米沢 長南の声なき声


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2000万人もの犠牲者をどう思う
2006年08月22日

 先日の投稿「賛成できない合祀での解決」は、要するに靖国の考え方を支持するということのようである。

先の戦争は「自存自衛の性格もあった」と書いておられるが、ヒトラーの戦争も含め、どんな戦争でも、その国にとっては自国民の生存圏の確保とか自衛のための戦争だったのではないか。しかし、日本軍から侵攻をうけ、占領・支配された諸国民にとっては侵略以外のなにものでもないわけである。

中国をはじめとするアジア諸国民の犠牲者2000万人以上、それに掠奪・破壊、その惨害に対する加害責任をどう考えておられるのだろうか。法的責任だけでなく、道義的責任は?

 A級戦犯とその他を、一方が加害者で他方が被害者だとは割り切れないというのは、その通りだろう。

しかし、だからといって日本人の誰も責任を負わないのだとすれば、犠牲にされた2000万人の死は「犬死に」になってしまい、それこそ、彼らは浮かばれまい。彼らも日本人戦没者・犠牲者をもそうしないためには、日本軍を正当化し免罪して讃え祀るような神社を参拝することではなく、日本国民すべてが不戦平和国家に徹しアジアをはじめ世界の諸国民のために平和貢献することなのではないだろうか。


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