米沢 長南の声なき声


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資本の論理か、生活者の論理か
2005年09月06日

 「大きな変革の時代」、「世の中の激しい変化」、「グローバルスタンダードの中で生き抜く」などと、このところ専ら資本の論理で、非情な弱肉強食の市場競争社会へ向かうのが時代の流れでもあるかのように、はなからそれを肯定し、それを前提にして郵政民営化など「改革」を論じる向きが勢いを得ている。いわく、「競争原理を導入することでサービスは向上する」と。しかし、それはきれいごと。例えば国鉄が民営化してできたJR。そこにはローカル線廃止などの問題もあるが、利潤確保のための乗客獲得競争・効率優先・過密運行・過酷な労務管理など、それが脱線転覆の大惨事をもたらす結果になったといわれる。

 時代は資本の論理・価値観よりも、生活者の論理・価値観を求めており、むしろシンプルライフとかスローライフ、「もったいない」を合い言葉とする持続可能な世界をめざす生き方こそが時代の要求なのであって、公共セクター(公社)を廃して何もかも市場セクター(民間資本)に委ねてしまうというやり方ではなく、市民セクター(NPO)も含めて、それぞれの特性・役割を発揮できるようにすることこそが、いま我が国に求められている改革なのではないでしょうか。


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