米沢 長南の声なき声


ホームへ戻る


大日本帝国の憲法と教育と国旗・国歌
2004年11月26日

 国旗・国歌の強制、首相の靖国参拝、「新しい歴史教科書」採択、教育基本法改変、そして改憲と、これらのことにこだわって、それを押し通そうとする向きが、このところやたら強まっている。それはいったいどういうことなのか、いくつか考えてみたい。

 まず、現憲法制定前はどうだったのか。 
  我が国は大日本帝国と称され、天皇が統治し、国民は臣民として従う「皇国」とされた。 その憲法には、「天皇は神聖にして侵すべからず」と定められ、天皇は元首であり、かつ主権は天皇に存するものとされた。

 そして、「天皇は陸海軍の編成及常備兵額を定む」(第12条)、「天皇は戦を宣し和を講じ及諸般の条約を締結す」(第13条)、「日本臣民は法律の定むる所に従い兵役の義務を有す」(第20条)と定められていた。 

 憲法発布勅語には「臣民忠実勇武にして国を愛し公に殉(したが)い以て此の光輝ある国史の成跡を胎(のこ)したるなり」とうたわれていた。

 そして軍人勅諭には、「(軍人・兵士たちにとって)死は鴻毛(鳥の羽毛)よりも軽しと覚悟せよ」とうたわれた。

 また、教育勅語には、「なんじ臣民-----------一旦緩急すれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。」(いったん国家に危険が迫ってくれば忠義と勇気をもって国のために働き、天地と共に極まりなくつづく皇室の運命を助けるようにしなければならない)と定められていた。

 学校の教科書は国定で、国史教科書は「天皇を中心とする国家の歴史」として(皇国史観で)書かれていた。

「日の丸」・「君が代」は大日本帝国の事実上の国旗・国歌であり、「君が代」とは「天皇の世」にほかならなかった。戦争にさいしては、日本軍は「日の丸」を掲げて進軍、アジア・太平洋各地を占領し、民衆は「日の丸」の小旗を振って出征する兵士たちを見送った。

 ベルリン-オリンピックは、ヒトラーがドイツの国威発揚のために最大限利用したが、日本はマラソンで、韓国人選手(孫基禎)に「日の丸」をつけて走らせた。孫選手は優勝したが、韓国の新聞が表彰台に立つ彼の写真を、ユニホームから「日の丸」を消して掲載するという「日の丸抹消事件」が起きたりした。韓国の新聞は今でも、「日の丸」「君が代」を、過去の日本帝国主義の植民地支配と侵略戦争を支えた象徴だとみなしている。

 靖国神社は、日本古来からの神社とは異なり、明治以後、軍の宗教施設として設けられ、戦争推進の精神的支柱となってきた神社で、天皇のために殉じた軍人を(極東国際軍事裁判で戦争犯罪人として処刑された「A級戦犯」をも)神として祀っている。兵士たちは、「靖国で会おうな」と言って死地(戦場)へおもむくのが誉とされた。

 このところの一連の動きは、現憲法制定にともなって廃止された大日本帝国時代の「古き良きもの」を蘇らせようとするもののようであるが、それらは既になし崩し的に(いつの間にか)蘇ってきているものでもある。しかしそれははたして新世紀にふさわしい良きものたり得るものなのだろうか。それとも古き悪しきものの蘇りにほかならないのではないか。

 我々にとって今一番大事なのは、現憲法制定にともなって生まれたはずの良きものが徹底されず活かされずに中途半端にされてきた、それをこそ蘇らせることではあるまいか。 

 良きものとは、非軍事平和主義・民主主義・自由平等主義などのことであって、軍事主義・国家主義・権威主義などではあるまい。


ホームへ戻る