサチューセッツ工科大教授)などは、そのようなアメリカこそが「ならず者国家だ」と述べているという。
ただ、「目的のためには手段を選ばない」といっても、「ならず者」の場合は手段のみならず目的そのものが己の欲望の達成であり、正当性など意に介さないのに対して、アメリカやかつての日本の場合は、「国益のため」だとか「自存自衛のため」といった大義名分すなわち自分の目的を正当化するものをもっている、そこが「ならず者」と違うところだろう。その点、北朝鮮はどうだろうか。
北朝鮮はいったい何を目的にしているのか。まさか、第二次朝鮮戦争をおこしてアメリカ・韓国を打ち破り、朝鮮半島を統一するとか、或は日本をかつてとは逆に併合して植民地にするとか、金正日にそんな野望があるのかといえば、それは考えにくい。彼が欲しているのは、むしろ、最大の敵対国アメリカから攻撃されて滅ぼされないように自国の安全(体制の存続)を保証してもらうことであり、そのための相互不可侵協定・平和条約の締結であろう。(だから北朝鮮にとって必要なのはあくまでも米朝交渉なのであって、六カ国協議などアメリカ以外の国と話し合ってもあまりたいした意味はないと思っているのではないか?)そしてアメリカがそれを拒否するかぎり、自らの力で国家体制の維持をはかる以外にないとの思いで、「自衛抑止のために」と核・ミサイルを持とうとしている。それこそが、北朝鮮が核とミサイルに執着する理由なのではあるまいか。
朝鮮戦争では中国の援軍を得てアメリカ・韓国両軍を相手に戦って停戦はしたものの、半世紀もの間、両国とは未だに敵対関係が続いている。この間、ソ連が健在のうちは、その核の傘にはいり、軍事・経済援助が得られた。しかしソ連が崩壊して以来、軍事・経済ともに韓国に大きく水をあけられ、いまや食うや食わずの有様であり、圧倒的に優位にたつアメリカ・日本・韓国を前にして、もはやロシア・中国もあてにはならない。(それでも、そのような大国には頼らずに自主の立場を貫くというのが主体思想なのであろう。)だとすれば、頼れるものは自前の核兵器とミサイル以外にないということになる。イラクは核兵器を持たなかったばかりにアメリカから攻撃されて、あえなく崩壊したではないか、というわけである。
アメリカ人的な合理主義的発想からすれば、「国民を飢えさせてまで、核兵器に金を使うなんて」となるのだろうが、かつての日本は米英などのABCD包囲網・経済封鎖に抗して真珠湾に先制奇襲攻撃をかけて開戦し、「欲しがりません、勝つまでは」「一億玉砕」と号しながら最後まで戦おうとしたのではなかったか。
「先軍政治」(軍事最優先主義)もかつての日本の軍国主義と似たようなものであり、神格化した世襲権力者の下での軍部独裁もかつての日本と似たようなものである。
また、合理的発想からすれば、アメリカなど5大国が自分たちだけで核を独占しておいて、それ以外の国々に対して禁じているNPT(核拡散防止条約)には不合理があるし、アメリカなど圧倒的に優勢な敵対国に対して自存自衛のための抑止力として核を持つ権利があるという言い分には理があるだろう。(しかしそれは、どんな国であっても、皆殺し兵器であり悪魔の兵器ともいうべき核兵器を持つこと自体が間違っているのであって、5大国が核兵器を独占して持ち続けているのは確かに間違っているが、だからといって、アメリカが持っているから、こっちも持ってよいということにはならないわけである。)
このように考えると、「北朝鮮は何をするかわからない」不可解な国だなどとは一概に言えないのである。
いずれにしろ、はなから「わからない国」だと決めつけてかかって、相手の心を読み違え、事態を読み間違えたらとんでもないことになる。
それでは、北朝鮮の指導者の考えをどのように読んで、どのように対応すればよいのか、はたしてテポドンは飛んでくるのか、次に論じてみたい。
(2)肝心なのは和平とかの国の安全保証
