米沢 長南の声なき声


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ポピュリズム―政治の劇場化
2005年09月01日

 大衆の中には、逆にイデオロギーなどには(民主的イデオロギーにも、国家主義的イデオロギーにも)こだわらず、歴史には無頓着な「現実主義」と、強い者や多数意見につこうとする大勢順応主義がある。

 大衆のあいだには、現状(競争激化、リストラ、不正規雇用、社会的格差の拡大、生活苦、将来不安の拡大、少年犯罪の増加など)にたいする不満や不安が広がっている。そしてそのはけ口を求める。そのような大衆をうまく取り込むポピュリズム(大衆迎合主義)の手法が功を奏する。

 ポピュリズムは、アメリカのブッシュ大統領などに顕著にみられるが、小泉首相や石原都知事などにもそれがみられる。その手法は、それまでの政界派閥やしがらみにとらわれず、エリートらしからず、「普通の人」に近いイメージを売ることと合わせて、政策や主張を短いスローガンやワンフレーズ(単純な言葉)で語り(「抵抗勢力に屈しない」とか「痛みに耐えて」、「官から民へ」とか)、善悪二元論で反対派を悪玉もしくは敵として単純化し、闘いのドラマとして構成・表現するというやり方である(いわゆる「政治の劇場化」)。それはテレビ(ワイドショーなど)をうまく利用して、というよりは我が国の場合メディアとの合作でおこなわれるといわれる。そのやり方で、本来の対立軸や争点(財界・大企業と勤労生活者の利害対立、財界本位の保守政治か勤労生活者本位の革新政治か)とは別の対立状況を演出し、内外に敵をつくって(対外的には、テロや拉致問題・「反日」に事寄せて)その方へ根本問題をそらし、その「敵対勢力」に対して果敢に闘いを挑み、敢然と対決する姿を国民大衆に見せ付けることによって共感・支持をはくすというものである。

 そのために、様々な「改革」を打ち出し、自らを「改革者」「改革派」と称し、それに反対する者はすべて(官僚あるいは彼らと癒着する政治家―「族議員」―などはともかくとして、革新政党や労働組合までも)「抵抗勢力」「守旧派」と一くくりにして非難し、大衆を彼らへのバッシングに駆り立てる。

 「構造改革」(規制緩和・民営化)、国旗・国歌の徹底、「新しい歴史教科書」、教育基本法「改正」、自衛隊の海外派遣、そして改憲、これらに反対する者はすべて「抵抗勢力」「守旧派」というわけである。

その中で、特定業界の利益や官僚・特殊法人などの既得権益の排除、族議員による利権的政治の打破、政官癒着の断ち切り、派閥の解体といったことについては、国民は共感し、支持を寄せるのであるが、それで多くの人々は、それと一緒に消費税など庶民の負担増・教育基本法「改正」・改憲までも支持してしまうことになるのである。「官から民へ」という場合の「民」とは一般庶民のことではなく、民間大企業・大銀行にほかならないのだが、そうした「小泉マジック」に大衆は引っかかってしまうわけである。

 特定業界の利権政治打破とはいっても、財界からの政治献金は受け取り続け、財界請負政治という根本的な部分では全く不変なのである。

 郵政民営化、それは、郵便局(その郵便貯金と簡易保険)を、それらにたいする政府保証をなくして民間(銀行・生命保険会社)と同一の競争条件に置こうとするもので、財界(日米の銀行と保険会社)にはメリット(郵貯・簡保という商売敵がなくなれば、340兆円というその資金を日米金融資本が食い物にできる―投機的運用ができるなど)はあっても、勤労生活者や中小企業にとっては、何のメリットもないばかりか、かえって不便・不利益をこうむる結果になってしまう。それは次のような理由からである。

① 郵便貯金や簡易保険というものがあるばかりに、その資金が特殊法人に流れて無駄な公共事業が行われたりするのだというが、それは、郵貯・簡保があるから自動的にそうなるというわけではなく、政府が財政投融資計画を決めそれに基づいて発行した国債―民間の金融機関も購入している―を郵貯・簡保が購入するというプロセスを経ておこなわれるのであって、政府が財投計画を組む段階でそのような余計な(無駄な)ものは組まなければよい話なのである。したがってそれは郵貯・簡保があるせいではなく、政府のせいなのだ。

② 郵便局員は国家公務員だったのが、そうでなくなれば税金の節約になるというが、郵便局員の給料は、以前からずうっと独立採算制で運営される郵政事業収入から支払われているのであって、普通の公務員のように国民の税金から支払われているわけではないのである。

③ 民営化されれば、その会社の法人税が新たに国庫に入ってくるといっても、現在の郵政公社はそれを上回るだけの国庫納付金をずうっと納めてきているのである。

④ 全国一律の(義務付けられている)低料金もサービス提供も、民営化されれば、そういうわけにはいかなくなり、また民間銀行と同じ高い手数料が取られるようになる。

⑤ 民営化されて利益優先の民間銀行と同じになれば、利用者が少なく儲からない(採算の取れない)店舗はどんどん閉鎖されていくことになる。郵便局は全国に小学校と同じように(ほぼ同じ数)設置されていて、全国津々浦々に均一料金で手紙やハガキを配達し、離島や過疎地でも貯金・保険を扱ってくれているが、小学校をつぶしてはならないのと同じく、郵便局はつぶしてはならないのだ。

⑥ そもそも民営化とは、公共サービスにたいする公的責任を放棄し、それを民間に委ねて日米の大銀行や保険会社の利潤追求にさらそうとするものである。 

 「首相の好きな西部劇さながらの勇ましさが受けるのだ。郵政法案の否決に不敵な笑みを浮かべて踏み切った今度の解散」「大きな変革の時代・・・・。『むら』を壊してでも進む小泉流が、だからいま、頼もしく見えるのだろう」(8月15日朝日新聞社説)などと書いてその「元気」を持ち上げるマスコミ。しかし、その勇ましさ・元気さは、いったい誰にとって頼もしいのか。日々あくせくして働くか仕事にありつけない勤労生活者なのか、それとも、思い切ってリストラを断行して儲けを取り戻す財界・大企業なのか。「改革」によって痛みにあえぐ人々の存在は許容範囲なのか。マスコミはいったい誰の立場にたって論評しているのか。

小泉首相は、この郵政民営化法案を(衆議院で、僅差で可決したものを)参議院で否決されて衆議院を解散し、選挙戦に打って出た。そして、法案に反対した自党の議員を公認候補からはずして対立候補をたて、それが「刺客」、女性候補のばあいは「くノ一」と称される。まるで時代劇、フランスのルモンド紙などは「サムライ映画のようだ」と評している。その対立候補の一人に若者の「勝ち組」のヒーロー、ホリエモンが立って、「小泉劇場」に新たな役者が加わり、政治ドラマはますます面白くなってきた。「世論調査の支持率の中には、小泉劇場というドラマの『視聴率』も含まれている」と映画監督の中島丈博氏が指摘しているという(8月24日朝日・文化欄)。

しかし、こんな政治家とマスコミのポピュリズムに惑わされてはなるまい。

 「小泉劇場」は「弱きを助け、強きをくじく」ではなく、その逆の「勇者」の活劇ドラマにほかならないのだ。



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