21世紀は犯罪も暴力も戦争もテロもなくなりはしないどころか、それらはますます増えるばかりであるかのように語られる。はたしてそうだろうか。
それらは、なにも21世紀になったからといって、こらえ性がなくキレやすく狂暴な人間が増えるようになったからというわけではあるまいし、宗教・イデオロギーのせいでもあるまい。狂信化・過激化はむしろ社会の不条理と生活の不安の結果であろう。それらの根本原因は生活の貧困・欠乏・不安・社会的不公正・富の偏在などのことにほかならない。いわゆるテロや紛争の発生する土壌である。
それは、グローバリゼーションがこのまま進んで資本主義市場経済が世界をおおうようになると、貧富の格差が拡大してますます激化する可能性はある。しかしその進行を抑制し、先進諸国による援助・協力によってそれら(欠乏・富の偏在・不公正など)を改善することも可能なのである。ところがアメリカ等はその方(市場経済自由化の抑制、援助・協力)には消極的で、かえってそれを自由(新自由主義など)の名のもとに放任・放置し、人々の不満爆発-テロや紛争が起きた時(有事)にそれを力(軍事)で抑えつけることばかりに力を注ぐ。そしてその戦争政策と武力行使を「21世紀は反テロ戦争の時代」などと称して脅威を煽って正当化する。それがかえって激しい抵抗を招くのである。
したがって、そのような軍事優先は邪道であり、いかに圧倒的な軍事力をもってしてもテロを根絶することはできない。欠乏・富の偏在・不公正を放置しながら(ODA等の援助はやっているとしても軍事費に比べればはるかに少ない)、アメリカが、そしてそのアメリカにくっついてこの日本がミサイル防衛など軍事力をいかに完ぺきに備えようとも、反米・反日のテロや大量破壊兵器の脅威を無くすことはできないのである。