米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


ムード先行の改革論
2005年09月08日

 「グローバルスタンダード」だとか、「新時代」「大きな変革の時代」だとか、「国の借金、国民一人当たり600万円」「小さな政府へ」「官から民へ」「民活」「改革」「痛みに耐えよう」などと何回も言い立てられると、人々はなんかその気になってしまう。

しかし、「グローバルスタンダード」といっても、はたしてどういうのが標準なのか、「新時代」といっても、はたしてどういう時代なのか、とかくその中身の説明や吟味をぬきにして語られていることが多い。グローバルスタンダードのその標準とはアメリカ型資本主義(市場競争至上主義)、新時代とは「大競争時代」。それが時代の流れで、それ以外にはあり得ないのか。「改革」といえば規制の緩和・撤廃と民営化しかなく、官は手を引き、何から何まで民間の市場競争に委ね、「弱肉強食」、「勝ち組」の天下になっていくほかなく、それ以外の改革はあり得ないのか。欧州型もあるはずだし、日本型もあり得ないことではないのでは?その疑問をぬきにして、ただ「時代の流れだ」「改革を止めるな。改革を前へ」と言い立てられると、訳もわからぬままその気になってしまう。ムードが先行しているのである。私は大声で叫びたい。「ムードに流されるな!」と。


ホームへ戻る