1、それはほとんどあり得ないこと
「その1」「その2」で、北朝鮮に対する経済制裁も日米だけでなく(国連安保理決議によって)中国・ロシアまでがそれに加わって全面的制裁にまでおよび、北朝鮮が完全に追い詰められるか、それともアメリカから武力行使を仕掛けられるか(その場合は、「窮鼠猫を噛む」の反撃に打って出ることもあり得るが)そこまで行かなければ、北朝鮮のほうから攻撃をかけてくることはあり得ない、と書いた。
北朝鮮の元労働党書記であり金日成の側近だった人物で韓国に亡命した黄長燁氏は、(「SAPIO」誌上で、韓国人ジャーナリスト・辺真一氏のインタヴューに答えて)金正日は戦争を誰よりも恐れており、ミサイルや核(黄氏によれば、それらは既に完成しているという)は政治的目的で持ってはいても、それを戦争に使ったら終わりだということは、誰にもまして解っているはずだという。インタヴュアー(辺氏)の質問で「日本の中には日米が外交的・経済的圧力で制裁を強めれば北朝鮮が暴発し、『ミサイルを撃ち込むのでは』『戦争を起こすのでは』との懸念もあるが・・・その可能性は?」との問いに対して、黄氏は「心配ない。どうぞ枕を高くして寝てくださいと言いたい。暴発するというのは絶対あり得ないことだ。・・・利己主義者(金正日―引用者)は自分が一番大事だ。・・・経済制裁を加えたからといって金正日に何ができるのか?日本に戦争を仕掛けるということは死を意味する。彼はそのことを最もよく知っている。米国が恐ろしい存在であることもだ」と答えている。
また、安倍晋三氏も、北朝鮮が「日本にミサイル攻撃をする可能性はきわめて少ない」と(『美しい国へ』)に書いており、(氏は金正日には小泉首相に同行して、じかに接しているが)金正日は「愚かな人間でもなければ狂人でもなく、合理的な判断のできる人物」であり、彼にとっての判断(基準)は「自分の政治的な権力を保持することにほかならない。」「海産物(アサリやシジミなど、日本は経済制裁で輸入を止めている―引用者)と自分の命を引きかえにするわけがない」とも書いている。
その安倍氏は、「(現在の)問題の解決にあたっては『対話と圧力』の両輪で対処するというのが政府の方針」「経済制裁は最終的な圧力となるが、もとより経済制裁自体が目的ではない」、その本当の目的は彼らに政策の変更を促すことにある、とも書いている。ということは、制裁は、それによって相手を追い詰め暴発を誘って戦争にもちこもうとするものではない、ということであろう。
2、とにかく対話
いずれにしても、北朝鮮は日本にミサイル攻撃をしかけてくることも、戦争を起こすこともあり得ないということである。
だとすれば、「テポドンが飛んできたらどうする」などと心配するよりは、とにかく拉致問題といい核・ミサイル問題といい国交正常化といい北朝鮮との懸案の問題を話し合いによって解決することであり、その話し合い(対話)が遅々として進まないことを心配しなければならないのである。
対話(交渉)とは、一方的に相手に要求を言いたてるだけでは成立しないわけであり、相手の言い分に対しても聞く耳を持ち、要求に応ずることも必要なのである。
そもそも北朝鮮はアメリカに対して、いったい何を求めているのか。それはわかりきったこと。まず国家体制の存続保障(不可侵条約の締結―金正日にとってはそれこそが最大の関心事)、国交正常化、(朝鮮戦争以来休戦状態にはあるものの戦争そのものは終わっていない両国間の)平和条約の締結などのことにほかならない。
しかし、アメリカは、北朝鮮が(原子力発電用として、あるいは旧ソ連の核の傘-後ろ盾-を失い、自前の核を持つほかなくなって)核開発を行なっていることに対して、それはあくまで容認できない、それを取りやめないかぎり話には応じられないとし、(前のクリントン政権は直接交渉に応じ、核兵器につながらない軽水炉や代替エネルギーの提供など見返りも与えて開発中止にもちこんだが)ブッシュ政権は直接交渉を拒否し、日中韓ロ4国を交えた「六カ国協議」の場で、(見返りは一切拒否して)とにかく北朝鮮が核開発計画を放棄することだけを話し合う、ということに留めようとしているのである。
