対北朝鮮強硬派が優勢の中、小泉首相が先の訪朝で「敵対から友好へ」「核を完全に廃棄することによって得られるものと、核を持つことによって得られるものは天と地ほど違う」と述べたことについてはもろ手をあげて賛同したい。
拉致はテロと同様、人道に反する許しがたい犯罪であり、それに対しては、「金正日打倒」「日朝国交正常化反対」「経済制裁発動」「食糧援助ストップ」など声をあげたくなる気持ちは、心情的には理解できるが、実際問題として、そのような敵対政策と国交正常化推進政策とで、はたしてどちらが問題解決にとって適切なのかである。
あのような国と国交正常化しなくともよく、敵対政策を続け通すという敵対関係継続政策からは、どんな解決が生まれるというのだろうか。軍事的・経済的圧力はかえって相手を硬化させ、解決を難しくしないのだろうか。
そもそもかの国の独裁体制も先軍政治も強制収容所も拉致も、もとはといえば(歴史をたどれば)日本によるかつての植民地支配に対する抗日ゲリラ闘争とそれ以来の反日感情および朝鮮戦争以来のこの国の対米・対韓国冷戦─常時臨戦体制の中から生まれたものである。
それをその敵対関係をそのままにして、なおかつ軍事的・経済的圧力を加えるのでは、ただ反発を強めるばかりで、こちらの要求に素直に応ずることなどあり得まい。むしろ敵視政策はもうやめ、敵対関係継続政策をやめにして、友好の手をさしのべてこそ、相手は心を開き、拉致問題に関する要求にも、核開発の放棄にも応ずる気になるのではないだろうか。ただし友好の手をさしのべるといっても、イデオロギー的偏見(反共)や民族的偏見はもちろん、軍事的・経済的圧力はひかえるものの、交渉にあたっては毅然として道理と誠意を以てのぞむ以外は、相手に余計なアメを与え、ご機嫌をとり、無法・非道行為にたいして甘い対応をするというわけではない。
小泉首相は、「敵対から友好へ」と切り換えようと言明して話をもちかけ、金正日総書記も拉致被害者家族の帰国と死亡したとされた不明者の再調査に応じ、また核問題等に関する六者協議を進展させることに応じたのである。
尚、首相の「核を完全に廃棄することによって得られるものと、核をもつことによって得られるものは----」との言葉は、アメリカに対しても言えることであり、また我が国においても、小泉首相をはじめ自民党・公明党・民主党などが日本の平和憲法を解釈改憲から明文改憲へと進め、ミサイル防衛(米国製ミサイルの配備、「敵基地への先制攻撃」も)、中には核武装さえ容認する向きも(2003年11月毎日新聞の調査によれば衆議院で自民党議員63人、民主党議員17人)あるが、それらによって得られるものと平和憲法を厳守することによって得られるものは天地ほど違うのだということも、首相に言いたいものである。
それはともかく、金正日にたいして首相が述べたあの言葉は至言というべきであろう。