米沢 長南の声なき声


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専守防衛ならいいか?
2005年06月03日

 この考えは虚構の前提のうえに立っているように思われる。「日本は他国に侵略する敵意を持たない善良な国で、自衛隊は専守防衛に徹し、同盟国アメリカも正義の味方であって、その行動は常に合理的である」と。しかし日本人がそう思っても、世界中がそう思ってくれるわけではなく、自国のことを悪い侵略国だと思っている国などないわけである。
 それでも、自衛だけに徹する「専守防衛」ならいいではないか、という。そして「ミサイル防衛」(迎撃用ミサイル網の構築)も結構だと。
 しかしそれを云うなら、相手も「自衛」「専守防衛」のためだといって兵器を開発し、軍備を整えようとするわけである。そして、日米が「ミサイル防衛システム」を構築して相手の弾道ミサイルによる報復攻撃を封じておいたうえで「予防的自衛」と称して一方的に先制攻撃(相手が攻撃をかけてくる前にミサイル基地を攻撃)をかけてくるようなことは許してなるものかと考え、(ミサイル防衛をくぐり抜ける方法は電波妨害や「おとり」などいくらでもあるのだが)「攻撃は最大の防御なり」ということで弾道ミサイルを相手の迎撃ミサイルを上まわるだけ多く発射できるように増強することに努め、さらに相手の迎撃ミサイル網を突破できるだけの能力向上に努めようとするだろう。それを「自分のは防衛用だから善くて、相手のは攻撃用だから悪い」といってみたところで、そのような手前勝手な言い分は通らないわけであり、相手にたいして撤去・廃棄すべきだと要求したり、軍備の制限や軍縮を求めることができなくなってしまうことになる。北朝鮮の核問題にしても、アメリカの核の傘にある自分のは自衛・抑止用だから善くて、相手のは悪いという論理で一方的に放棄せよと云われても、相手は、それは受け入れられない、となるわけである。
 「専守防衛」といっても、お互い様なのであって、結局、相手の脅威を増幅する結果になってしまうのである。それに「専守防衛」ということで、敵が自国(領土)に侵攻してきたらそれに応戦する(迎え撃つ)となると、本土を戦場にし、自国民を巻き込んで大量の犠牲者が生まれ、居住地が焦土に化するなど、かえって危険なことになるし、そんなことならむしろ、「攻撃は最大の防御」とばかりに機先を制して敵国領土に打って出た方が自国民の生命・財産は守られるのである(それがアメリカが先制攻撃戦略をとる由縁であろう)。軍事的手段による防衛すなわち交戦するその限りでいえば、専守防衛ではむしろ防衛しにくく、先制渡洋攻撃すなわち機先を制して海の向こうに打って出たほうが防衛の実があげられるのである。しかし、それは「侵略」か[自衛]か、もはや区別がつかないものとなる。要するに「専守防衛」ならよいということにはならないのである。


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