米沢 長南の声なき声


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私の憲法論
2004年07月12日

 私は63歳になりますが、生まれて一年後に太平洋戦争が勃発し、5歳になる年にそれが終わって、その翌年に現在の日本国憲法は制定された、というしだい。
 この憲法を論ずるにあたって、まず踏まえておかなければならないことは、それは日本人のみならずアジア諸国民・アメリカ人・ロシア人その他幾千万にもおよぶ戦争の犠牲を通じて、世界史上この上もない高い代価を払って得られたものだ、ということである。
 この憲法はアメリカに押しつけられた憲法だという向きがあるが、マッカーサー回顧録によれば、戦争放棄の条項は制定当時首相であった幣原喜重郎が提案したものだという。その回顧録には次のようにある。(自由書房、高校政経教科書指導書「新政治経済指導資料」)「日本の新憲法にある有名な『戦争放棄』条項は、私の個人的な命令で日本に押しつけたものだという非難が、実情を知らない人々や刊行物によってしばしば行われている。これは次の事実が示すように真実ではない。------首相(占領軍最高司令官マッカーサーを訪れた幣原首相)はそこで、新憲法を起草する際、戦争と戦力の維持を永久に放棄する条項を含めてはどうか、と提案した。日本はそうすることによって、軍国主義と警察による恐怖政治の再発を防ぎ、同時に日本は将来、平和の道を進むつもりだということを、自由世界の最も懐疑的な連中にも納得させるだけの確かな証拠を示すことができる、というのが首相の説明だった。----私は腰がぬけるほど驚いた。----氏は----顔をくしゃくしゃにしながら、私の方を向いて『世界は私たちを非現実的な夢想家と笑いあざけるかもしれない。しかし百年後には私たちは予言者と呼ばれますよ』といった。」
 ところが憲法制定の翌年、アメリカ側から、世界戦略の都合上、日本の再軍備とそのため憲法修正が必要だとの方針が打ち出され、今度は吉田茂首相に憲法を改定してきちんとした軍隊をつくれといってきた。しかし吉田首相はそれには応じなかったという。
 そこに朝鮮戦争が始まって、それを機にマッカーサーは日本に警察予備隊(自衛隊の前身)をつくらせた。それは9条の実質的な解釈改憲の始まりであった。その後占領解除、主権委譲はおこなわれたものの日米安保条約で米軍基地駐留を認めさせられ、自衛隊がその補完部隊とされるようになった。
 自衛隊と米軍の協力による有事即応態勢づくりはさらに着々と進められていった。そして自衛隊は、今や(軍事費では)アメリカに次ぐ世界第二の規模に成長し、アメリカ軍の後にくっついて海外にまで派遣されるようになり、今イラクに行っているのである。
 それでも、派兵には未だ遠慮がちの日本にたいして再びアメリカ(アーミテージ国務副長官)から憲法改正を促され、政府与党および民主党もそれに応じようとしているのが今の状況なのである。
 憲法9条(非武装中立)と日米安保条約および自衛隊は矛盾し、本来両立しがたいものであるが、これまでずうっと、日本政府は自国憲法とアメリカのどちらに忠実であったかといえば、アメリカの方に忠実であった。そして今、日米同盟は21世紀を通じて不動のものと見なし、憲法(9条)を捨て去ろうとしているのである。
 思うに、小泉首相や日本政府にとって、縛りから解放さるべきは憲法からではなく日米同盟の呪縛からであり、靖国神社(公式参拝)からであろう。それらは日本の自主外交・国際平和貢献の妨げとなり、我が国の国際社会における名誉ある地位と信用を損なってきたものである。日米安保とそれに基づくアメリカへの追従政策さえなければ、反米テロリストや北朝鮮のような反米国家の脅威におびえる必要はないのであり、アメリカと反米勢力、双方を説得できる説得力を確保することもできるのである。日米同盟という虎の威を借りなくとも、いや、借りたりしないほうがかえって核開発やテポドンに脅える必要もなく、日本の首相が金正日と談判でき、米朝双方を説得できるというものである。さもなければアメリカの手下や子分の分際で誰が言うことを聞くかだ。(小泉首相は訪朝して談判をしてきたわけであるが)
 憲法を制定して58年もたっているのに、いったいいつまで日米同盟にすがりついていないと何もできないというのか。沖縄はいつまで米軍基地の島であり続けなければならないのか。


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