米沢 長南の声なき声


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参拝で被害諸国民の「心」は?
2005年06月06日

 首相は靖国参拝を、「私の信条から発する参拝」「他の国が干渉すべきことではない」と言われる。しかし、同神社は単なる追悼施設ではなく、戦死を讃える顕彰施設なのです。神社の当事者は我が国の近代以降の対外戦争をすべて正当なものとし、戦犯裁判の判決を不当としてA級戦犯の合祀を正当化しているのです。そこへ参拝することは、客観的には、侵略の加害責任を否定することを意味します。侵略され多くが殺された被害諸国民から見れば、動員され命令に従っただけの一般の戦死者をその遺族や戦友がそれぞれの思いで参拝する分には目をつむっても、そこに首相が参拝するとなると、それは、日本の国家として、侵略の推進者・加担者を免罪・容認するものと見なされ、道義にもとる非礼この上もない行為として看過できず、苦情を訴えてくるのはむしろ当然ということになるでしょう。

 参拝は「心の問題」といって、自分の心は晴れるのかもしれないが、それで傷つく被害国の遺族の方々の心はどうなるのでしょうか。被害国民にたいして「反省とお詫び」を口では言っても、心の中でベロを出していると受け取られざるをえないでしょう。


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