また、日本に対して北朝鮮が求めているのは、過去(植民地時代の諸問題)の清算と国交正常化・経済協力などのことである。小泉首相が訪朝した際のピョンヤン宣言で、今後それらを(拉致問題とともに)包括的に話し合う協議(日朝国交正常化交渉)をもつことに互いに合意はしたものの、拉致問題に対する北朝鮮側の対応は(横田めぐみさんのものだとして渡した遺骨が偽造とみなされるなど)日本側から納得が得られず、協議は途絶したままになっている。
これら日米が、アメリカは核問題、日本は(拉致問題の解決なくして国交正常化なしだとして)拉致問題を先行させ、北朝鮮側が求めている話を後回しして要求に応じないことに対して、北朝鮮側は「それならば核もミサイルも開発・保有を続行するまでだ」として開き直り、それを日米に対して北朝鮮側の求めに応じさせるためのカード(切り札)にすべく、ミサイル実験を重ね核実験もやってのけようとしているわけである。それに対して日米は経済制裁で応じ、北朝鮮側が求める体制保障や国交正常化の話は依然として受け付けないということで、米朝・日朝交渉はともに途絶・膠着状態に陥っているというのが現状なのである。
ただ、六カ国協議は、それでも、北朝鮮にとってはアメリカとの対話・交渉に応じてもらえる唯一の場であり(7月、北朝鮮のミサイル発射に対する国連安保理の非難決議があって後、アメリカは北朝鮮が六カ国協議に戻るならば二国間会合の用意があるとの意向を表明しており)、日本にとっても、ピョンヤン宣言の中でもその必要性を求めた北東アジア地域諸国間対話の場であり、二国間協議とともに北朝鮮と対話できる貴重な場ともなっている。それは(北朝鮮はかつて-1990年代以前-朝鮮半島を非核・平和地帯にすることを提案し、その後南北両国が「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」に合意したこともあったが、今後それをさらに拡大発展させた)北東アジア非核・平和地帯構想を話し合う場にもなる可能性のある極めて重要な対話の場にもなっているといえよう。
しかし、北朝鮮以外の国々が無条件再開を迫っているのに対して北朝鮮は、(ドル札偽造などに対する)アメリカの金融制裁解除を協議復帰の条件にして出席を拒否し続け、六カ国協議は依然として再開できず、北朝鮮との各国の二国間協議もすべての対話は頓挫している。
3、追い詰め、仕掛けて暴発を誘ったらどうなる
そこで業を煮やして、もし黄氏や安倍氏の言うように金正日は戦争もミサイル攻撃もどうせ何もできはしないということがわかっているのであれば、いっそのこと経済制裁で追い詰めるだけ追い詰め、軍事的圧力(「ミサイル防衛」や「敵基地攻撃能力」の開発・保持その他)を強め、場合によっては武力行使に踏み切ってもよいのでは。そうでもしないかぎり、事は進まないし、いつまでたっても埒は明かない、という向きもあるだろう。日米にはそのような強硬派や好戦派もいるわけである。
黄氏は北朝鮮が暴発することはあり得ないといい、安倍氏も制裁は暴発を誘うためではないといっているが、はたしてそうだろうか。
「対話と圧力」といっても、強硬路線をとって圧力のほうを優先し、日米ともに(アメリカは金融制裁などに対する北朝鮮側の解除要求に応じないどころか)かえって経済制裁をエスカレートさせようとしており、それに対して北朝鮮がテポドン再発射実験ひいては核実験など強行すれば、今度こそは国連安保理の制裁決議に中ロが同意して全面制裁に至り、あるいはアメリカは武力行使に踏み切るかもしれない。そうなった時、(北朝鮮は屈服するかもしれないが)テポドンが暴発しないともかぎらない。そうなったらそうなったで、テポドンなんか飛んできてもいいようにと、「ミサイル防衛」など応戦の用意を整えておこうということなのだろう。
しかし、そのようにして相手を追い詰めて暴発を招き、武力行使を行なったらどうなるか。
