米沢 長南の声なき声


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自衛隊を軍隊にしてはならない
2005年11月26日

 改憲論者の言い分に「自衛隊はどうせ事実上軍隊なのだから、そのことを曖昧にせずに、憲法にはっきりと明文化すべきなのであり、改憲といっても、現実に合わせて条項を修正するだけのことだ」といった言い方がある。一般の人たちの中にも、「そうだ、それだけのことだ」と軽く考える向きがあるように思われる。しかし、はたしてそういうものだろうか。事はそんなに簡単なものではあるまい。

(1) 自衛隊は軍隊ではない

自衛隊は確かに軍隊的要素を強くもち、「近代戦遂行能力」から見れば「立派な軍隊」と云えるが、それでも、やはり軍隊ではない。それは、Army(軍隊)とかNavy(海軍)Air Forces(空軍)とは云わずにSelf-Defence Forces(自衛隊)という、その名称の上だけではない。その証拠には、自衛隊員は(イラクに派遣されている隊員も含めて)未だかつて、演習以外には戦闘任務についたことはなく、一人も殺したことはなく、殺されてもいない。自衛隊員は、武器をむやみに使用することはできず、一般人と同じく刑法で定める正当防衛・緊急避難の場合以外には、また警察官と同じく警察官職務執行法に定める場合(犯人逮捕などの職務執行に対する抵抗と逃亡を防止するため)以外には人に危害を与えてはならないことになっているからである。(それで殺せば殺人罪になる。)(上官の命令には従う義務があり、任務の遂行上、自分の生命を危険にさらすことをいとわないということはあっても、上記の正当防衛など以外には発砲して人を殺したり、殺されて死ぬことを強いるような命令は違法であり、拒否することができる。)

(2) 自衛隊には有用な任務もある

自衛隊には各種の任務があるが、「本来任務」としては次のようなものがある。

  ①防衛出動―最も主要な任務とされる。
  ②領域警備―領土・領海・領空の警備(海上保安庁を補完)
  ③治安出動―警察を補完(警察にも対テロ特殊部隊があるが、陸上自衛隊には特殊作戦群がある)
  ④災害派遣
  ⑤国際協力活動(従来「付随的任務」とされてきたもの)
これらの任務から云えば、「領域警備」・「治安出動」・「災害派遣」などは、警察や海上保安庁などと同様に有用なものと云えるだろう。「領域警備」・「治安出動」には、防護用に武器が必要であるし、機動力(航空機や艦艇)が必要であり、それなりの装備が必要である。

(3)海外での武力行使は不可

 問題は①の「防衛出動」と⑤の「国際協力活動」である。

 政府(内閣法制局)は、自衛権は主権国家に固有の権利としてどの国にも認められているとしたうえで、憲法9条を、国際紛争を解決することが目的ならば武力行使も戦力保持も認められないが、国を防衛する目的ならば(個別的自衛権の行使だけは認められ)、そのための必要最小限の実力組織を保持することも、武力行使も認められていると解釈している。

それに対して、そのような解釈自体が間違っているという向きもある。(自衛権はあるが、武力行使と「最小限の実力」をも含めた一切の戦力を放棄したものと解釈すべきだというのがむしろ学界の多数説であり、自衛権そのものを放棄したものと解釈すべきだという完全非武装論もある)

また、自衛隊の存在(配備)それ自体は外部からの攻撃を未然に防止する抑止力として有効だと考える人が多いが、逆に自衛隊の存在は相手に脅威・警戒感を与え、相手の軍備増強や核武装さえ促し、「攻撃は最大の防御なり」とばかりに攻撃をかけてくるなど、かえって相手の攻撃を誘発しかねないとして抑止効果に否定的な考え方もある。

しかし、それらの議論はこの際さておくとして、自衛隊は、少なくとも(内閣法制局の解釈でも)集団的自衛権の行使も、国連決議に基づく多国籍軍参加も、「専守防衛」を越えた自国領域外(海外)での武力行使は許されず、参戦(他国との共同作戦)は一切許されないことになっているのである。したがって自衛隊は、それらを含めてすべてをやれる軍隊とはあくまで異なる。
 実際、これまで日米安保条約を結んできたアメリカが行った幾つかの戦争(朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争・アフガン戦争そしてイラク戦争)のどれにも、直接には参戦・武力行使はしないで済んできたのである。
 自衛隊には軍隊的要素はあっても軍隊ではないのだということ。

