米沢 長南の声なき声


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どちらの言い分が正しいの?
2006年03月03日

 韓国の大統領は、国家指導者の言葉と行動の意味は「その行動がもつ客観的な性格によって評価される」とし、日本に対して「われわれは重ねて謝罪を要求はしない。」「謝罪を覆す行動に反対している。」日本は「法を変えて軍備を強化するのではなく、人類の良心と道理に合った行動をすることによって国際社会の信頼を確保」すべきだと述べた。それに対して我が首相は「憲法はその国自身で考えること」と不快感を示し、官房長官も、我が国では平和主義という基本理念について「基本方針を根本から覆すような議論は全くされていない」と反論している。

それは我が方の指導者の言い分が正しいにきまっている、と云いたいところであるが、よく考えてみると、むしろ先方の言い分の方が当を得ているような気がしてならない。なぜなら、首相の靖国参拝という行為は個人的な心の問題に止まるとはどうしても考えられず、その行為は特定の政治的意味をもつと誰しも考えるのが当然だからである。また、自民党の改憲案の9条2項改変は、どう考えても根本的な変更であり、かつての被害国が国際公約ともいうべきこの条項改変を軍備強化と結びつけて危惧をもつのは当然のことだからである。


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