米沢 長南の声なき声


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「侵略なのか」の判断は歴史家に?
2006年02月23日

 ポスト小泉候補と目されている閣僚はいずれも、先の戦争について「反省とお詫び」の政府見解にならうとは言いながらも、あれがはたして侵略戦争か否かは「歴史家の判断に委ねる」と発言している。

 過去に我が国家が為した戦争について国家指導者が諸国民にたいして負っている責任を引き継ぐべき立場にある国家責任者たらんとする者として、その戦争をどう認識しているのかを問われ、それに対してこのような答え方をするのは、認識が曖昧だということであって、反省も謝罪の気持も曖昧だということにほかならない。

戦後の我が国は戦争終結にさいして、国家指導者が国際戦犯裁判に服し、不再戦を約し、賠償義務を認めつつ諸国はその請求権放棄をした。そのうえで諸国と和解し、国連加盟など国際社会復帰が認められてきたのである。

それを、今になって、あれはあの時「それを受け入れなければ独立を果たせなかった」からだなどと言うのは、本当は諸国民に対してそんなに悪いことをしたとも申し訳ないことをしたとも思っていないと云っているに等しい。これでは到底、諸国との友好も、国際的信頼も得られるはずがなく、首脳会談などやっても心が通うはずもなく、国連常任理事国入りなど思いもよらないことになるのでは?


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