(4)改憲は軍事的自由化

 それが改憲され9条2項が削除されれば、自衛隊は軍隊になってしまう。軍隊ともなれば交戦権(交戦国として有する国際法上の一切の権利)をもち、兵士は(民間人や捕虜などに対する無差別殺戮など国際法で禁止されている以外には)戦闘で人を何人殺しても殺人罪に問われることはなく、また「集団的自衛権の行使」として米軍との共同作戦も、「国際的強調活動」として有志連合や国連軍に参加・参戦することも自由にでき、装備も自由となり、(核拡散防止条約など国際条約による核武装などの禁止以外には)なんの制限もなくなる。
 尚、現在行われているインド洋への海上自衛隊派遣や陸自・空自のイラク派遣は、(武器の使用は自分や同僚の身を守るためだけでなく「自己の管理下に入った者」を守るためにも認めるとして武器使用基準を緩和し、米軍の武力行使と一体であるはずの兵員・物資の輸送や艦艇への給油など「後方支援」は戦闘行為ではないから許されるとか、「サマワは自衛隊が行っているところだから、そこは『非戦闘地域』だ」などと詭弁を弄して合理化してはいるものの)憲法解釈の最大限ギリギリの一線を既に越えた違憲行為といえるが、9条2項が削除されれば、勿論それらは完全に合法化されることになる。
 改憲(9条2項削除)は、いわば軍事的自由化であり、究極の「規制緩和」とも云える。
 これまで自衛官は警察官などと同様、公務員として募集され、若者は応募して就職した。危険をともなう職種とはいえ、「人を殺すか、殺されるか」などという心配はほとんどなかったし、実際それで済んできたと思われる。それは、いわば9条2項のおかげにほかならない。しかし、改憲されて、軍隊兵士ともなれば、その心配は前面に出てくるようになる。そうすれば、応募を敬遠する若者が増え、兵員を集め難くなる(充足率を満たすことが益々困難)。そこでやむなく、ヨーロッパでもアジアでも多くの国々で今も行われている徴兵制を復活させる、ということも考えられる。自民党の「新憲法草案」は、前文に、日本国民は国を「自ら支え守る責務を共有し」という文言を盛りこんでいるが、それは、このような徴兵制導入を根拠づけるものとなるだろう。
 その一方、軍事の民営化も考えられる。アメリカ・イギリスなど外国にあるような民間軍事会社が、警備会社などと同様に、日本にもできるようになる。そしてニートやフリターの多い若者たちの中には、そこに新しい就職口を見出すものが出てくるようになるだろう。
 実は、イラクで武装勢力に応戦して命を落とした日本人が一人いた。彼は元自衛官で、21年間フランス軍の外人部隊に在籍し、近年イギリスの武装警備会社に移って、イラクで米軍関係の警備にたずさわっていた。そしてこの5月に、米軍基地を出た車列を警備していて武装勢力に襲撃され、応戦して死んだのだ。
 改憲されれば、このようにして戦闘に従事して戦死する者が続々生まれることになるのだ。

(5)「軍隊」になったら軍事志向に一層傾く

 自衛隊が「自衛軍」となって、防衛庁が「防衛省」にでもなったら、その省の既得権益にとらわれる省益志向とともに、我が国の安全保障政策は軍事志向にますます傾くことになる。
 シビリアン・コントロール(文民統制)があるといっても、軍人の発言力が強まり、軍隊の論理(なにかにつけ、軍事的合理性の観点から物事を考え、軍事的勝利を得るためにはそれは如何にあるべきか、とか、軍事的勝利のためにそれは役立つか役立たないか、といった発想)がまかり通ることになる。そして、国家予算といえば、なによりも防衛関係費が優先され、教育・福祉などは二の次となり、産業政策といえば、軍需産業・軍事技術・兵器生産・兵器開発など軍産複合体の形成がめざされ、国を守るといっても、実際有事の際の「自衛軍」の行動は、国家機関と軍隊自身を守るのが最優先され、国民の生命・財産は二の次にされて、弱者は見殺しにされかねない、といったことになる。

