米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


自らの非を正す率直さを
2005年04月18日

 中国の反日激化について、このところ我が国では「反中」感情が高まり、問題は日本よりもむしろ中国側にあると云わんばかりに愛国主義教育や民衆不満のガス抜きなど中国政府のやり方を問題にする様々な指摘がなされている。それらの批判や指摘は当を得たものかもしれない。
 しかし我々は「ひと」の事をとやかく言うのはほどほどにして(先方から見れば「そんな事は余計なお世話だ」「問題のすりかえだ」となり、感情を逆なですることになるから)、中国側がかねてから問題にし、日本側に訴えてきた問題を正面から受け止め、戦犯を合祀する靖国神社への首相参拝も、侵略肯定教科書の公認も不適切であることを認めて、それらをやめさせることに意を注ぐべきなのではないか。日本では、首相をはじめ、それらのことは歴史認識とは別問題だと強弁する向きがあるが、そのような言い分には無理があり、それが不適切であることは否定できないし、それらをやめないということは、反省し詫びたはずの過去の侵略をその実依然として肯定していると受け取られ、それは許しがたいことだとならざるをえないからである。
 われわれ日本人には、「悪い事は悪い」と認めてそれを正す率直さ・潔さが必要であり、「悪くない」「間違っていない」と強弁する頑固さや意固地よりも、その方がむしろ世界からも信頼が得られるのではないか。それは、相手に譲歩するとか、弱腰だとか、単なる面子の問題ではなく、そうすることこそが、何より、両国民和解の根本的な解決法だからである。


ホームへ戻る