米沢 長南の声なき声


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厚顔無恥な首相の物言い
2006年01月07日

 首相は年頭の記者会見で、「戦没者に哀悼の念をもって靖国参拝する」それは「心の問題」、「外国政府が心の問題にまで介入して外交問題にしようとする姿勢も理解できない」と言った。首相は「参拝は不戦を誓うため」とも言っているが、靖国神社は、そもそも戦没者の墓でも追悼施設でもなく、ましてや不戦を誓うような所ではないのであって、あくまで自国の「国家の戦争」肯定の上に立って、戦死した将兵とその武功を讃え祀っている顕彰施設なのである。首相は「靖国神社の考えと、政府の考えは違う」と言っているが、ならば、そんなところへ行かなければよいものを、結局、同神社参拝を繰り返している。一体どういうことなのか、それこそ理解し難いことである。首相の本心はどこにあるのか、首相の心を問題にするのは当然ではないか。ましてや、日本軍から侵略され、肉親が殺された諸外国の遺族の方々から見れば、殺し殺させた者たちを讃え祀っている神社があって、そこへ、こともあろうに日本の首相が参拝に行っているということに対して、憤慨・抗議するのは誰にもわかり切った当たり前のことではないか。それに対して「理解できない」と言っているのである。なんという厚顔無恥な物言いか。

 過去のことはもう忘れようと思っても、日本の首相が参拝を繰り返せば、その度に思い出され、憎しみがこみあげてくるというのも、当然の成り行きなのではないか。

 首相は、「中韓が交渉の道を閉ざすことはあってはならない。いつでも話し合いに応じる。後は先方がどう判断するかだ」という。この会見は、今後、対中韓外交は信義・信頼関係は抜きにして、力関係だけに依拠して交渉・取引をやるまでだと意思表明したものと考えざるを得ないだろう。


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