「ならず者国家」だから「何をするかわからない」と決めつけて、相手の真意や客観的な原因・理由に考えを及ぼすことなく、ただ、自国の都合や国益からだけ考え、自分の要求(核・ミサイルを放棄せよとか、拉致被害者を帰せとか)を相手に応じさせることばかり考えて、それにはこの方が効果的だとか、戦略的にこの方が得策だとかいって評価する。
韓国―これもその国の置かれている立場をよく考えずに―その包容政策(「太陽政策」)は相手をただひたすらなだめすかすやり方で甘いとか、日本の「対話と圧力」(「アメとムチ」)政策は相手をおどしたりすかしたりするやり方だが、どうも中途半端だとか、いくら話し合ってもどうせ無駄なのであって、そのような相手は痛い目にあわせるか苦しい目にあわせるしかないのだから制裁・圧力でいくしかないのだとか。
相手の立場や事情をよく考えずに、自分の都合だけで判断するのでは、けっして問題は解決しないだろう。
相手の真意を読み取るということは、相手の立場に立って考えてみるということだ。
そうして考えてみると、北朝鮮にとってアメリカは、韓国とともに朝鮮戦争以来の敵国なのであり、日本も、以前、植民地支配をおこなって朝鮮人を苦しめ、その清算を未だに果たしておらず、敵国アメリカに基地を提供し、韓国とだけ国交を結んで経済協力をおこなっている敵国以外のなにものでもない、というわけである。
北朝鮮は、これらの敵国を前にして、かつては背後にソ連と中国がひかえていて「後ろ盾」・「核の傘」として頼りにしてきたが、今ではソ連は崩壊し、ロシアも、中国までも、韓国と国交を結んで、あてにはできなくなった。こうなると北朝鮮国家の存在を維持するためには、アメリカ・日本・韓国と和平を結んで国家存続を保証してもらうほかなく、それが適わないならば自ら核・ミサイルを保有してそれにすがるしかないと。
日米韓3国と和平し国交正常化して敵対関係がなくなれば、核もミサイルも先軍政治も要らなくなり、民衆生活の方に金を回すことができるようになる。それに秘密工作員なども要らなくなって、拉致した日本人・韓国人も解放できるようになるのだ、ということなのだろう。
だから、なんとしても米朝交渉・日朝交渉・南北会談を求めてやまない、というのが本音なのではないだろうか。
我々には相手の立場から見たこのような視点も必要なのではあるまいか。相手の言動を誤解し、事態を読み間違えないようにするために。
(3)経済制裁は武力行使よりはまし?
武力行使にうったえたり、戦争をしてもらっては困るが、経済制裁なら血を見ないで済むし、かまわないだろうと安易に考えている向きがあるだろう。
経済制裁とは、いわば「兵糧攻め」であって戦争に際する一つの戦術にほかならないわけであり、また「真綿で首を絞める」ようにじわりじわりと時間をかけて死に追いやる、というやり方であろう。
上層部のためのぜいたく品だけでなく、食料や電気や燃料、医薬品、生活必需品など、一般民衆の方にしわ寄せがいき、なんの罪もない多くの人々が災禍をこうむる。
制裁を加える側の国民は、自分たちは安全圏にいて何の苦痛も死の危険にもあわない。
その意味ではかえって相手国民に対して非人道的だと云えないだろうか。のちのち民族的恨みをかわずにはおかないだろう。
そんなことだったら、それにその責任は最高権力者や権力担当者たちにあるというのであれば、いっそのことその要人を暗殺するとか、官邸や軍施設だけに限定してピンポイント攻撃をかけるなど武力行使の方がましだ、ということにならないか。しかし、それでうまくいけばよいが、その限定攻撃が全面戦争に発展して自国や味方の兵員・民間人まで大量の犠牲者が出てしまっては困るわけである。
だとしたら経済制裁でもやむをえない、ということになるのだろうか。
尚、湾岸戦争とイラク戦争の間、国連はフセイン政権に対して経済制裁をずうっと掛け続けたが、その間の死者は100万人にものぼるといわれる。(うち半数は子ども)