安倍氏は、(仮に、もし北朝鮮のほうから日本をミサイル攻撃すればの話なのだが)アメリカは「湾岸戦争でイラクの要人を狙ったときがそうであったように、おらくピンポイントで狙うだろう」と書いている。しかし、ピンポイント攻撃といってもそんなに簡単にうまくいくだろうか。また要人を始末するだけで方がつくのだろうか。イラク戦争も、アメリカ軍はそれ式で行なったが、サダム・フセインはやっと探しあてて捕らえることができ、その息子たちも殺害し、要人を捕らえることもできはしたが、そのために、要人や軍事施設だけでなく、多くの無辜の市民が犠牲になり、多くの無関係な住居や民間施設が破壊されたし、そのうえ、戦乱は未だに収まりがついてはいない。
北朝鮮では、金正日はどこに居るのかわからないことがあるし、要人の居所やミサイル基地・核施設など軍事基地をピンポイント攻撃するといっても、人工衛星なんかでは地下や洞窟などに隠されているものは、どこにあるのか判ったものではないのである。判らないかぎりは、そこが怪しいと思えば、たとえ不確かであっても手当りしだいに攻撃せざるを得ないことになり、結果的に多くの無関係な施設が破壊され無関係な人々が犠牲にされるということになる。
どこからかミサイルが発射されれば、(テポドン2号は失敗してアメリカ本土には飛んでこなくても)日本にはノドンが飛んでくるし、それを「ミサイル防衛」で迎撃するといっても、すべて百発百中うち落とせるものではないし、打ち損じや打ちもらしのほうが多いかもしれない。そのミサイルには核弾頭か生物化学兵器など大量破壊兵器が付いているかもしれない。もしそうだとすれば、東京その他の人口密集地、原発、石油・ガスタンクなど危険物貯蔵施設に着弾すれば大惨事となる。ただし、イラクのように大量破壊兵器は実は一個も持っていなかったというわけでもないだろうが、予想したほど大したことはないのかもしれない。しかし、核ミサイルは飛んでこなくても、かつての日本軍がアメリカに対抗したのと同様に、玉砕戦法や特攻作戦(自爆攻撃)で死に物狂いの抵抗をくりひろげるといったことも無きにしも非ずである。
黄氏は、金正日は自分の命がいたましくて戦争を避け、反撃命令は下さず、軍部が独走することもあり得ないと述べているが、だからといって大丈夫だということになるのか。イラクのフセインと軍部はまさにそうで、正規軍による反撃は大して行なわれなくても、ゲリラやテロ攻撃はやまず未だに続いている。
だから北朝鮮(金正日)を追い詰めるだけ追い詰めて暴発を誘う結果になってもかまわないとか、武力行使を仕掛けてもいいから「やれ、やってしまえ」などと簡単に言うわけにはいかないのである。
したがって、体制転覆(政権打倒)を視野に経済制裁や軍事にシフトするのではなく、あくまで現政権との対話(相手側の言い分に対しても聞く耳を持ち、求めにも応ずる対話と交渉)を基本にして相対するようにしなければならないわけである。
4、戦争する覚悟か、しない覚悟か
「テポドンが飛んできたらどうする」(日本が攻撃されたらどうする)とは、覚悟を迫る言葉であるとも考えられる。その場合、そんなこと(攻撃)はあり得ないものとして(或は万々一それがあったとしても)現行憲法を守って不戦・非軍事を貫くまでだということだとするならば、そのリスクに対する覚悟はどれだけあるのか。それとも、いつどのように攻撃されてもいいように軍備(陸海空の戦力)を整えて応戦(交戦)できるようにしておく(改憲)すなわち戦争するということだとすれば、そのリスクに対する覚悟はどれだけあるのか。ということで、護憲派・改憲派それぞれに覚悟の程が問われているものと考えられる。
漫才タレント「爆笑問題」の太田氏は(「憲法九条を世界遺産に」で)そのことを(どちらかと言えば改憲派に覚悟が乏しいのではと)指摘しているが、改憲派の方こそ覚悟が求められよう。
それはなぜかというと、改憲は戦争を(「自衛戦争」とか「制裁戦争」として)容認することであり、戦争することによるリスク(戦災・惨害など、自国だけでなく相手国・周辺諸国がこうむる損害)を覚悟しなければならないが、そのリスクは、護憲すなわち9条を守って不戦・非軍事に徹する場合のリスクの度合いよりもはるかに大きいと考えられるからである。
