郵政民営化といい、靖国参拝といい、「新しい歴史教科書」といい、改憲といい、それらに何故そんなにこだわり、やっきとなっているのか。それは財界(アメリカなどのそれも含めた多国籍企業・大銀行)の利害要求からにほかならない。政権党(自民党)は、「政権準備党」と自称する民主党とともに、この財界(その政治献金)によって支えられ、その意向を受けて政治をおこなっている。(財界をスポンサーとするメディアの報道も、そうである。)
財界は、国家に対して、道路・港湾・ダム建設などの大型公共事業に財政資金の投入を求め、公教育に有能かつ従順で使い易い人材の確保を求め、セキュリテー(安全保障)を求める。そして、それ以外には、福祉や教育などに国が(財界にとっては)必要以上に財政資金を投入・関与することから手を引かせて(歳出削減)、個々人の自己責任・自己負担(「受益者負担」)を増やさせ、郵政など公共サービスの事業民営化と合わせて、諸産業の営業規制の緩和もしくは撤廃(医療・福祉・農業・教育への株式会社参入と競争原理の導入)、労働者の雇用・使用・解雇にたいする規制緩和もしくは無規制(野放し状態)の維持(非正社員の拡大、時間外労働・使い捨て・首切りの自由)を求める。その一方、経済大国に相応しい軍事大国として、自国の領土・経済水域(海洋権益)・シーレーン(海上交通)等の防衛とグローバル市場(貿易・投資)の秩序・権益維持のためのセキュリテーを求め、軍需の拡大、武器輸出の解禁、軍事にたいする規制の緩和・撤廃を求める。
財界のこれらの利害要求を合理化・正当化するものとして新自由主義・新国家主義などのイデオロギー(思想傾向・言説)が論者によってメディアを通じて流布されてきた。
新自由主義とは、個人の自由と責任に基づく競争と市場原理を重んずる考え方で、性別・年齢・生まれ・人種などによる差別(属性差別)は排除し、(とはいっても、裕福な家庭環境か否かとか親の学歴などによって生じるハンデイは排除できないのだが)参加の機会は平等に与えて自由競争をめざす、というもので、能力差による結果の不平等(格差)を容認する能力競争主義のイデオロギーなのである。
その新自由主義だけでは、社会が勝ち組と負け組が分かれてバラバラとなってしまい、社会の統合がうまくいかなくなっては市場秩序の安定維持が困難となるので、それをカバーするために、国民を国家(天皇や日の丸・君が代・靖国神社など)に向けて結束させると同時に、他国に対して強い国家をめざし、自国の国益を最優先する国家主義イデオロギーが導入される。それが新国家主義なのである。
財界は自民党・民主党両党に政治献金をおこなう一方、改憲案を自ら(経団連・経済同友会など3団体ともに)提言している。
郵政民営化法案が否決されて衆議院を解散した直後、小泉首相が真っ先に赴いたのは経団連の奥田会長をはじめ財界幹部との会食だったという。
このような財界の後押しがあるから、郵政民営化や改憲にやっきとなるのであり、彼らの国家主義的イデオロギーから靖国参拝や「新しい歴史教科書」の普及、国旗・国歌の徹底にこだわるのである。