それは、当初は全面制裁であったが、後半からは食糧・医薬品などの人道物資の輸入は許可して、その代金をまかなうだけの量に限定した石油の一部輸出も許可するようになり、その後、軍事転用に可能なもの以外の他の民生物資の輸入も許可されていった。豊富な石油産出がこの国の強みであった。
北朝鮮の場合、どういうことになるのだろうか。
(4)3つの岐路
(その1~3)で、テポドン(日本の距離ではノドン)が実際に飛んでくることは、こちらから仕掛けないかぎりあり得ないが、国連の制裁決議に中国までが同調して全面的制裁におよび船舶の臨検・海上封鎖・武力行使の容認というところまで追い込まれたら、「窮鼠猫を噛む」で、暴発して飛んでくることはあり得ると記した。
この間、7月、北朝鮮はミサイル連射実験をおこない、これに対して日本政府は万景峰号の入港禁止など制裁措置をおこない、国連安保理は非難決議をおこなった。そして今月に入って北朝鮮はついに核実験を強行、これに対して日本は独自に北朝鮮の全船舶の入港禁止、全品目の貿易禁止、「在日」以外のすべての同国人の入国禁止、同国企業への送金停止など全面制裁に近い経済制裁に踏み切った。そして国連安保理は制裁決議をおこない、北朝鮮に関わる核・ミサイル計画に関連する人・物・技術の移転・輸出入の禁止、その他大型の兵器・ぜいたく品の禁輸、北朝鮮に出入りする船舶に対する各国それぞれに応じた臨検など制裁措置を講じることが決まった。ただし、安保理決議は「外交努力を強化し、緊張を激化させる行動を慎む」とし「兵力の使用を伴わない」という断り書きを付けており、海上封鎖や武力行使を容認するところまでは至っていない。
この間、関係各国とも、また国連安保理決議でも、北朝鮮に対して六カ国協議への無条件復帰を要求してきたが、北朝鮮は、今のところ安保理決議の受け入れは拒否し、アメリカの金融制裁解除と米朝直接交渉にこだわり、それにアメリカは応じず、日本も経済制裁をエスカレートさせ、中国・ロシア・韓国も安保理決議に呼応して、同一行動ではないが協調行動をとりつつある。それに対して北朝鮮は制裁決議を「宣戦布告だ」として「物理的な対抗措置(再度の核実験かテポドン発射実験の強行と見られる)をとる」などと開き直りの言動をみせている。
まさに、「その時」が刻一刻と近づいている、といった感がある。北朝鮮とアメリカ、それに韓国・日本・中国とも、今や岐路に立たされている。それは次のような三つの岐路であると考えられる。
①金正日が自ら決断するか、政変(金正日が亡命するなど)が起きて新政権が決断し、制裁に屈して 六カ国協議に無条件復帰し、核・ミサイル放棄を受け入れるか
②北朝鮮側の要求する米朝直接交渉にアメリカが応じるか
③アメリカは米朝直接交渉にも金融制裁解除にも応じず、また、北朝鮮は安保理決議にも六カ国協議にも応じず、そのまま再度の核・ミサイル実験を強行し、それに対して国連安保理が新たな制裁決議をおこなって全面的制裁・海上封鎖・武力行使の容認に踏み切り、それが実行された段階で、北朝鮮は屈服をいさぎよしとせずに暴発、開戦に至るか。
尚、1994年、クリントン政権当時、北朝鮮がIAEA(国際原子力機関)の査察を拒みNPT(核拡散防止条約)から脱退しようとしたのに対して、北朝鮮の核施設空爆を計画したが、その時のシュミレーションでは全面戦争に発展すれば、死者は韓国の民間人100万人、韓国兵49万人、米兵5万2千人に達すると予測され、結局、空爆計画は断念した。そこでカーター元大統領が訪朝して金日成と会談し、米朝枠組み合意(代替施設の建設・重油の提供などと引きかえに核開発を凍結)が成立した。しかしブッシュ政権になって、一般教書で北朝鮮を「悪の枢軸」と断じて対決姿勢に転じ、北朝鮮も核開発再開へと舵を切ったのである。今三つの岐路のうち、①の方向に行けば一番よいわけであるが、③の方向に行ってしまったら最悪ということになる。