護憲すなわち不戦・非軍事で行く場合のリスクとは、(北朝鮮なり中国なりロシアなり)他国の軍勢の侵入(ほとんどあり得ないことであるが、仮にあるとするならば、それに)に対して(自衛隊はあっても交戦はひかえ)いわば無血開城し、日本は占領下に置かれることになり、国民は占領軍の統制下に置かれて不自由を強いられ、土地や財産の提供・あけ渡しを強いられるということ。それに、その侵略国と占領下の日本に対して諸国による制裁・海上封鎖・貿易の停止が行なわれ、海外からの食料・エネルギー・資源・原材料その他諸商品の輸入が途絶えて日本国民は欠乏、耐乏生活を強いられることになるということである。しかし、その占領は長くは続かず、日本国民の辛抱もしばらくすれば終わるだろう。なぜなら、諸国による経済制裁で、日本国民もさることながら、占領軍兵士も欠乏・空腹に悩まされ耐え切れなくなるからである。この占領軍は、兵員の食料その他の生活必需品は、かつて米軍が日本を占領した時のように、それらを豊な本国から、制海権・制空権を握って自由に運べるのとは異なり、かつて日本軍が中国・東南アジアを占領した時のように現地調達に頼らざるを得ないのだが、彼らによる占領下の日本では輸入ストップによってデパート・スーパー・コンビニの商品は空っぽになり、工場の原料・資材倉庫も、燃料貯蔵タンクも空っぽ、生産・取引・物流も、営業・操業も何もかもストップというありさまになる。占領軍は日本国民をどんなに生産・労働に駆り立てて搾取・横取りしようにも搾取・横取りする物がなく、(ナポレオンのロシア遠征のときのように)欠乏・飢えに襲われ早晩耐えきれなくなって、結局は空しく撤退せざるを得なくなる。
四方海に囲まれ、ろくに資源も無いこのような国をわざわざ占領してみたところで、何の利益にもならないどころかリスク・損失のほうが大きく全く引き合わない。そのようなことは初めからわかりきったことなのである。だからこそ、日本は、戦わない国で軍備が手薄だからといって、たやすく侵略され占領されるなどと、そんなことはあり得ない話なのだ。要するに不戦・非軍事国家である日本は攻撃されることも侵略されることもあり得ないということ。
それに対して改憲によって可戦・軍備国家となり、攻撃されたら応戦するということになったら、(北朝鮮にしても中国にしても、普通であれば日本に戦争を仕掛けてくることはあり得ないのだが)偶発的な事件から(暴発して)全面衝突すなわち戦争になるということは、あり得ないことではなくなる。また、交戦すれば(即ち殺しあい破壊しあう、ということになれば)、応戦せずに無血開城し占領下に置かれて強いられる不自由や欠乏・飢餓などのリスク以上に悲惨な事態―大量の死傷者が生じ、街は焦土に化し、建造物は灰燼・瓦礫に帰す、といった事態―を覚悟しなければならないだけではなく、子々孫々にわたって怨みを残すということも覚悟しなければならないことになる。
それらのことを考えれば、護憲(非戦)によるリスクよりも改憲(戦争容認)のリスクの方が、はるかに大きいのであって、そのリスクを改憲派は覚悟しなければならないということなのだ。改憲して、戦力も交戦権も集団的自衛権行使も認めて、アメリカとともに堂々と戦えるようにし、テポドンが撃ち込まれたら反撃して戦うのだなどと、いかに勇ましいことを言っても、いったいそのリスクを覚悟し、戦争の結果に対して責任を負えるのかということで、むしろ改憲派のほうこそ覚悟が求められるのである。「戦争したらどうなるのか―どういう事態が生まれるか―わかっているのか」と。(特に若い世代のなかには、戦争といってもゲーム感覚の域を出ないという向きが少なくないのでは?爆笑問題の二人はともかく、安倍晋三という人はどうなのだろう?ピンポイント攻撃で要人を狙えば方はつくかのようなことを書いているが。彼は歴史教育で悲惨な実態・被害事実・加害事実を教えることを自虐だとして否定しているからには、それらのことを自分も知ろうとしない。だとすれば、戦争の悲惨をよく知らないのだ、とは云えないだろうか。私はそれらを極力教えようとして教材研究に努めただけに、彼よりは知っている、とは云わないまでも、防空壕の暗闇は知っている。その中で震えていたのだから。)