米沢 長南の声なき声


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日本だけが軍隊を持たなくてよいのか
2005年03月04日

危機管理
 自然災害・環境破壊・事故・事件など国民の人命や財産に重大な被害がもたらされる緊急の事態が発生する。それらに対処または未然に防止する危機管理は必要不可欠であることは云うまでもない。そして、危機管理センターなど包括的な危機管理システムとともに、それぞれの分野の事態に対応する国土交通省・警察庁など各省庁があり、警察・消防・海上保安・レスキュー隊、それに軍隊(現在我が国では自衛隊)などの部隊組織がある。

警察と軍隊の違い―自衛隊は?
 それらのうち、警察は(海上保安庁も)警備・救難など国民(個人)の生命・財産を守り、犯罪を取り締まって公共の安寧・秩序(治安)を保持することを本務とし、領域(領土・領空・領海)警備をおこなう。ただし、武力攻撃には至らない不法行為(領海・領空侵犯、密貿易、ハイジャック、テロ、拉致など)に対処する。
 それにたいして、軍隊は、武力攻撃に対処するもので、交戦する(戦闘を交える)ことを本務とし、「国防」ということで、守る対象は(原則として)国家(国家体制、政府など国家機関)であって、国民(個人)ではない。(人命・財産を守るにしても、優先順位からいえば、一般国民のそれは二の次なのである。)その行動原理は、戦闘に勝つことであり、「勝つ」とは敵側の攻撃を断念(降伏・退却)させることである。勝つためには、敵兵を殺傷することは勿論のこと(何人殺しても殺人罪には問われないなど、一般市民や警察官には認められないことが国際法で認められている)、必要やむをえないとなれば一般市民を犠牲にし、自国民さえも犠牲にする。(かつて沖縄戦などで日本軍にそれが見られた。また、作家の司馬遼太郎の話で、太平洋戦争末期の本土決戦に際し、彼は戦車隊に所属していて、米軍の上陸を迎え撃つべく出動しようとしたさいに、「避難民に道路がふさがれてしまったら、戦車はどう進めばよいのですか」と上官にたずねてみたところが、「轢き殺して行け」と言われたという。)それが軍隊なのである。
 自衛隊のばあいは、「防衛出動」「治安出動」「領域警備」「災害派遣」それに最近新たに「国際的な安全保障環境の改善」のための海外出動をも「本来任務」として加えた。これらのうち、主たる任務は、あくまで防衛出動であり、それにプラス海外出動、すなわち交戦・参戦、要するに戦闘なのである。自衛隊の諸任務のうち、その戦闘任務を除けば、「治安出動」にしても「領域警備」にしても(これらの場合の武器使用は警察機関の基準が準用)「災害派遣」にしても、それらの機能(役割)自体は国民にとって有用なものである。仮に(自衛隊法を改正して)自衛隊から戦闘任務(防衛出動)とそのための装備(兵器)が除去されるならば、自衛隊は現行憲法にたいして違憲の存在とはならないわけである。
 警察官などの武器とその使用は、犯人に対して自分や他の人の身を守る正当防衛・緊急避難と、犯人の抵抗や逃走の抑止のため、他に手段がない場合に限られ、それら以外には人に危害を与えてはならない(もしもその限度を超えて使えば、過剰防衛に問われることになる)、といった制限があるが、軍隊のばあいの武器とその使用は(国際法上、残虐兵器や無差別攻撃以外は)無制限といえる。
 現在我が国の自衛隊は、核兵器や空母・重爆撃機・ICBM(大陸間弾道ミサイル)など以外はすべてを持つ。ただし、海外での武器使用は(PKO協力法・テロ特措法・イラク特措法などで)正当防衛・緊急避難と、現場で自衛隊員の管理下に入った者の防護だけに限定されている。いずれにしても、自衛隊は設けられてはいても、憲法第9条第2項が国の交戦権を認めていない(放棄している)以上どんな武器を持っていても、又どんなにその使用訓練をやっていても、実戦では正当防衛など以外にはそれを用いて敵兵を殺傷することはできない(殺せば殺人罪になる)わけである。(イラクのサマワに派遣されている自衛隊はそこを「非戦闘地域」と称して行っており、重火器までもちこんでいるのだが、武器使用はその制限を守ることをたてまえにして行っているわけである。)
自衛隊は、装備などその能力からいえば「立派な」軍隊なのであるが、憲法上は軍隊としての戦闘行為は認められていないわけである。しかし、いまや改憲で、それが認められようとしているのである。