今のところブッシュ政権は②に応ずることは頑なに拒み、①を期待しつつも③を覚悟しているのだろう。安倍政権もその方向であり、国会では、与党などは③と決め込んでいるかのように、専ら制裁にともなう臨検(それはアメリカならば沿岸警備隊、日本ならば海上保安庁がやるべきものであって、自衛隊がやるべきものではない)に自衛隊が周辺事態法の適用その他によって米海軍とともにどのように対応するか、といったことが議論され、「ミサイル防衛」を急げなどと軍事対応におおわらわのようである。あげくのはては核武装論までとび出すしまつ。
中川昭一議員は「日本も核保有の議論はあっていい」(ということは日本にも核武装という選択肢があってもよいということになる)として、いわく「核があることで攻められる可能性が低い、或はない。やればやり返すという論理は当然あり得る」と。お互いに核を持てば攻められないという「相互確証破壊」の論理は、やぶれかぶれになって「死なばもろとも」とばかり挑みかかってくる相手には通用しないのだ、ということが解っていない。
ともあれ、日本にとっては、戦争だけは絶対に避け、日朝ピョンヤン宣言と昨年9月の六カ国協議における共同声明に基づいて外交交渉によって解決する。それ以外にないのである。
六カ国協議の共同声明とは、次のようなことなのである。
①目標は朝鮮半島の検証可能な非核化であることを再確認。
②北朝鮮はすべての核兵器および既存の核計画を放棄、NPTに復帰し、IAEAの保障措置に早期に 復帰することを約束する。5カ国が北朝鮮に原発用軽水炉を提供する問題については適当な時期に 議論する。(エネルギー支援も)
③アメリカは北朝鮮を核兵器や通常兵器で攻撃・侵略する意図はないことを確認。
④米朝両国は相互の主権を尊重し、平和に共存し、関係正常化のための措置をとる。
⑤日朝両国はピョンヤン宣言に従って過去を清算し、懸案の事項を解決し、国交正常化のための措 置をとる。
尚、これらの中でいちばん肝心なのは、③④⑤であり、これらの方が先決課題なのではあるまいか。つまり、北朝鮮側の核の放棄が先か、日米側による北朝鮮国家の安全保証と和平・国交正常化の方が先か、アメリカなどは前者の方が先だとしてそれにこだわるが、どちらかといえば、むしろ後者の方が先なのではないだろうか。アメリカにとっては北朝鮮が大量破壊兵器の拡散さえやめてくれれば、あとはどうでもよく(北朝鮮なんかと国交正常化や貿易などしなくてもどうということはないし)、日本にしても拉致問題さえ解決できれば国交正常化などしなくても、といった思いがあるのだろうが、弱小国である北朝鮮からすれば国民の生存権がかかっている和平と国家の存続・安全の保証は必要不可欠なのであり、それさえ保証されれば(核・ミサイルも先軍政治も不要になる)、ということなのではないか。但し、核放棄の約束だけは前提として必要であり、約束しさえすれば国家安全の保証措置をとることにする。約束を破れば、保証は取り消し措置は中止するまでのこと。いずれにしても、これら①~⑤のことは既に合意していることなのである。この方向に従って包括的に(どれを先にということではなく、同時並行的に)交渉を進めていけばよいのである。
日本はピョンヤン宣言に基づいて日朝協議を再開し、国交正常化とその他のことを包括的に話し合い、拉致問題の解決(真相解明、被害者の帰国、被害者への謝罪と補償、責任者の処罰など決着)をはかる。
北朝鮮の国家体制がそのままであれば、その闇も残り、その中で拉致問題はうやむやにされる心配もあるが、国交正常化によって国が開かれ、信頼関係が改善されれば、かえって事が明るみになり進展する可能性もある。それとも、むしろ体制崩壊が起これば闇は消え去り全てが明るみになって拉致被害者はみんな解放されるかもしれないとも考えられるが、体制崩壊も、戦乱をともなわないソフト・ランディング(改革・開放など)ならよいが、戦乱になれば彼らの命がどうなるか判らないわけである。とにかくリスクの少ない方に賭けるしかないわけである。
北朝鮮をめぐって我が国も各国も岐路に立たされているが、とにもかくにも戦乱だけは避けて欲しい。暴発してテポドンが飛んでくることのないようにしなければならないのである。