(6)自衛隊を「他衛隊」にしてはならない

 改憲して集団的自衛権の行使を認めるようにするということは、自衛隊がアメリカの「自衛戦争」に加勢し、アメリカ軍を支援する「他衛隊」になってしまうことにほかならない。
 アメリカは、自国の安全保障の立場から、朝鮮半島から台湾海峡・インド・パキスタンを経て中東にいたる地域を「不安定な弧」と見なして、日本を作戦の中心と位置づけている。そして(10月末日米合意がおこなわれ)日米同盟再編で、米軍と自衛隊との共同司令部の新設、基地の共同使用など両者を融合・一体化させ、世界展開する米軍を自衛隊が「補完」する態勢を整えようとしている。アメリカ軍と自衛隊は日本の防衛や周辺事態への対応のみならず地球規模で軍事協力を推し進めようとしているのである。
 アメリカはイラクに16万人を派兵し、アメリカ兵は2100人以上戦死している。そこへ自衛隊も派遣されているが、自衛隊員は戦闘には参加せず一人も死んでいない。アメリカにとっては、自国では兵隊志願者を集めにくくなっており、日本の自衛隊員が代わりを引き受けてくれると助かる、ということになるわけだ。
 自衛隊を、アメリカ軍の支援軍にしてはならず、「他衛隊」にしてはならない。


(7)自衛隊を軍隊にしてはならない

 自衛隊員を海外に派遣して、戦闘で殺し殺される運命に置いてはならない。戦死したら靖国神社に祀って拝んでやれば済むというものではあるまい。

 小泉首相はAPEC首脳会議後の記者会見で、靖国神社参拝の理由を問われ、「日本は戦争をしないという気持で参拝している」と答え、「日本は、第二次大戦後、戦争をしていないし、海外に行った自衛隊の諸君も一発のピストルも撃っていない。一人の人間も殺していない」と述べたという。ならば、9条2項を削除してはならないはず。ところが、その後の自民党立党50年記念大会で、新憲法草案(9条2項削除、「自衛軍」明記)の正式発表をやってのけた。全くの矛盾である。(草案には軍事裁判所を設置する規定もあり、仮に自衛軍兵士が上官から、敵のアジトに出撃して行って「撃ちまくり、殺しまくれ」という命令をうけたとして、それを拒否すれば、その軍事裁判所で裁かれ処罰されることになる。やられて死ぬことがあっても、その命令には従うほかないことになるわけだ。)

 自衛隊を軍隊にして海外に派兵し、米軍や多国籍軍などと共に戦争をさせてはならないのだ。

 自衛隊はむしろ、任務を領域警備(主権侵害行為・テロ・工作船などへの対処、未然防止、排除)、国内外への災害派遣、海外には非武装で行って非軍事の国際協力活動(停戦後・戦闘終結後の人道復興支援)に当たるといったことに限定するように改編して、装備も(「専守防衛」を超える渡洋攻撃能力をもつイージス艦・ヘリ空母・大型潜水艦・巡航ミサイル・FSX戦闘機・空中給油機、それに日本のような国土戦には全く不向きな戦車など)縮減し(軍縮)、軍隊的要素を次第に無くしていくようにすべきなのであり、そうすることによって、自衛隊の現実の方を、現行憲法の9条が定める本来の姿に近づけていくべきなのだ。日本がそうすれば、他の諸国に軍縮を促すことができ、互いに脅威となることもなくなり、緊張は緩和して、安全保障と平和を共に得られるようになる、というものではあるまいか。

 日本が平和憲法を改変し、9条2項を削除して、自衛隊を本格的な軍隊にすれば、近隣諸国はそれをかつての日本軍の完全復活として警戒を強め、脅威を取り除くどころか、互いに軍備強化に向かう以外になくなるだろう。そして互いに不信感をつのらせ、反日とそれに対する反中・反韓・反朝といった敵対的民族感情が、互いの軍事的脅威とともに再生産されていく結果になるだろう。

 自衛隊を軍隊にしてはならない。


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