軍隊は必要不可欠か?
 そこで軍隊についてであるが、「どの国も、軍隊を持っているのに日本だけが持たないのはおかしい」というのはどうか?
世界には、戦火がくすぶり続けている国(イラクやアフガニスタンなど)や危ない国(北朝鮮など)、火種や紛争をかかえている国(台湾問題をかかえる中国、チェチェン問題をかかえるロシア、アチェ州問題をかかえるインドネシアなど)があり、紛争地域がいくつか(イスラエルとパレスチナの対立、カシミールをめぐるインド・パキスタンの対立、スーダン、ソマリア、コソボなど)あって、テロがあちこちであることはある。しかし大勢としては、国連憲章(国際紛争の平和的手段による解決、武力の行使・武力による威嚇を慎むこと)を守って戦争はしない方向にあるのであって、世界中どこも危険だというわけではないのである。
 それに危険や脅威の原因あるいはそもそもの根本原因や元凶(北朝鮮やアルカイダにとってはアメリカが「元凶」)はある程度わかっていることで、当事国・当事者たちが本当にその気になって、国際社会が協力すれば解決可能なのである。
 国連は、国ごとの自衛権は固有の権利として認めてはいるが、個別国家が軍隊を持ち、あるいは軍事同盟を結んで、交戦するのが当たり前のこととはしていないのでる。国連憲章は、侵略攻撃を受けた国が、安保理が必要な措置をとるまでの間に限って(いわば例外的に)自衛権の行使を認めているだけなのである。そして国連は、国連の目的(国際の平和および安全の維持)に軍備を利用する以外には、国ごとの軍備は制限・縮小するなど軍備の規制をめざしているのである。
 ヨーロッパ諸国は非軍事的政策を基調とするEUに結集し、我が国をも含む東アジア諸国は「紛争の平和的手段による解決」「武力による威嚇または武力行使の放棄」を基本原則とする東南アジア友好協力条約を基に結集して東アジア共同体(2020年実現を目標)をめざし、アフリカ諸国はAU(アフリカ連合)を結成、南米諸国もアンデス共同体など統合の動きをみせており、地域統合の流れとともに互いに不戦の方向に向かっている。
 これらの地域共同体も、第二次大戦前のような相対立する閉鎖的なブロックではなく、互いに開かれ、国境も地域も越えた経済・文化のトランス=ナショナル(超国家的)なつながり(相互依存関係)を深め、世界共同体へと発展する可能性もある。それが21世紀なのである。(それは、サッカーのワールドカップやオリンピックなどのスポーツ=イベントやスマトラ沖大地震・津波にさいする世界的規模の救援活動などにも、その一端がみられる。)
 軍縮は今のところは遅々としており、ほとんどの国が軍隊を持ち続け、中にはアメリカの圧倒的な核軍備に必死に対抗して核や弾道ミサイルの開発と軍事的対決に固執している一部の小国もあるが、大局的にみれば、わざわざそんなに軍備を持たなくとも大丈夫だという方向に向かっているのであって、日本だけが軍隊を持たないのはおかしいというわけではないのである。

軍隊のない国は今
 現在のところ、軍隊を持たない国は、コスタリカ・アイスランドなど、いずれも小国ではあるが、11カ国ある。
 なかでもコスタリカは、「軍隊のない国」として知る人ぞ知る国なのであるが、この国では警備隊(哨戒艇とセスナ機以外は大砲も戦車もなく武器は小火器しか持たない)はあるが、軍隊はなく、外国の基地もないのである。米州相互援助条約には加盟しているが、派兵義務には応じないことにしている。それでも、アメリカの干渉で内戦の多い中米諸国の中にあって、軍隊を廃止して以来半世紀以上になるが、平和を維持している。そればかりか、中米紛争解決に積極的なイニシャチブを発揮したこの国の大統領(アリアス)はノーベル平和賞を受賞している。イラク戦争の開戦にさいしては、政府は「平和とテロの戦いにおいて、我々は中立ではない」としてアメリカを支持したが、一大学生が訴訟を起こし最高裁が違憲判決を下したためアメリカ支持は取り消された。
 このような、軍隊を持たない国が現にあるのである。たしかに我が国は、これらとは違う大国である。しかし普通の国ではないのである。あの悲惨な大戦争をおこなったが故に軍隊を持たないことを誓った特別な国なのである。


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